第9話

アシュトン様は、天に突き上げた剣を振り下ろし、雷のような声で最後の号令を下した。

その声は、戦場にいる全ての者の魂を震わせる。


「うろたえるな。敵の操り手は、今ギデオンたちが討ち取ったぞ。残るは頭を失った、獣の群れだけだ。一匹残らず、故郷の土から叩き出せ。」


「「「オオオオオオオオオッ。」」」


こたえたのは、騎士団だけではなかった。

城壁の上から矢を放っていた弓兵たち、けがをしながらも武器を握っていた兵士たちも声を上げる。

そして城の中から戦いを見守っていた民からも、地鳴りのような歓声が上がった。


それは、勝利を確信した者のおたけびだった。

操る者を失った魔物たちは、完全に混乱していた。

互いにほえかかったり、意味もなく暴れ回る者もいる。

もはや、そこに軍隊としてのまとまりは少しもなかった。


その隙を、グレイウォールの騎士たちが見逃すはずがない。


「今こそ、俺たちの力を見せる時だ。」


ダリウスさんが戦斧を天に掲げ、獣のような叫び声を上げた。

それに続くように、レオさんたちを治療していた兵士まで武器を手にする。

彼らは、再び前線へと駆け出していく。


「連携を崩すな。リリアーナ様に教わった通り、互いの背中を預け合え。」

「私は右側を援護する。誰か、左を頼む。」

「分かった。左翼は私に任せてください。」


戦場のあちこちで、はっきりとした言葉が飛び交う。

それはもう、訓練のぎこちなさなど感じさせない。

戦い慣れた戦士たちの、見事な連携だった。


彼らは、ただ夢中で剣を振るうのではない。

常に仲間の位置を確かめ、声を掛け合う。

そして最も効率的な形で、敵を倒していく。

一人がオークの盾を受け止めれば、別の者がすぐにその横から剣を突き立てた。

ゴブリンの群れに囲まれそうになれば、弓兵からの正確な援護射撃がその危ないところを救う。


それはまるで、一つの生き物のように滑らかで力強い動きだった。

数では圧倒的に負けているはずなのに、戦況は完全にこちらが有利に進んでいた。


アシュトン様は、その光景を城壁の上から見ていた。

胸がいっぱいになったような、表情で見つめている。

彼の瞳には、部下たちへの絶対的な信頼と誇りが宿っていた。


「すごい。これが、俺の騎士団か。」


「はい。これが、あなたと皆さんが築き上げた新しい騎士団です。」


私の言葉に、彼は静かにうなずいた。

その時、戦場の後ろからギデオンさんたちが姿を見せる。

彼らの体はぼろぼろで、体中が傷だらけの様子だった。

しかしその足取りは確かで、顔には確かな満足感が浮かんでいる。


彼らの帰還を見た兵士たちから、ひときわ大きな歓声が上がった。


「副団長。ご無事でしたか。」

「よくぞ、やってくださいました。」


ギデオンさんは、部下たちのほめたたえる言葉に片手を上げてこたえた。

そしてアシュトン様と私のいる、城壁の上へと登ってくる。

彼はアシュトン様の前にひざまずき、深く頭を下げた。


「アシュトン様。ご命令通り、敵の指揮官を全て討ち取りました。ただ今、帰還いたしました。」

「よくやってくれた、ギデオン。お前たちがいなければ、この勝利はなかった。」


アシュトン様は、自らギデオンさんの肩に手を置いた。

そして、彼を立ち上がらせる。

そこには、言葉をこえた主君と部下の強い絆があった。

その光景は、見ていて胸が熱くなるものだった。


ギデオンさんは、次に私の方へと向き直った。

その厳しい顔には、以前の警戒心など少しもない。

ただ深い尊敬の気持ちだけが、浮かんでいた。


「リリアーナ殿下。あなた様のおかげです。あなたの言葉がなければ、我々は幻術にとらわれたままだったでしょう。仲間同士で、戦っていたかもしれません。そして俺自身も、片腕の自分に何ができるのかと諦めておりました。」

「ですが、違った。俺には、信頼できる仲間がいたのです。そして彼らの力を引き出すための、あなたの言葉がありました。この勝利は、あなた様がもたらしてくださったものです。」


「そんなことはありません。私は、何もしていませんよ。この勝利は、ギデオンさんと騎士団の皆さんがご自身の力でつかみ取ったものです。」


「本当に、かないませぬな。あなた様には。」


ギデオンさんは、心から降参したというように穏やかに笑った。

その笑顔は、私がこの城に来てから初めて見るものだった。


戦いは、それから一時間もたたないうちに完全に終わった。

残った敵を倒す戦いになり、騎士団の敵ではなかった。

統率を失った魔物たちは、どうにもならない。

生き残った魔物たちは、われ先にと森の奥深くへと逃げ帰っていく。


その姿を最後まで見届けたアシュトン様が、ついに勝利を高らかに宣言した。


「勝どきを、上げろ。」


その言葉を待っていたかのように、大歓声が巻き起こった。

城と戦場、そしてふもとの街から天をつくような声が上がる。

兵士たちは武器を放り出し、互いに肩を抱き合った。

涙を流して、勝利を分かち合っている。

城壁の上からも、広場からも街の通りからも人々の喜びの声が聞こえてきた。


それは、ただ魔物の襲撃を退けたというだけではない。

長年この地をおおっていた、敗北と絶望の記憶をついに乗りこえた。

その瞬間の、魂の叫びだった。


私は、その歓声の渦の中でそっと目を閉じた。

よかった、本当に。

守ることが、できたのだ。

この場所と、ここに生きる人々を。


安心したのか、ひざの力が抜けてその場に崩れ落ちそうになる。

その体を、力強い腕がそっと支えてくれた。

アシュトン様だった。


「疲れただろう。無理もない。」


彼の声は、今まで聞いたこともないほど優しかった。

私は、彼の腕に支えられながらこくりとうなずく。

彼の鎧から、血と鉄のにおいが伝わってきた。

でも、不思議と嫌な感じはしない。

それは彼が命を懸けて戦った、誇りのにおいだったから。


戦いが終われば、すぐに次の仕事が待っている。

けが人の手当てや、戦場の片付けがあった。

そして、亡くなった兵士たちをとむらうのだ。

勝利の喜びに、浸ってばかりはいられない。


私は、再び救護所へと戻った。

そこでは運びこまれてくる、けが人の数が増えていた。

まるで、地獄のようなさわぎになっている。


「リリアーナ様。」

「こっちの兵士の出血が、止まりません。」


エマや女性たちが、悲鳴に近い声を上げた。

私はすぐに気持ちを切り替え、的確な指示を飛ばし始める。


「落ち着いて。まずは傷口を、清潔な布で強く押さえて。止血が、最優先です。」

「意識のない者は、息ができるようにしてください。横向きに、寝かせて。」

「エマ、あなたは痛みを和らげる薬草を。骨折の疑いがある者には、まずそれを飲ませてあげて。」


私の声に、混乱していた救護所の空気が少しずつ落ち着きを取り戻す。

前の世界での経験が、こんな極限の状況で生きていた。

臨床心理士は、心の世話だけでなく緊急時の対応も学ぶのだ。

治療の優先順位を決める、基本的な知識のことである。


私は、一人ひとりのけが人のもとを回り声をかけ続けた。

体の痛みだけでなく、心の痛みにも寄りそう。


「大丈夫。あなたは、生きている。それが、何より素晴らしいことです。」

「よく、戦い抜きましたね。あなたの勇気が、仲間を救ったのですよ。」


その言葉は、どんな薬よりも彼らの心をいやす力を持っているようだった。

恐怖でこわばっていた顔が和らぎ、絶望に沈んでいた瞳に再び生きる力が戻ってくる。


どれくらいの時間が、たっただろうか。

全てのけが人への応急処置が終わり、広間に静けさが戻った。

その頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。


私はひどい疲れのあまり、その場に座り込んでしまった。

体は、鉛のように重い。

声も、もうかすれて出ない。

それでも、心は不思議なほど満たされていた。


そんな私の隣に、誰かがそっと腰を下ろした。

アシュトン様だった。

彼は、何も言わずに水を入れたカップを私に差し出してくれる。


「ありがとう、ございます。」


かすれた声でお礼を言うと、彼は静かに首を振った。


「礼を言うのは、こちらのほうだ。君がいてくれなければ、もっと多くの死体があっただろう。」


彼の言葉には、重い実感がこもっていた。


「君は、兵士たちの命だけでなく心も救ってくれた。俺の心も。」


彼は、そっと私の手を握った。

傷だらけの、大きな手だった。

でも、その手は温かかった。


「俺は、ずっと間違っていた。本当の強さとは、一人で背負いこみ感情を殺すことだと思っていた。だが、違ったんだな。」

「本当の強さとは、弱さを受け入れ誰かを信じることだ。そして、誰かと共に支え合うことなんだと君が教えてくれた。」


彼の灰色の瞳が、まっすぐに私を見つめている。

その瞳の奥には、もう氷のような冷たさはなかった。

どこまでも深い、穏やかな湖のような光が宿っている。


「リリアーナ。俺は、君と出会えて本当に良かった。」


その真剣な言葉に、私は何と答えていいのか分からなかった。

ただ、胸がいっぱいになって涙がこぼれそうになる。

それを、必死でこらえた。


「私も、です。私もここに来られて、あなたと皆さんと出会えて本当によかった。」


やっとの思いで、それだけを伝えた。

彼と私の間に、穏やかで温かい沈黙が流れる。

それは、たくさんの言葉を尽くすよりもお互いの気持ちを伝え合っているようだった。


その日の夜、城の食堂ではささやかな祝宴が開かれた。

豪華な食事も、楽団の演奏もない。

ただ黒パンと干し肉のスープ、そして貴重なエール酒がふるまわれるだけだ。

質素な、宴である。


それでも、食堂は兵士たちの熱気と喜びに満ちていた。

誰もが、生きていることの喜びを分かち合う。

そして仲間と共に、勝利をつかんだことの誇りを分かち合っていた。


宴の中心には、アシュトン様と彼の隣に座る私の姿があった。

兵士たちが、次から次へと私たちのところへやってくる。

そして、感謝の言葉を口にした。


「リリアーナ様。本当に、ありがとうございました。」

「あんたがいなけりゃ、俺たちとっくに死んでましたぜ。」


ダリウスさんも、レオさんも少し赤くなった顔で私に頭を下げた。

私は、そのたびにほほ笑んでこたえる。


「いいえ。皆さんの力が、素晴らしかっただけですよ。」


ボルツさんは、腕をつりながらも満足そうな顔でエールを飲んでいる。

彼の隣には、彼が読み書きを習っている若い兵士が座っていた。

故郷の妻への手紙の内容を、一緒に考えているようだった。

その光景が、私には何よりも嬉しかった。


この場所は、変わり始めたのだ。

ただ魔物の脅威におびえ、絶望に耐えるだけの場所ではない。

人々が互いに支え合い、未来への希望を語り合う場所に変わっていた。


宴が盛り上がった頃、アシュトン様がゆっくりと立ち上がった。

騒がしかった食堂が、水を打ったように静かになる。

誰もが、領主の言葉に耳を傾けていた。


彼は、食堂にいる全員の顔をゆっくりと見渡した。

そして、力強い声で語り始める。


「皆、聞いてくれ。今日の勝利は、奇跡ではない。我々が、自身の力でつかみ取った当然の結果だ。」


彼の言葉に、兵士たちの背筋が伸びる。


「我々は、多くのものを失い傷ついてきた。だが、その痛みを知っているからこそ誰よりも強くなれる。互いの痛みに寄りそい、支え合うことができる。今日の戦いで、我々はそれを証明したのだ。」

「この勝利を、決して忘れるな。これは、我々グレイウォール辺境領の新たな始まりの合図だ。」


彼は、そう言うとエールの満たされた杯を高く掲げた。


「この地の未来と、我々に光をもたらしてくれたリリアーナ殿下に、献杯。」


「「「リリアーナ殿下に、献杯。」」」


食堂中に、割れんばかりの声が響き渡る。

私は、突然名前を呼ばれたことに驚き顔を真っ赤にした。

そして、立ち上がる。

兵士たちの、温かいまなざしが向けられた。

尊敬と感謝、そして親しみに満ちたまっすぐな視線だった。


王都の塔で、誰からも存在を忘れられていた私だ。

今、こんなにも多くの人々の中心にいる。

それが、信じられなかった。

でも、これは夢ではない。

まぎれもない、現実なのだ。


私は、胸にこみ上げてくる熱い思いを抑えながら深く頭を下げた。

皆に、深く頭を下げる。

涙が、頬を伝って落ちた。

それは、決して悲しみの涙ではなかった。


宴は、夜遅くまで続いた。

疲れ果てた兵士たちが、肩を組んで歌い笑い合っている。

その光景を、私はアシュトン様の隣でずっと眺めていた。


「まるで、家族のようだな。」


彼が、ぽつりとつぶやいた。


「はい。本当に。」


「これも、君がもたらしてくれた変化だ。」

「いいえ。皆が、元々持っていた温かさですよ。」


いつもの、決まったやり取りだった。

私たちは、顔を見合わせて小さく笑う。

彼の笑顔を見るのは、これが初めてだったかもしれない。

傷跡の残るその顔に浮かんだ、不器用で心からの笑顔があった。

それは、どんな宝石よりも美しく輝いて見えた。


私は隣に座るアシュトン様の、大きくて温かい手をそっと握り返した。

彼は何も言わずに、私の手を優しく力強く握り返す。

にぎやかな食堂の音が、どこか遠くに聞こえるようだった。

彼の灰色の瞳が、すぐそばで私をまっすぐに見つめている。

その瞳に映る自分の顔が、とても幸せそうに笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る