第2話 一夜が明けて

「そうか、振られたのか……」


公園で晩酌をした後、俺は中高の同級生であり、現在同居人の駒沢 健二に今日の顛末を報告していた。


健二は、昔から妙に器用貧乏なやつで、

運動も勉強も、飛び抜けてはいないが、そこそこ出来きていた。

料理も掃除も、なぜか無難にこなす。


そのくせ、どれも「俺が本気出せばもっといけるんだけど」みたいな顔をしてるから腹が立つ。


でも、クラスで困ってるやつがいれば自然と手を貸すし、それが会社になって変わらないのだろう 


場がシラけてるときは必ず笑いに変える。

所謂、愛されキャラってやつだ。


今は家賃が安くなるからという理由でシェアハウスをしている。普段から恋愛相談も乗ってもらっていたこともあり、言わないわけにいかない。


「まぁな。帰りに公園でシャイニング・ウィザードしてる女にも出くわすし」

「なんだそのワード。お前酔ってんのか?」

「いや、マジだって」


正寿は半笑いで缶を掲げる。健二は「はぁ?」と首を傾げつつも、興味を持った様子。


「にしてもひでー振られ方だな」

「だよなぁ」


どストレートな物言いだが、

だからこそ、こいつと話すだけで、なんとなく気が紛れる気もする。


「話聞いてるだけだったし、直接会ったことないからなぁ。さすがに俺にも向こうの心理は分からないな」

「さすがに恋愛マスターの健二様にも無理ですか」

「よせやい」


軽口を叩きながら、健二は缶を口に運び、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「ま、でもお前……顔は悪くはないんだよな」

「は?」


その後、良くもないって付きそうなんだけど


「いや、ほんと。身長も平均、顔も普通。あ、でも365日眠そうなのはマイナスか。で、髪も寝ぐせ率高め」

「……おい」

「でもな、その“どこにでもいる感”が逆にお前を影薄くしてんのよ」

「……お前、それ褒めてんのか?」

「褒めてるつもり。ただ“普通すぎて損してる男”って、俺の中でジャンル確立してるから」

「なんだそれ」

「ただ……今回振られたのは容姿とかじゃない気がするんだよな」

「どういう意味だよ?」


振られた理由など、心当たりありすぎて逆に分からん。

……なんで告白したんだ?俺。


「二人きりで複数回、飯行くってのは、そこそこ脈があった気もするんだけどな、しかも仕事帰りだけじゃなくて休みの日も行ってただろ

「まぁそれは……」

「そこで告白してダメだったのは……お前がどうこうってより、向こうに“引っかかるもん”があったんじゃねぇの」

「……引っかかるもん?」

「そう。たとえばタイミングとか、過去の誰かとか。そういうの」


健二は空き缶をコツンと合わせるように机に置いた。


「なんにしても、少なくとも“異性から好意を向けられると引く”ってやつは、俺には理解できんわ」

「そういうもんなのかね」

「そういうもんだろ。好きって言われて嬉しくない奴がいるのかって話だ」

「……いるんだよ、ここにな」

「お前じゃねーだろ」

「俺じゃないけど、俺が被害を受けたんだよ」


ボヤかずにはいられない。


「まぁ、人それぞれだな。俺なんかは真逆だし」

「真逆?」

「好きって言われたら……たぶん一発で落ちる」

「それはそれでチョロすぎるだろ」

「もちろん、ストライクゾーンだったらな。でもそうじゃなくても、うれしいとは思うぞ。『あぁ……俺モテてるっっっ!!!』ってな」


胸に手をやる姿がなんとも鬱陶しい。

よし、刺してやることにしよう。


「そんなんだと彼女に怒られるんじゃないか?」


俺が茶化すと、健二は肩をすくめる。


「大丈夫大丈夫。あの子はそういうの気にしないから」

「……ふーん」

「それにな、彼氏がモテてるってことはそれだけ魅力的だってことだろ?プラスだと俺は思うんだけどな」

「さいですか」


鼻につくくらいの自信。

けど、そこに迷いはなかった。


「まぁ、信じてるからこそだな」

健二はそう言って、グラスを軽く掲げる仕草をした。


「俺は浮気もしないし。真面目一本、安心安全」


胸を張ってそう言う姿がやたら誇らしげで、逆にちょっと不安になる。


「まぁ……信じられるならいいけどな」

「なんだよその言い方。お前は人間不信か?」

「さっき振られたばっかの人間に言うセリフじゃねぇだろ、それ」


俺がジト目を送ると、健二は「ははっ」と笑った。


「でもさ、正寿。恋愛なんて最後は“信じられるかどうか”だぞ」


健二はそう言って、どこか達観した顔をしていた。

……その言葉を、この先の自分に向けて言ってやりたい。


けど今は、ただ安っぽい慰めにすら救われてしまう自分が悔しかった。



「頭痛てぇぇ……」


いかん、つい飲みすぎた。

昨日の公園での缶から、部屋に戻ってまた健二と飲み直したのが完全に余計だった。


シャワーを浴びても頭は重いまま。スーツに袖を通しながら、ため息が漏れる。


気が重い。


昨日は「振られた」なんて言葉で軽く済ませたが、実際は胸の中にまだ焼けるように残っている。


酒に逃げつもりだったが、あっさりと捕まえられた。


満員電車に揺られ、

頭をガンガンさせながら会社のエントランスをくぐった瞬間。


「……おはよ」


声がして、振り向く。


栗色の髪のセミロングで、肩にかかるあたりが自然に内側へカールしてる。

化粧も薄めで、ぱっと見は地味といえば地味だ。


けど──すれ違うとなぜだか、一瞬振り返りたくなるような透明感がある。


職場では無難なブラウスやカーディガン姿ばかりなのに、それすら「似合ってしまう」のがずるい。


目元は優しげで、笑うと一気に華やぐ。


同僚たちが次々来社する中、

昨日の張本人――安藤聖が立っていた。


まるで、昨日のことなどなかったかのように、微笑みかける。



「……あ、あぁ。おはよう」


口から出た声は、やけに上ずっていた。


『なんなの?最後の告白、めんどくさいんだけど』


あのメッセージが脳裏に浮かぶ。


やめろ、思い出すな。

普通に返せよ。俺が意識すればするほど、余計に変になる。


一方の安藤さんは、そんな俺の動揺なんて気づいていないみたいに、首を小さく傾けて微笑んだ。


「顔色悪いけど、大丈夫? 寝不足?」


――やめてくれ。


ただの気遣いなのは分かってる。

振られたからって職場でぎこちなくなっては、社会人として失格だ。


でも、そういう自然体な優しさが今はいちばん刺さるんだ。


「……まぁ、ちょっと飲みすぎただけ」

「ふふっ。三浦くんってお酒弱いのに、懲りないのね」


昨日の夜、俺をあっさり斬り捨てたのと同じ口から出てくる、他愛もない笑い声。

その無邪気さが、逆に胸を締めつけてくる。

俺は頭を掻くしかなかった。


安藤さんは特に気まずそうな素振りも見せず、さっさとIDカードをかざしてゲートを通り抜ける。

振った側の余裕か、あるいは――本当に何も気にしていないのか。


俺だけが、昨日の出来事を抱え込んでいる。

妙な疎外感に、さらに頭痛が増した気がした。


なんなんだよ、くそっ……。


雑念を振り切ってオフィスへ向かう足取りは重い。


完全な二日酔いの中、がんばってモニターに視線を固定していると、トントン、と肩を叩かれた。


「三浦先輩っ、おはようございます!」


振り返ると、わが社の元気印の後輩・宮沢みやざわ恵美えみが満面の笑みで立っていた。

社内でも一際目立つその豊かな胸元が、揺れるたびに同僚の男どもがチラ見しているのが分かる。


小動物のような愛嬌が社内でも人気なのだ。

視線が痛い。


「お、おはよう」

「今日からの会議、先輩と同じチームですよね? よろしくお願いします!」

「……あぁ、よろしく」


宮沢さんは屈託のない笑顔でペコッと頭を下げると、そのまま俺の机の横に腰を掛けるように寄りかかる。


「……あの、宮沢さん」

「はい?」

「そこ、俺のデスクなんだけど」

「えへへ、ちょっとだけですって!」


小さく舌を出す仕草がいかにも後輩らしい。

その屈託のなさに、思わず力が抜ける。


ほんとなんなの?この子?どういうつもりなの?


周囲の視線がまたチクチクと刺さってくる。

同僚たちの「いいなぁ三浦」「またかよ」という無言の空気が背中越しに伝わる。


宮沢さんが首をかしげるのと同時に、斜め向かいの席から視線を感じた。


――安藤さん。


無表情のまま資料に目を落として、少し強張った指でページをめくっている。

集中しているみたいだ。



そうだよな。別にどうでもいいよな……。


胃の奥が、酒の残りかすみたいに重たく疼いた。


チャイムが鳴り、ざわざわとオフィスの空気が昼休みモードに切り替わる。


「三浦先輩! お昼、一緒に行きませんか?」


宮沢さんが弾けるような笑顔で立ち上がった。


「え、あぁ……」


正寿は思わず言葉を濁す。断ろうかと思ったが、周囲の「またかよ」的な視線に背中を押される。


結局二人で食堂へ。

列に並びながら、宮沢さんが楽しそうに喋る。


「先輩って、意外と飲むんですね。今日ちょっと顔赤かいですよ?」

「……え、マジで?」

「みんな気づいてると思いますよ?」


そんなに顔に出てたのか、これはちょっと反省しないとな。


「もしかして、お酒で忘れたいことでもありました?」


ニヒヒとイタズラっぽく笑っているが、なかなかに鋭いなこいつ。


「……まぁ、色々とな」

正寿はトレーを取りながら、曖昧に笑ってごまかした。


「ふふーん、怪しいですねぇ。じゃあ今度飲みに行きましょうよ! 私、先輩のこと酔わせて本音聞き出しますから」

「……おいおい、脅しか?」

「褒め言葉ですっ」


宮沢さんの人懐っこさに、胸の痛みが少しだけ和らぐ。

そのとき――視界の端に映った。


安藤さん。

同じ部署の数人と一緒にトレーを持ち、こちらに近づいてくる。

一瞬、視線がぶつかる。


……けれど、安藤さんは何事もなかったかのように、別のテーブルへ進んでいった。


「先輩?」

「……いや、なんでもない」


笑顔で隣に座る宮沢さんと、素っ気なく背を向けた安藤さん。

その対比が胸をえぐる。


健二の言葉が、また耳の奥で蘇る。

――「恋愛なんて最後は“信じられるかどうか”だぞ」


信じるも何も綺麗なに振られてるんだ。

そう……振られたんだ……。


箸を持つ指が、妙に重く感じる。

隣で笑っている宮沢さんの声が、心地いいはずなのに、耳の奥で反響して遠のいていく。


一つの声が囁く。

――「いいじゃないか。振られたんだ。宮沢と楽しそうにしてれば、自然に忘れられる」


もう一つの声が突き刺す。

――「忘れたいのか? 違うだろ。安藤さんを見て、まだ胸が痛んでる。それが答えだ」


うるさい。


切り替えろよ。


長いんだよ。


女々しい。


バカなんじゃないか


魔王になり損ねた俺には、

こうしてウダウダと子供みたいにいじけているだけ。


「先輩、やっぱり元気ないですね?」

「……いや、二日酔いがひどいだけだって」


宮沢さんの声に、かろうじて笑ってみせる。


けれどその笑顔すら、どこか他人の顔みたいだった。


昼休みのざわめきの中、

ただ一人取り残されたような感覚が、じわじわと胸を満たしていく。


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