第五章 そして少女は、世界を疑い

  ①


 四月七日。

「全然だ、駄目ですね……」

「……、」

「ア、アリアス?」

「え、あ、すいません……」

 何してたんだっけ、とアリアスは思い出す。

 そう、確か。

 あまり眠れなかった夜を過ごし、朝起きて。

 とりあえず着替えてリビングへ向かったら、教会にいるメンバー(ディアキ以外)がほぼ同じタイミングに起床していたようで、各々冷蔵庫や食品倉庫から勝手に食材を取り出して朝食を摂っていた。

 アリアスも今日は自分で作る気力はなく、適当にトーストで済ませたところに、ロクが現れて。

「とりあえず、初歩的な魔法を、を、教えましょう」

 と、いうことになった。指導役はグランが一番適任らしいが、彼は『ナチュラル・ユニファケーション』の残党の調査で、まだ教会に戻っていない。

 故にロクが最初の指導を行うことになった。

 そして現在。広いリビングでマイジー、ラウ、シュミート、リリーヤに見守られる中、まずは自分の体内に宿る魔導力を実感するところから始まった。(ちなみに刻斗はみんなが朝食を食べた後、誰一人片付けをしなかったので、自主的にそちらに回った)

 やることといえば、まず座禅のように意識を内側へ向け、集中力を高めるところだったが。

 ロクの指導が入る前に、アリアスはその集中力はガタガタで、全く自分の内側に意識を向けることが出来ない状態であった。

「あの、ごめんなさい」

 アリアスは伏し目がちになって謝罪する。

「ま、まぁ、こういうのは人それぞれです。早い人もいれば、お、遅い人もいます。あ、焦らず――」

「やはり、当面は私の分身体のフォローが必要でしょうか?」

「ふぅん。嬢ちゃんはこういうの、早い方だと思ってたんだがよ」

「アリアスちゃん、もしかして溜まってるの?」

「お姉ちゃんキュイーンってやるんだよキュイーンって!」

 ロクの慰めの言葉は、四人によって遮られた。

「……、あ、あの――」

「というか、お前たち」

 朝食後の全員の食器の洗い物をしていた刻斗が、その作業を終わらせたように台所の水栓を閉め、

「そんなに囲んでいたら、アリアスだって集中しにくいだろ」

 ロクの台詞は、またしても遮られたのだった。


 マイジーは自室に戻ると言い、ラウは執務室へ。シュミートも空気を読んだのかリリーヤを引っ張って自室に待機することになった。

 ロクはともかく、言い出した刻斗だけはリビングに残り椅子に座って携帯端末を構っている。

 あれはあれで「気にしなくていい」というメッセージなのだろうか。

 だが、アリアスは一向に集中出来ず、ロクの言う「自らの魔力を感知する」というのが出来なかった。

 理由は明白だ。

〝あの黄金の夢は何なのか〟

 本当に自分は黄金の紋章の持ち主なのか、あの少年はディアキなのか。

 真実が知りたい。確証が欲しい。そうした雑念が、今アリアスの思考の大半を占めてしまっている。

 だが気づけば、状況が良くなかった。

 自分は今、『赤き竜』の新拠点となっている教会に身を置いている。家具一式は既に運び込まれ、引っ越し作業は昨日の内に終わってしまった。

 そして護衛の強化ということで、今この教会にはディアキ含め、『赤き竜』の面々が自分を囲っている。

(きっと監視も……兼ねている)

 いや、そもそも最初からラウは言っていたではないか。「『赤き竜』はアリアスを護衛、監視していた」と。

 だがそこに「なぜ監視するのか?」と問えばアリアスの欲しい答えは返ってくるのだろうか。 

 結局「特大の魔導力があるから」以上のことは話さないような気がする。

 いや。

(もし、私があの黄金の紋章の持ち主かもしれない。そう勘ぐっていることがバレたら……?)

 どうなる?

 自分には街一つ廃墟にできる程のチカラがある。そう自覚してしまったアリアス・セイラスを、『赤き竜』はどうするのだろうか?

 それでも自分を仲間として扱ってくるだろうか。

 それならまだいいのかもしれない。それなら……。


〝近づくな! 化け物‼〟


(っ……。そんなの――)

 そんなの、あの少年がディアキだったとしたら、仲間として扱ってくれるわけがないじゃないか。

 あの事件の死傷者は一〇〇〇人近く。

 もしも自分がアレを引き起こしたとすれば、それは言い逃れのしようもない〝大量虐殺〟だ。

 記憶がなくなった、なんて理屈で裁かれない道理なんてない。

 あの事件を引き起こし、大勢を死なせてしまった『化け物』である自分なんて。

 それにもしかしたら、自分はディアキの両親すら――、

「ア、アリアス」

 声を掛けられ、思わず全身が強ばる。

 そのまま声のした方へ視線だけ動かせば。

 ロクが、慌てたような、でもなぜかこけた頬が深くなる笑みは崩さない表情で。

「しゅ、集中と思いつめるのは、違います。も、もう少し肩の力を……」

 白髪の少年、刻斗も携帯端末から顔を上げ、こちらに近づいてきた。

「それよりどうした? 顔色が悪くなってる」

 どうやら想像以上に思い詰めていたようだ。蒼白気味にぼーっとしてれば心配もされる。

「いえ、すいません。少し考えごとを――」

 途中で、ハッとなった。

 今目の前にいる人物、御神刻斗は『赤き竜』の人間ではない。

『赤き竜』の人たちに「大規模蒸発事件について調べたい」と言ったら、勘づかれてしまうだろう。

(でもトキトなら……)

 他のみんなには内緒で、どうにかしてあの事件を調べることが出来るのではないか? 

 事件のことだけではない。アリアスを保護、監視している『赤き竜』という組織についても彼に頼んで調査してもらえないだろうか。

 そうしてもらって。

 、裏付けてもらうことはできないだろうか。

「……とりあえず休憩にしないか? こういうのはずっとやり続けても意味がないだろう?」

 刻斗はロクに話し掛けていた。アリアスの為を思っての発言だろう。

「え、ええ。そうですね」

 ロクも異存はないようで、「なら私はい、一度自分の部屋に戻りますね」と気を利かせるようにリビングを出た。

 そのタイミングで、

「あの、トキト」

 アリアスは刻斗に相談事を持ち掛けようとして、

「あれ、みんなもうメシ食ったの?」

 ディアキが現れた。

「っ!」

 アリアスは心臓を掴まれたように顔が引きつってしまう。

 ここで怪しげなことをすれば、ディアキに、『赤き竜』に、即座に疑念を抱かせてしまうことになる。そう思った

「お、おはようございます。みんなもう、朝食終わってますよ」

 しどろもどろだが、なんとかして話を切り返す。

「そうか……って」

 ディアキの視線が、アリアスの近くにいる刻斗へ。

 どこか睨むような表情に刻斗は「どうした?」と尋ねるが、ディアキはそれを無視してすぐにアリアスへと視線を移し、

「その、さ。今日なんだけど、外の空気吸わないか? 一昨日は学校で色々あったし、昨日はここの掃除とかして、その後なんかダラダラしちまったしさ、気分転換も兼ねて」

 外出の提案だった。この教会の外を出られるというのであれば、アリアスにとって拒む理由はなく、むしろ望んでいたことではある。

 しかし、同行する相手がディアキとなると話は別だ。

 今のディアキと一対一で話せる自信が、アリアスにはない。彼が本当は自分をどう思っているのか、どうするつもりなのかが解らなくて。

 それが怖い。

「そ、その、あの!」

 アリアスは殆ど反射的に、刻斗の腕にしがみついていた。

「ト、トキトも一緒にどうですか⁉」

 刻斗を見つめ、なんとかアイコンタクトが飛ばしてみる。

 二人が密着する様を見て、ディアキは少しだけ表情を険しくし、

「なんでオガミと一緒がいいんだよ」

「だって、ずっと助けてもらっていたのに、トキトとじっくり話す機会もなかったわけですし」

 我ながら、それらしいことは言えているはずだ。更に、

「……そうだな」

 どうやらアイコンタクトは通じたのか、刻斗がフォローしてくれた。

「俺もまだここに来て四日目くらいだ。この街のことを知らないわけだし、案内してくれないか?」

「は、はい!」

「タイムタイム! ちょっと、待て!」

 ディアキは二人の方へずんずんと近づいてくる。 

 刻斗を睨む。

「街の案内なんて、そんなの他のヤツに頼め。護衛対象であるアリアスに雑用押しつけてんじゃねぇ」

「……そうは言うが」

「何だよ言い返したいことでもあるのか?」

「あのメンツに『街を案内してくれ』と言っても誰が相手をしてくれるんだ?」

「…………、」 

 ディアキも該当者を思いつかなかったらしい。唯一そうしてくれそうなのはグランだが、まだ教会に帰ってきていない。

 そこへドダダダダ、と誰かが駆け込んできた。

「お姉ちゃん、どっか出掛けるの? 私も行きたい!」

「リ、リリーヤ?」

 コアラのようにリリーヤはアリアスの胴体に引っ付いてきた。シュミートに捕まって部屋で待機させられていたが、とうとう痺れを切らしたらしい。

 彼女の性格からして、同行を拒否すれば駄々をこねてしまうだろう。

 刻斗は同伴するのに特に反対する理由もなく。

 そしてディアキは自分から提案した手前、「やっぱ出掛けるの無し」とするのは気が引けるようで。それに彼は彼でアリアスに用があったのだろう。

 結果、この四人でランディルの街を歩くことになった。


  ②

 

《ご利用ありがとうございます。ランディルステーション行き、まもなく発車致します》

 『赤き竜』の総督であるラウからあっさりと外出の許可が下り、アリアスの魔法の特訓は帰ってきた後か、また後日ということになった。彼女の精神状態が良くないのを、見透かしてのことだろう。

 四人は教会の外に出て、近くのバス亭からバスに乗り、街の中心地の方へ向かうことに。

 なぜステーション行きになったかといえば大した理由はない。

 外出を提案したのはディアキだが、特に細かいプランはなかったらしい。

 ただ、一応刻斗の街案内という名目もあるため、とりあえずランディルの中心地に向かおうという話だ。

 バスの中。

 平日ということもあるのか人はまばら。アリアスたちは後ろの座席へ腰を下ろす。

 最後列にディアキと刻斗。その前の席にアリアスとリリーヤが座っている。

 リリーヤが彼女の隣を譲らなかったため、この配列になった。

 そしてバスは発進する。

「……、」

「……、」

 最後列の二人は互いに口を利かずに沈黙している。

 一方前の席では、

「でね、ネキカシはカイカツを助けることが出来ずに死んじゃったの! キャハハハ!」

「そ、そうなんですね」

 リリーヤは教会の外へ出た時からずっと、自分が気に入っているアニメの話をアリアスにしている。

 しかし、話の組み立てはお世辞にも良いとは言えず、なのに肝心の結末ははっきり言うものだからネタバレ込みであり、「今度見てみよう」とはならなかった。

 ちなみにリリーヤはいつものぶかぶかの赤いローブではなく、明るい色の半袖のTシャツにホットパンツの私服に着替えている。髪型も適当にヘアゴムでまとめたものではなく、アリアスが可愛らしくツインテール風に整えてあげた。

 リリーヤの続けるアニメの話を聞いて、アリアスはとりあえず曖昧に頷きながら、ふと、

(……リリーヤは、どれだけ知っているのでしょうか?)

 アリアスが持っている疑念を、彼女に尋ねてみたらどうかと考える。

 アリアス・セイラスのこと。黄金の夢のこと。『大規模蒸発事件』のこと。

「……、」

「ん? お姉ちゃん?」

 リリーヤは『赤き竜』の一員だが、自分のことを好いてくれている。なら、聞くだけ聞くのはアリなんじゃないか。

 それにもしかしたら、『赤き竜』の意向がどうであれ、リリーヤなら味方になってくれそうな気がして。

「あの、リリーヤ」

 ――普通に考えれば、実はリリーヤはアリアスに対して演技している、騙しているかもしれないという可能性も考えれば出てきそうなものだが、彼女にそこまで余裕のある思考力はなく、

「後で聞きたいことが――」

〝聞こえますか、アリアス、ディアキ〟

 突然、音ではなく直接頭に語りかけるような〝声〟が響いてきた。

〝……マイジー? これは念話か?〟

 ディアキのような声も頭に響いてくる。自分の中に誰かがいるような気がしてアリアスとしては気持ち悪く、酔いそうな気分だった。

〝今、アリアスとディアキにだけパスを繋いで話しています。そのまま何事もなかったようにしてください〟

 どうやら、話し掛けているのは本当にマイジーらしい。これも魔法によるものなのだろうか。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

 タイミングを失い、黙りこくったアリアスに、隣のリリーヤが不思議そうに尋ねる。

「な、なんでもありませんよ。それで、ネキカシはどうなったのですか?」

 リリーヤの反応を見るに、この念話というのは確かにアリアスとディアキにしか聞こえていないのだろう。

 話半分で聞くことになるのを申し訳ないと思いつつ、アリアスはリリーヤに話の続きを促した。

 その声と被さる形で、またも頭の中に直接声が届く。

〝ラウ・グレイランと御神刻斗に警戒してください〟

 その内容にアリアスは後ろを、ディアキは隣を微かに意識した。

〝……どういうことだ?〟

 頭の中の会話ではあるが、ディアキの声色が確かに変化する。

〝「私用」と言って日本から御神刻斗を呼んできたり、ここ数日、ラウの行動に不可解なことがあったので軽く調査していたのですが〟

 微かに間を置いて。

〝ラウはアリアスの国際パスポートと、日本の永住権の許可を申請していました。更に、いつでも発てるようにプライベートジェットの準備まで行っています〟

 つまりアリアスが即座にでも日本に発てるよう、そして住めるように準備を整えている。

 ディアキはチラッと隣に視線を向ける。刻斗は携帯端末を操作して、眺めているだけ。

〝じゃあ、クソジジイが言ってた、オガミにやってもらう「私用」ってのは……〟

 ディアキの疑問にマイジーは言い切った。

〝「アリアス・セイラスを日本へ連れ去ること」でしょう〟

(そんな……)

 衝撃を受けるアリアスだが、マイジー人形の話は続く。

〝ただ、目的は不明です。ラウなりに考え、意味のある行動の可能性はあります。が〟

 アリアスを手中に収めるために、欲を搔いて行動している、という可能性も。

〝何よりアリアスの件に関しては、これまで私が主導で動いてきました。その私に相談なしというのが引っ掛かります〟

「「……、」」

〝とにかく、そんなラウが呼び寄せた御神刻斗にも警戒しておいて下さい〟

 一応ディアキは、ラウが呼んだのは刻斗本人ではないというは聴いている。

 しかし、当のラウがその「私用」を刻斗に頼むかどうか尋ねた時にはぼかしていたことも憶えている。

 一方でアリアスは、疑念の渦に囚われていた。

(刻斗も信用ならないなら、私はどうすれば……)

 自分の過去と取り巻く環境に疑いを持つようになり、刻斗になら相談できないか考えていたのに。その刻斗ですら、自分をどうにかしようと画策しているのかもしれない。

 まさに八方塞がり。そんな言葉がよぎっていった。

《まもなく、ランディルステーション前に到着致します》

「でね結局、マキヤが蘇生してくれて……って、着いちゃった」

 アナウンスと共に、リリーヤもアニメの話を切り上げた。正直ほとんど内容は入ってこなかったのだが。

 バスが停止する。いつの間にかあの「念話」の感覚、自分の内側に誰かが入り込んでいるような異物感が途切れていることに気づく。

 四人は降りる。アリアスとディアキの表情は硬い。

「それで、どこに行く?」 

 だが、そんな空気を知ってか知らずか、刻斗は口を開く。実際彼に対しての街案内なわけだから、観光気分かもしれない。依然として無表情なわけだが。

「テメェはどこか行きたい場所はねぇのかよ」

 ディアキが聞き返す。

 すると刻斗は端末を前に出した。画面には「ランディル国立博物館」と書いてあるホームページ。

「ここが気になる」

 淡々と言うのだから、本当に気になっているのかわからないわけだが。

 そこでディアキが、

「オマエ、さっきまでバスの中で端末をいじっていたが、まさかランディルここの観光名所とか調べてたのか?」

「ああ、そうだが」

 それがどうした? みたいなニュアンス。表情は対して動いていないが、脳天気さのようなものが垣間見えた。

 数分前に「彼を警戒しろ」と言われたディアキは、そのテンションの落差に息を吐く。

「キャハハハ! なんか面白そうじゃん、お姉ちゃん、ここにしようよ!」

 刻斗の端末を覗いたリリーヤはアリアスの腕を引っ張る。

「え、ええ。いいですよ」

 アリアス自身行きたい場所などもない。そもそも本当はそんな気分でもないのだが、外出してしまった以上そうも言えない。

 一行は歩き出す。


 四人は国立博物館がある行政地区の方へ進むためにランディルのマーケット通りを突っ切ることに。

 この通りも一応ランディルの観光名所であり、周囲にアーケード、つまり屋根付きの商店街が集合したアーケード街となっている。

 元はどこにであるような商店街ぐらいの規模だったらしいが、そこから拡大するように様々なアーケードが設立されたという。その成り立ちからして、地元民が好むショップや飲食店から、観光客狙いの風変わりな店まで建ち並び、常に人々を呼び込んでいる。

 耐久性と透明性がある素材で作られた大きな屋根の下、商店街特有の少々騒がしい街路を進んでいく四人。そこかしこで店の勧誘の声を素通りして。

 アリアスの隣には相変わらずミーミルが陣取っており、常に話し掛けている状態。

 その二人に着いてくるようにディアキと刻斗は歩く。バスの時と同様に無言状態であったのだが、気になることがあったのか、刻斗は隣のディアキに視線だけを向ける。

 ギリギリ彼にしか聞こえない声で、

「喧嘩でもしたのか?」

 と、尋ねてきた。

「喧嘩って、誰と誰がだよ」

 ディアキもなるべく声量を抑えて聞き返す。対する刻斗は誰と言わずに、視線を前の二人、特に栗色ブルネットの長髪の少女の方へ移した。

 それだけで言いたいことがわかったのか、ディアキが小さく舌打ち。

(アリアス……)

 彼女の様子がおかしいことはディアキも気づいている。

 昨日、引っ越し作業や魔法という異能を話した時は特におかしな様子はなく、いつもの彼女がそこにはいた。

 なのに今日の朝、初めて会話した時から何やら自分を遠ざけている気がしている。

 そしてよりにもよって、刻斗に意識を向けていたのが、ディアキには気に食わなかった。

 アリアスと自分の関係に、彼は土足で踏み込みに来ている。

 孤児院の頃から始まり、今のアリアスとの関係は自分と、ミーミルや学校の友人たちと紡いてきたものであって。

 なのに突然現れたこの白髪の男は、今日も平然とアリアスの近くに寄っている。それが癪に障ってしまう。

 しかしそれは、彼女を護り切れていない自分に非があることが明白だった。

 アリアスが攫われたあの日も、学校を占拠された日も。

 直接彼女に危機が及びそうになった時、すぐ側に居たのは、助けることができたのは、御神刻斗だった。

 自分は二度もアリアスとの分断を許し、常に後手で、迂闊にも程がある。

 更に言えば、

(オレは……コイツに負けたってことになる)

 アリアスが攫われた廃工場で、ディアキと刻斗は対決した。実際は敵ではなかったが、もし御神刻斗が敵だったらアリアスの救出は失敗。自分だって無事ではなかっただろう。

(アリアスは、オレが護らなきゃいけないのに)

 武器を合わせたその男は、ずっと平然な顔をしている。

 それがディアキには歯痒かった。


  ③


 アーケード街を抜け、アリアス達の学校や大学、裁判所がある行政地区を数分歩いて、国立博物館へ到着した。

「「おー」」

 刻斗とリリーヤは感嘆を漏らす。

 元々はクラシック様式と呼ばれる穏やかな雰囲気で自然史や動物に関する展示物を眺める博物館だったのだが、若者を呼び込むために近頃改修作業があったらしい。

 外観は変わっていないが、内装は最新のプロジェクターを使い、リアリティあふれる映像が立体となって映し出され、迫力ある音響と共に展実物をアトラクションのように演出していた。

「キャハハハ! すごいよこれ! ビッグバン! ビッグバンから世界ははじまったんだよ! キャハハハハ!」

「これは、白亜紀? ティラノサウルスか? すごくリアルだな、本当に映像なのか?」

 テンションが上がって大盛り上がりのリリーヤと、冷静な声で映像の演出に反応を返す刻斗。

 おそらく今日の客でこの二人は一番良い反応を示しているだろう。

 一方で、アリアスとディアキはそんな二人を冷めた眼で見つめながら、互いに口を利かずに沈黙している。

 何を見ても気持ちが乗らない、盛り上がらない。はっきり言えば楽しくなかった。

「……、アリアス」

 先に話し掛けたのは、ディアキ。

「なん、でしょうか?」

 アリアスは歯切れ悪く、俯いて聞き返した。

「何か、不安なことでもあるのか?」

「……、」

「というか、不安だよな。連日狙われて、魔法とか色々詰め込まれて。混乱させちゃったよな」

「そう……かもしれません」

 ここ三、四日間、怒涛だったのは確かだ。ディアキの言う通り、これまでの自分の日常を壊すような事件や事実を目の当たりにし、詰め込まれ、思った以上にナイーブになっているのかもしれない。

「なぁ、今日はそういうの忘れてパーっと遊ばないか?」

 なるべく気楽に、茶化すような口ぶりでディアキは言う。

「この間さ、ミーミルと三人でケーキが美味しいカフェがあるって言ってたろ? 下見ってことで後で行ってみないか?」

 アリアスの裡に、心地よい揺らぎが生じた。

 立てこもり事件からまだ二日程しか経ってないのに、なんだか久しぶりと思えるくらいに親友の名前を聞けたこと、あの馬鹿馬鹿しいドッチボール大会があって、それが終わった後にした、なんてことのない約束を思い出して。

 彼女の口角が少しだけ上がる。

「……確か、グラン先生に提出するレポートを手伝う代わりに、連れて行ってもらう約束でしたね。ミーミルと一緒に。レポートは進んでるんですか?」

「え、あのレポートって、時効になってないの?」

「……どう、でしょう。グラン先生の性格的に、レポートは提出させるような気がするんですが」

「ジーザス。な、ならレポートを手伝う件も時効にはなってないよな?」

「え?」

 アリアスは顔を上げた。瞳に映るディアキにシリアスな仕草などなく、家や学校でよく見る怠け者の姿だった。

「頼む! カフェでもなんでも奢るから、ミーミルが退院したらレポート手伝ってくれよ」

「……、」

「多分猶予は学校が再開するまでだな。それまでに終わらせれば……」

「そう、なるんでしょうか?」

 アリアスの言葉に、今度はディアキが「え?」と反応する。

「ミーミルが退院して、学校が再開して、またいつものような日常を送ることができるんでしょうか?」

「当たり前だろ」

 ディアキはいつもの調子で、そう答えた。

「なんなら学校が始まる前に、どっかでミーミルの見舞いにでも行くか? 多分もう元気にベッドで不貞寝してるぞアイツ。レポートの件を伝えたら、どんな反応するだろうな?」

「……、」

「あ、どうせだから、退院祝い用になんかプレゼントでも用意するか? アイツの場合、洒落たものより菓子とかの方が喜びそうだが……」

(……、変わってない)

 今まで一緒に過ごしてきた、ディアキ・スライグがそこにいた。

 面倒くさがり屋で、お調子者で、だけど本当は優しい。

「ディアキは、ミーミルのどこが好きなんですか?」

「ハァ!?」

 アリアスの突然の言葉に、ディアキは大口を開けた。

「待て待てなんでそうなってんだ?」

「好きじゃないんですか?」

「いや、そういうわけじゃないが、別にオレは――」

「好きなところがないのに、ミーミルと仲良くなったんですか? それは、私があのと仲良くなったからですか?」

 アリアスの瞳は微かに揺れていた。

「その、任務だったから、とかで……」

「……あのな、前にも言っただろ」

 その眼差しが何を訴えたいのか、何がアリアスを不安がらせているのか、ディアキにはわからない。だが、

「オレは、そこまでオマエを騙せないよ。勿論ミーミルだって」

 はっきりと、そう答えた。

「アイツと仲良くなれたのは、単純に、アイツが良いヤツだし、一緒にいて楽しかったからだ。だからアリアスも、ミーミルが好きになったんだろ? オレも同じだよ、任務なんかじゃない」

(……信じたい)

 感情が溢れてくる。

 結局、アリアスの胸裡に眠るのはそれだった。ディアキを信じたい。自分がずっと見てきた彼が、一緒に過ごしてきた彼こそが、本当のディアキなのだと思いたい。

 だからこそ、あの黄金の夢は何か間違えであってほしい。

 ただの夢で、『大規模蒸発事件』とは関係なくて、自分とディアキには無関係だったという確証が欲しい。

 そしてずっと……、ずっとディアキと一緒にいたい。

 たったそれだけの願いがアリアスの胸を波打つ。

「あー! お姉ちゃん、まだこんなところにいたの?」

 ディアキに対してなんて言葉を伝えればいいか迷い始めると、先行していたリリーヤが戻ってきてアリアスの腕を掴む。

「ここ面白いものいっぱいあるんだから! 早く一緒に見て回ろうよ!」

 キャハハハと笑うリリーヤに引っ張られ、アリアスは博物館の奥へ進む。表情を少しだけ柔らかくして。


  ◆


『赤き竜』の新拠点である教会。

「……、」

 その執務室にはラウが座っており、アリアスの日本永住権の許可に関する書類を見つめていた。

 そこへ扉のノック音。

「おう」

 書類を引き出しにしまいながら横柄な返事をする。

 現れたのは、『ナチュラル・ユニファケーション』の残党を調査中だったグランだった。

 咥え煙草で部屋に入るが、ラウはそこに関して特に言及することはない。彼も喫煙者だ。

「帰ってたのか」

「ついさっき。それより報告したいことと、聞きたいことが」

 煙草の煙を吐きながら、グランはまず報告を行う。

「マイジーに関して」


  ④


 一階にあるアトラクション演出重点の展示コーナーも一通り見て回り、アリアスたちは上の階へ向かっていた。

 二階のコーナーは、下の階とは打って変わって静かな雰囲気に、主張し過ぎない音楽が流れている。プロジェクター等も見当たらない。

 展示品も絵画や彫刻、陶器などの貴重なコレクションが並んでおり、ゆっくりと鑑賞していく美術館のような様相となっている。

 こういうのに関心があるのか、リリーヤはアリアスの側を離れ、はしゃぎもせずに作品一つ一つを静かに没頭するように眺めていた。

「……意外だな」

 呟いたのは刻斗。

 グッズを買い占めた袋を腕に通して、両手にはこの博物館のマスコットぬいぐるみが一つずつ握られている。

 アリアスからすれば刻斗のそのはしゃぎっぷりも意外でしかないが。

 近くにいるディアキもため息をついている。

「それで」

 刻斗は二人を見て言う。

「結局お前たちはどうしたんだ?」

「「……、」」

 アリアスの様子がおかしいことには気づいていたのだろう。というかディアキが外出に誘った時に、アリアスは咄嗟に刻斗にアイコンタクトを飛ばし、助けを求めていたわけだし。

 だからといって直球で聞いてくるのはどうだろうか、とアリアスは思う。

 だが刻斗からすれば、ディアキは護衛対象であるアリアスの側を離れないから、もう二人に直接尋ねるしかなかった。

 ディアキは何度目かわからないため息をついて、

「この際だから聞くが、オマエの方こそ結局何者なんだ?」

 もういっそといった感じで刻斗に率直に問う。

「……アリアスの味方だが」

 無表情で答える刻斗。

「クソジジイに何を頼まれている?」

「ラウのことか? アリアスの護衛とか、それ以外にも諸々の助けになるよう指示されている」

「本当にそれだけか?」

 ディアキは視線を鋭くさせた。

 マイジーの「念話」によって、『赤き竜』の総督であるラウがアリアスを日本へ連れて行く準備を進めていることがわかった。

 そしてラウがその日本から呼んだ男が、この御神刻斗だ。

「……まだ疑われているのか」

 呆れたような口調で刻斗は言葉を返した。「お前も俺を疑っているのか?」と言いたげな視線を向けられ、アリアスはつい俯いてしまう。

「というかラウを警戒しているのか? あいつは『赤き竜』の総督だろ?」

「だーもーいいから答えろよ!」

 ディアキの言葉にはわかりやすい程に苛立ちが込められていた。

 刻斗は簡潔に回答する。

「別の指示は特にない」

「……本当か?」

「何か確証でもあるのか?」

「もしそうで、クソジジイがアリアスに危害を加えようとしているなら、テメェはどうするつもりなんだよ?」

「お前たち側に着くかもな」

 結局は状況よりけり、そんな曖昧な回答だった。そこから「ただ……」と付け加えて刻斗は発言を続ける。

「多分、お前の考えすぎだ」

 あっさりと、そう言ってのけた。

「考えすぎだと?」

 あまりに率直な言葉にディアキはつい聞き返した。

「ああ。ディアキも、ラウも、あとマイジーと、それからアリアス、お前もだ」

(私も……?)

 それは、今アリアスが抱えている不安を看破しての発言なのだろうか。

「なんとなくだが、しょうもないオチだと思う」

 なぜそう思うのか。やはりラウから何かしら聞いているのか。あるいは外部の人間故に見える構図があるのか。

「うーん、もういいや。ねぇ次どこ行くー?」

 そこで展示物を見入っていたリリーヤが、飽きたようにそう言ってこちらに合流する。

「もういいのか?」

 刻斗がそう尋ねると、リリーヤは頷いた。

 話は中途半端に終わってしまったが、先程の会話をリリーヤを交えて一から話す気は、三人ともなかった。

「……一回外に出るか」

 と、提案する刻斗。誰も反対はしなかったので、まずは下の階へ降りる。

(……考えすぎ、なんでしょうか)

 あの黄金の夢を見て、色々と疑心暗鬼になってしまったが、ディアキは自分を案じてくれている。

 経緯は偶然だが、リリーヤは自分を慕ってくれている。シュミートも自分を認めてくれた。グランは元から信用できるし、ロクだってあの中に混じっているならきっと善人なのだろう。

(本当に大丈夫……?)

 あの夢が何なのか、『大規模蒸発事件』の詳細も、未だ解らないままだ。

 ただ、やっぱり何も関係なんてないのかもしれない。アリアスの中で徐々に不安が掻き消されていく感覚があった。

 博物館のエントランス。四人はドアをくぐり抜けて。

 

 突然、アリアスを静止させるようにディアキが手を前に広げていた。


「え……?」

 刻斗は手に持ったグッズを下に落として、竹刀袋を持って警戒しているように見える。リリーヤだけは余裕を物語るように呑気な姿だ。

 空はいつもの間にか、雲に覆われている。

 その景色の中、アリアスも違和感に気づいた。

 静かすぎる。そして、人がいなさすぎる。

 確かに今日は平日で、この場所はあまり人が集中しない行政地区だ。が、だとしても人っ子一人いないのはおかしい。

「どーーーーもーーーー!」

 脳天気な声が伸びてきた。

 いつの間にか目の前には、祭服のようなものに身を包んだ男性が恭しくお辞儀した状態で立っている。

「初めまして、アリアス・セイラス様。ワタクシ、『神衛しんえい教会』枢機卿の一人、ヒカタと申します、はい」

 廃工場へ攫ったギャング集団や『ナチュラル・ユニファケーション』に続く、三度目の刺客。

 ヒカタと名乗った男性が顔を上げる。白と金の装飾が施された、神聖そうな服装を身に着けている。しかし対照的に、その面は軽薄そうな笑みを浮かべていた。

 彼は両手を広げ、

「お向かいに上がりましたよ、アリアス様。さぁ、こちらにおいで下さい」

 対し、ディアキが応答する。

「……一応聞くが、味方ってわけじゃないよな?」

「いえいえ、貴方様の味方でもありますよ、ディアキ・スライグ様。そこのちんちくりんや、白髪は存じ上げませんが、はい」

 まさか自分の名前まで出るとは思っていなかったのか、ディアキは少し驚く。ちんちくりんと呼ばれたリリーヤは「キャハハハハ」と笑い、刻斗は静観している。

 更にヒカタは、驚くべき事を口にする。

「なにせ、〝あの事件〟の当事者であるお二人です。慎重におもてなししなくては」

(え?)

「っ、黙れ!」

 瞬間、ディアキは駆けた。ロッドを呼び出し、片手剣セイバーへと変化させ斬りつけに行く。

 しかし、剣は空振り。ヒカタはいつの間にかディアキの真横へと立っている。

「キャハハハ! ディアキの下手くそー!」

 言って、リリーヤは手を掲げる。

魔道具生成ウェポン・メイク

 リリーヤの後方に巨大な口径の銃身が複数現れ、ヒカタへと放たれた。

 撃ち出されたのは、弾丸ではなく魔力による高密度のエネルギー弾。更にそれぞれ別の属性が付与されている。

 ヒカタの方へ、全て着弾。爆発と共にコンクリートの地面は抉れる。というかディアキをも巻き込んでしまっていた。

「テメェも、もっと正確に狙えないのか!」

 少々煤けた状態で、ディアキは横から飛び出てきた。

「いやはや、危ないですねぇ」

 声は、爆発とは別の方向から聞こえた。視線を向ければ、そこにはヒカタがノーダメージで佇んでいる。

「キャハ、キャハハハハ! 何それ! どうやってんの!」

 またも避けられたことになるが、それに対しリリーヤは新しいオモチャを見つけたかのように笑いを増す。

 更にガチャン、と後方にある銃から、ギアとギアを噛み合わせたような音を立てる。

「ワタクシ、戦いに来たわけではないのですが、はい」

 そんな物言いだが、ヒカタも笑みを崩していない。

「アリアス様。是非我が教会へいらして頂きたい。そして願わくば、貴女様の持つ聖なる光で、我らが信徒と、迷える人々を導いてもらいたいのですが」

 ディアキがスマリオに近づき、セイバーで斬りつける。

 ガガガッ! と見えない壁のようなものに遮られ、刃はヒカタに届かなかった。

「……何の話ですか?」

 ヒカタの言葉によって胸がざわつき、アリアスは思わず尋ねていた。

「おや? まさかご存じでないのですか? ディアキ様がそばについているのですから、てっきりもう知っているものかと」

「お姉ちゃん?」

「アリアス、聞くな!」

 リリーヤとディアキがそれぞれ呼びかけるが、アリアスの耳に届かない。いや、届いているが、通過するだけだった。

 いつの間にか。音もなく、ヒカタはアリアスの目の前に移動していた。

「貴女様に宿るチカラの話ですよ。六年前に見せたあの奇跡を、威光を世界に示していただきたいのです」

 ヒカタは深く嗤って、


「『大規模蒸発事件』を引き起こした、あの黄金の光。『禁術儀装きんじゅつぎそう』についてです、はい」


 ヒカタに向け、刻斗の長剣が振り下ろされる。

 ディアキ、リリーヤ同様に、攻撃が当たることはなく、いつの間にかヒカタは数歩下がった場所へ移動している。

 アリアスは、瞠目している。

 ヒカタの言葉を要約すれば。

 つまり、そしてやはり、『大規模蒸発事件』は、

「私のせいで、引き起こされた……?」

 動揺するアリアスを背に、刻斗が若干声を張り上げた。

「ディアキ、リリーヤ、アリアスを連れて教会に戻れ」

 刻斗は剣を構え、

「ここは俺が引き受ける」

「オガミ……!」

 目の前の敵を、しかもアリアスの心を抉った相手を置いて逃げろと言われ、ディアキは反発しそうになるが、先に刻斗が言葉を紡ぐ。

「こいつとアリアスを引き合わせる方が良くない。俺は信用されていないわけだし、お前たち二人でアリアスを教会へ送ってやれ」

「……リリーヤ行くぞ!」

 ディアキは虚ろな眼をして立ち尽くしているアリアスを抱え、スケボーのようにロッドに乗って空を飛んだ。

「……ぶー」

 リリーヤはオモチャを横取りされたかのように頬を膨らます。だが、アリアスのそばを離れる方が嫌だったのか、大きな円盤のような魔道具を出現させ、その上に乗ってディアキの後を追った。

「ふむ……」

 ヒカタは対峙する刻斗に興味がないようで、一瞬で決着をつけようとし。

 シュッ!

 刻斗の刃が、ヒカタの腕に傷を与えた。

「あれ、もしかして私を〝捉えてます〟?」

「……〝認識阻害〟だろ。もうわかった」

 自分の能力の一部を見破られ、好奇心が刺激されたかのようにヒカタは刻斗を視界に収めた。

 白髪の剣士は無表情のまま、柄を強く握る。

「色々と聞きたいことがある」


  ◆


『赤き竜』の拠点である教会。

 マイジーは苛立ったように眉を潜めた。

(勝手に『禁術儀装きんじゅつぎそう』の名前を持ち込んで。やはりあの男をありませんでしたね。予定が大幅に狂ってしまった)

 教会の中にいるはずなのに、彼女はなぜか外出しているアリアスたちの行動を把握していた。

「どうした? 何か都合が悪いことでも起きちまったか?」

 声を掛けたのは、ラウ・グレイラン。いつもは楽しげな笑みを浮かべている老年は、厳格な顔つきでサングラスの奥からマイジーを見つめている。

「……いいえ、なんでもありません。それで、用とはなんですか?」

 ラウに呼び出され、マイジー訪れているのは、以前アリアスの〝審議〟の時に使われた部屋だ。

 裁判所のように中心に置かれた少し低いテーブル。前方には裁判官が座るような大きな壇上。それらを囲うように配置された観覧席。

 それは「弾劾だんがい部屋」と呼ばれる、有罪ありきで相手を裁く、古いしきたりから生まれた部屋だ。

 だが、マイジーもラウも特にどの席に着くというわけでもなく、互いに同じ目線で対峙している。

『赤き竜』の総督と、その組織の監査役。

 役職上、この二人が顔を見合わすのは何も珍しくはない。そして長い付き合いでもある。

 だが、今両者の間には一歩も引く気配がないように空気が張り詰められていた。

 ラウは口を開く。

「マイジー、腹を割って話さないか?」


  ⑤


 ランディルの曇り空の下、呆然としているアリアスを抱きかかえ、ディアキは滑空していた。

 雨が降る気配はないが、不快感を帯びた湿気がディアキたちを粘膜のように包もうとする。

 円盤型の魔導具に乗ったリリーヤが、二人に追いついた。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

 アリアスは蒼白した顔で、うわごとのようにぽつぽつと言葉を漏らす。

「私……、やっぱり私が、あの事件を起こして、色んな人を……」

「あんなの戯れ言だ! 本気にするな!」

 ディアキはアリアスの言葉を掻き消すように声を張り上げる。

 だが、彼女には届いていない。

 昨夜、あの黄金の夢を見てからずっと抱えていた不安。

 自分があの事件を起こしたのではないかという疑念が、現実として突きつけられてしまった。

 多くの人間の命を、自分は奪ってしまっていたのだ。

「お姉ちゃん……」

 そんなアリアスを見つめて。

 リリーヤは不思議そうに語りかけた。

「そんなの気にする必要ないじゃん。死んだのって、どうでもいい人たちでしょ?」

「っ――!」

 その言葉はバチッ! と稲妻に打たれたかのようにアリアスの脳天を刺激し、

「どうでもいいわけないでしょう!」

 様々な感情が暴発してしまった。

「お姉ちゃん?」

「アリアス! おい黙ってろクソガキッ!」

「たくさん! たくさん人が死んでしまった! 殺してしまったんです! なのに、何で私はのうのうと生きて! っ、離して! 離して下さい!」

 もう少しで教会にたどり着くというところで、ディアキに抱きかかえられたアリアスは駄々っ子のように暴れた。

「アリアス、落ち着――」

 ディアキの顎に彼女の裏拳が入ってしまい、体勢を崩れる。

「お姉ちゃん⁉」

 両腕からアリアスは剥がれ落ち、数十メートル程の上空から振り落とされた。

「クソッ」

 ディアキは猛スピードで、アリアスより速く降下。

 地上まであと五メートルもないところで彼女を抱きしめるようにキャッチ。だが、上手く上昇出来ずに、慣性のまま落下する。

 アリアスを守るため、なんとか地面に背を向けて、地面に衝突した。

 魔力で身体を強化していたので大した怪我はない。アリアスも無傷であった。

 ディアキは身体を竦ませていたアリアスの胸ぐらを掴む。

「バカヤロウ! 死ぬ気かオマエは!」

「死んだ方がいいに決まっているじゃないですか!」

 自分の心臓を抉っているかのような、そんな声。

「私なんて! 生きていいわけないじゃないですか! 本当はディアキだってそう思っているんでしょう⁉」

「ふざけるな! オレがいつそう言った⁉」


「だって、私はディアキの両親も殺しているんですよ⁉」


「っ⁉ 違う!」

 身を硬直させたディアキだが、すぐに否定。

 リリーヤもアリアスたちの元へ追いついていたが、その剣幕に口を挟めず。

「違いません! ディアキの両親もあの事件で亡くなったのでしょう⁉」

「違う! 言っただろ、元々オレは赤ん坊の頃から『赤き竜』に、預けられてて、護衛対象のオマエに近づくために記録を改竄した! オレはあの事件に関係ない! オレに両親なんていない!」

 確かにディアキが『赤き竜』の一員とわかったあの〝審議〟の日。彼はそう言っていた。だが、

「嘘、嘘です、そっちが嘘なんでしょう⁉ ディアキだってあの事件の、あの場所にいた!」

「違う! あのヤロウが言っていたのは全部デタラメだ!」

 ヒカタが言っていた「二人は事件の当事者」という台詞を、アリアスが引きずっているものだとディアキは思った。

 だが、厳密には違う。

「ディアキはあの場にいました! 私もあそこにいて、ディアキは私に、私に……!」

 ――アリアスには突きつけられた記憶ゆめがある。


〝近づくな! 化け物‼〟


「っ! 私は『化け物』なんです! ディアキだって本当はそう思ってたんでしょう! 私なんか死んだ方がいいって‼」

「何の話だ! オマエを『化け物』だなんて、オレはそんな――」

 二人が言い争う、そのすぐ近く。


 轟! と、突如大きな火柱が上がった。


 その出所は、すぐ近くの、『赤き竜』の教会がある方面。

 まるで六年前の事件の小さな再現のように。

 雲を突き刺して天に伸びる炎は、神々しく。

 言い争っていたアリアスとディアキ。リリーヤも、その痛烈なる閃光に一瞬で魅入られた。

「フフフ、フフフフ、フヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

 そしてその奥から、下劣な笑い声が響き渡ってきた。


  ⑥


 火柱が上がる、数刻前。

「マイジー、腹を割って話さないか?」

 相手を糾弾するためだけの間、弾劾だんがい部屋。

 議場机があり、観覧席があり、被告人の証明台がある。

 そんな場所で、ラウは紅髪あかがみの女性に対して口火を切っていた。

「腹を割って、とは?」

「……『ナチュラル・ユニファケーション』のリーダー、ピエファトを尋問したのはお前さんだったな」

「ええ」

「確か、『アリアスの情報はダークウェブの掲示板によって拡散された』ってことだったが」

 マイジーは確かにそう報告した。アリアスにも刻斗にも大浴場でそう伝えた。

「グランからの報告でよ、ナチュラル・ユニファーションの残党が吐いたそうだぜ。『そんな掲示板は知らない。アリアスの情報の出所はある女性に直接教えられた』ってな。……マイジー」

 一拍置いて。


「お前さんがアリアスの嬢ちゃんの情報を流したんじゃないか?」


「……証拠は?」

「ないな」

 あっさり認める。

「ただ、別の推論があってよ」

「なんでしょう?」

「嬢ちゃんの学校の結界が上書きされただろう?」

「ええ」

 非ESP使いによって構成されたテロリスト集団、『ナチュラル・ユニファケーション』が引き起こした『ランディル・セカンダリースクール立て籠もり事件』

 犯行が行われる際に、何者かによって結界が学校全体に敷かれ、アリアスを含んだ生徒、教員たちが閉じ込められた。

 ラウは言う。

「元々あの学校は護衛対象であるアリアスの嬢ちゃんが通う場所ってことで、防衛用の結界魔法を施していたはずだ」

「そうですね」

「だが、『ナチュラル・ユニファケーション』の連中は結界に感知されずに校舎に入り込み、あまつさえ結界を上書きして、嬢ちゃんたちを押し込めた」

「……あのチャンチャンという、呪符使いの仕業です」

「いや、違う」

 言い切って、

「上書きされた結界の術式の系統や構造は、チャンチャンの呪符とは別のものらしい。まして気功使いのハンリという者のでもない。グランが調べ上げた」

 汎用魔法の使い手であり、故にチカラの重ね合わせや相反作用などに精通しているグランは、そうした複雑な術式、異能を紐解く〝解析〟も得意だった。

「で、だ。防衛用の結界をすり抜けて仕掛けてきたのが、あの呪符使いや気功使いじゃなかったとしたら、誰がウチの結界に干渉出来たのかってなる」

「それが、私だと?」

「消去法でな。そもそも結界魔法に干渉するってのは、その魔法の性質や術式を知っている方がやりやすいだろ?」

 つまり、まずはっきり言って身内が怪しいということになるが。

「消去法とは?」

「俺は『赤き竜』のメンツの魔法は大体把握している。グランもだ。ただ一人、お前さんを除いてって条件付きでよ」

「……、」

 仮にグランが結界を組み上げれば、あるいはディアキが仕掛けを施せば、ラウならばすぐ見抜ける。

「貴方が寄越した御神刻斗の可能性もありますよ」

「おっと、それは失念していたぜ」

 口では言うが、焦っている様子はない。マイジーの犯行だと確信しているからであろう。

「第一、私はあの学校にはいませんでしたよ。貴方たちと一緒にロンドンで襲撃を受けていたでしょう?」

 立て籠もり事件の同日、『ナチュラル・ユニファケーション』による別部隊によって、ロンドンにある『赤き竜』の拠点は襲撃された。そこにラウとマイジー、赤き竜の面々はいた。

「おいおい、その反論は自分の首を絞めちまうぜ。アリアスの嬢ちゃんのそばに分身体がいただろう?」

 マイジー本体が現場にいなくても、分身体であるマイジー人形を操作して結界魔法に細工を仕掛けることは可能だと主張する。

 ラウは「そもそも上書きされた結界によって各教室ごとが封鎖され、生徒たちは閉じ込められた状態になったのに、アリアスの嬢ちゃんと分身体がいた保健室だけ、普通に開け閉めができた状態だったらしいじゃねぇか」と語る。

 そのまま話を続ける。

「なんならよ、『ナチュラル・ユニファケーション』のリーダー、ピエファト。あとアリアスの嬢ちゃんを廃船の廃工場へ攫ったギャング集団に話を訊いてもいいか?」

「貴方自ら尋問すると?」

「おうよ、『本当に闇の掲示板を見つけて、アリアス・セイラスの情報を掴んだのか』ってな」

 マイジーは眼を細めて、「ええ、いいですよ。ただ、彼らは『そうだ』と答えると思いますが。」と断言する。

 それを聞いた上で、ラウは答えた。

「そうか。まぁピエファトもギャングの連中も実はお前さんが尋問する前に一足早く、こっちで話を訊かせてもらったんだがな。『フードを目深に被った紅い髪の女性から情報を貰った』って両方とも答えてくれたぜ」

「……、」

「……なんてな」

「……証拠はないのでは?」

「おう。俺が訊いたってだけだからよ。特に記録もしてねぇし、不思議なことにあいつらも?」

「……、」

「……、」

 両者沈黙。そして。

「……呆れましたね」

 マイジーが折れたようにため息をついた。

「何がだ」

「過保護過ぎます、貴方もグランも。貴方たちが本気になっても仕方ないでしょう。本当はアリアスやディアキに辿り着いて欲しかったのですが」

 白状した。ちょっと逆ギレ気味に、ふてくされて。

 その様子を見てラウも「はぁーーー」とわかりやすくため息をついた。

 口の空いた風船のように、張り詰めた空気が一気に流されていく。

 ドガッ、とラウは議場机に身体を預け、

「お前さん、何がしたいんだ?」

「いずれ来る戦いに向けて備えればならないのです」

 マイジーはある単語を口にする。


「『禁術儀装きんじゅつぎそう』」


 それは、魔法の単語ではない。そしてESPイーエスピーでもない。どの異能の、どの能力者にも当てはまらない。

 それは、真の意味でアリアス・セイラスに眠る強大過ぎるチカラである。


「〝彼女の左手〟を巡って世界は大きく動くでしょう。我々も、彼女も、それに対抗しなければならない」

 マイジーは天井を見上げる。

「ディアキはアリアスに戦って欲しくないようですし、実際彼女には酷な話ですが、これは避けられようのない運命なのです」

「……だからこんな茶番劇を用意したっていうのか? アリアスの嬢ちゃんにチカラの自覚と覚悟を持って貰うために」

「そうです」

 マイジーは頷いた。

「そのためにアリアスには『赤き竜』の一員となってもらいました。そして徐々に戦いの空気を感じ取って貰う。ここまでが『ナチュラル・ユニファケーション』の襲来ですね」

「……で、次に戦い方の指導か?」

「ええ。とはいえ、いきなり『あのチカラ』を解放するのはリスクが大き過ぎます。だからこそ、彼女に魔導力をのです」

 そしてまずは〝魔法使いとして〟戦いを学んでもらおうとした。

「そうしてアリアスには成長してもらい、同時に徐々に明かされるヒントと私が流した嘘をディアキと二人で見抜いて欲しかった。そして最後に〝私が〟立ちはだかる。そういうシナリオだったのです。故に他の者は信用しないよう、釘を刺しておいたのですが」

 そうしないと、仲間が多すぎてイージーモード過ぎるから。現にアリアスたち抜きでラウとグランが事の黒幕を解き明かしてしまったし。

「……なんてこった」

 今までの危機は、裏でコントロールされた箱庭での出来事だった。

 それもいざとなればマイジーや『赤き竜』の面々が簡単に介入できるもの。つまり最悪の事態は引き起こされないよう慎重に、それこそ過保護に行われていたものだった。

「ですが、予想外のことが二つ起きてしまいました」

 指を二本立てる。

「予想外?」

 ラウが問うと、マイジーは彼を少し睨む。

「貴方が呼んだあの御神刻斗というイレギュラーの介入です。本当に何なんですか、彼は」

「あー、アイツはだな……」

「……まぁ、大方の予想はつきます」

 ラウが彼を呼んだ理由も、なぜアリアスの日本への永住権を用意していたのかも想像はつく。

 ラウはラウで、マイジーが密かに動いているのを察していた。だからもし、マイジーがアリアスを使って何かしら企てているようなら、最悪刻斗と連携を取ってアリアスを日本へ連れ去ろうと考え、準備をしていたのだろう。

 なぜ『赤き竜』のメンバーやディアキではなく日本から刻斗を呼んだのかといえば、マイジーが他の面々とも繋がっている可能性を危惧していたとかそんなところだろうか。

「それで、二つ目は?」

 負い目があるのか、ラウは話を次へ進めようとした。

「……、今、起きてしまっています」

 今度はマイジーが頭の痛い話だと言うように、顔をしかめた。

「私の協力者がバカをしました。段取りが滅茶苦茶です」

 マイジーは『神衛教会』と、いや、ヒカタ枢機卿と個人的な繋がりがある。

 故に敵役になるよう協力を打診したのだが、あのバカがいきなりアドリブかましてしまった。

 そもそも『禁術儀装きんじゅつぎそう』という単語そのものが極秘事項だというのに。

「それに、アリアス自身が自分のチカラと、あの『大規模蒸発事件』の真相に思いのほか早く気付きかけてしまっている。精神がかなり不安定になってしまっていました」

 これもマイジーの想定よりも大分早かった。

 とはいえ、『大規模蒸発事件』が起きたこの時期になるとアリアスは毎晩うなされながら、トラウマとなっている記憶を夢として見ている。その事実を、実はマイジーは把握していた。だから、いずれああいう状態になるのは推測出来ていたが。

 アリアス・セイラスは、まだか弱い少女でしかない。

 ましてあの真相は、アリアスとディアキにとって根幹となる部分。慎重を期さなければ、運命云々の前に彼女の心が折れてしまう。

(だというのにあの男はいきなり核心を突いてきた。やはり彼に任せるべきではありませんでしたね)

 ヒカタが胡散臭さの塊なのはマイジーも承知していた。とはいえ、そこらのギャングやテロ組織ではやはりディアキたちの敵になり得ないわけだし、難しいところだ。

 マイジーは「この件に関しては早急にケアが必要です」と語った。

 心なしか、そう語る赤髪の女性はまるで、娘を案じるかのような顔つきを一瞬見せる。


 まさしく〝しょうもないオチ〟だった。


 マイジーもラウもアリアスを中心に物事を考え、動き、結果互いに怪しいと訝しんでいただけだったのだから。

「……まったく馬鹿げた話だ。ク、フフフ」

 ラウはそこで破顔する。全てのピースがハマり、笑うしかなかったのだろう。

 マイジーは言う。

「今、アリアスとディアキ、それにリリーヤがこっちに帰って来ている途中です。ここまで来たら、正直に打ち明けましょう。ラウ、貴方は御神刻斗に連絡を入れて下さい。こちらも協力者の方を止めますので」

「フフフ、ああそうだ」

 ラウはツボに入ったらしく、しばらく笑いが絶えない様子で――、


「フ、フフフフ。もう、茶番は終わりしよう」


 彼の声色が、いや声そのものが変化した。

 声だけではない。ラウの姿は一瞬で熔け、ある男へと姿を変えた。

 突然のことで、マイジーは眼を丸くする。

「……、貴方は」

「フフフ、初めまして」

 ランディルスクールの非常勤教師。そしてもう一つの顔として、闇ブローカーの姿を持つ男。

 レンリー。

 仕立ての良い黒いスーツに身を包んだ彼がそこに立っていた。


  ◆


「……今の今までラウに変装していた、というわけですか」

 平静を装い、いや、平静を取り戻そうとマイジーは状況の確認を行う。

 レンリー非常勤教師。実は裏世界側の人間であり、闇商取引の仲介役というこの男。

 そして立てこもり事件の際に、いつの間にか姿を消していたのは聞き及んでいる。ただの小物と思っていたが……。

「ああ。私は『変異』のESP使いでね、フフフ」

 相手はあっさりとネタばらしをする。

 変異。

 なるほど、それで自分の姿をラウに変えていたわけだ。

「非常勤教師が闇売人というのも驚きですが、まさかESP使いでもあったとは……」

「フフフ、知ってるか? ESP使いは常に微弱なESP反応を漏らしていて、それを検出することによって能力の有無を確認できるわけだが」

 トントンと自分の胸を指で叩く。

「これ、留める方法があるんだよ。そのすべを身につければESP使いはチカラを隠せるし、勿論検査機にも引っ掛からない」

 だから今まで自分がESP使いだったことは露呈しなかった、と言いたいのだろう。

 そんなことはマイジーも知っている。裏の世界では常識だからだ。

 だが情報を引き出すために、あえて敵の言葉を傾聴する素振りを見せる。

「それにしてもあの『赤き竜』も内部は脆いものだ」

「いつ、この教会に忍び込んでいたのですか?」

「ついさっき。まずグラン先生に化けて、堂々と正面から入らせてもらった。ああ、グラン先生は彼が『ナチュラル・ユニファケーション』の残党調査中に不意打ちさせてもらったよ」

 議場机にもたれかかり、世間話のように語る。

「その後、ラウの執務室に入って、彼にも不意打ち決めて今に至る。フフフ、意外と簡単だったな」

(なんてこと……)

 レンリーの言っていることが事実だとしたら、二人の生存は絶望的だ。たった一人の、しかも化けるしか能のない男に組織の長と優秀な魔法使いがやられてしまった。

「なぜ、ラウしか知らないことを話せたのです? 『変異』というESPは変異した相手の記憶もトレースできるのですか?」

「ん? ああ、〝マイジーがアリアスの情報を流している〟云々の話か。フフフ、流石に私の能力はそこまで凄くはない」

 やれやれ、と表すように手を振っている。

「グラン先生の姿でラウに問いただしてみたら、彼はあっさりさっきの話をしてくれたよ。グラン先生を信用していたのか、単純に身内に弱いのか。それと細かい情報なんかは、執務室を漁ってなんとなく読み解いた、といったところだ、フフフ」

「……、貴方は一体」

「俺の正体か? 特に決めていないな。フフフ、色んな〝顔〟は持ち、小遣い稼ぎをしてその日その日を生きているだけだ。ああ、だが非常勤教師は存外楽しかったから、あの学校に戻れないと思うと少し寂しいんだがな」

 闇ブローカーというのも、彼の数ある内の顔の一つでしかなかった。では――。

「……では何が目的で」

 レンリーはおかしそうに笑って答える。

「フフフ、特にないさ。まぁ、強いて言うならアリアスの正体に興味が出たからだな」

 そして少しだけ眼を見開いて、

「それにしても驚いた。まさか『禁術儀装きんじゅつぎそう』だなんて言葉が出てくるとはな。とんだ大物に出くわしたものだよ、フフフ」

 まずい、とマイジーは自分の迂闊を呪った。さっきまでラウだと思い込んでいたとはいえ、ベラベラと喋り過ぎた。

「あれって都市伝説みたいものだろう? 『あらゆる能力の始祖。異能の原点』だったか」

禁術儀装きんじゅつぎそう』という単語は、裏の世界で生きる能力者の間では眉唾もので浸透しているものだ。

 眉唾もの故に誰も信じていない。信じていたとしてまさか、現代に存在しているとは思ってもいない。

 まだ今の段階では。だから。

「そこまで知ってしまった貴方を、生かして返すわけにはいきません」

 マイジーは手をかざす。ディアキがアリアスを連れてこっちへ向かってしまっている。早急に片付けなければならない。

「じき、他の者も気づくでしょう。終わりです」

 この教会にはまだシュミート、ロクがいる。彼らと連携すれば倒せない相手ではないはずだ。

 それに『変異』のESPというのも、知ってしまえば脅威度は低い。この状況で誰に化けても対処はできるとマイジーは考える。

 一方レンリーは状況が解っていないのか「ん、ああ」と脳天気な生返事。

 そしてある方へ指を指して、


「あの台が、女だったものだよ」


「…………は?」

 突然意味不明なことを言われ、思考がクリアになった。

 レンリーが指しているものは弾劾だんがい部屋の、被告人用の証明台だ。

 あれが、女だったもの?

 更にレンリーは別の物に指を指して、

「あの椅子が、頬がこけた男性だ」

(何を――)

 この男は何を言っている?

「ちなみに、グラン先生も一人じゃ寂しいかと思ってあそこに設置しておいたぞ、フフフ」

 言って、今度は観覧席を指し、

「どういう、意味ですか?」

「そしてこれがラウだ」

 後ろにある議場机をコンコンと、叩いた。

 すると。

 つー、と机から赤い液体が滴ってくる。

「………………、」

「言っただろ。俺のESPは『変異』」

(ま、さか)

「触れれば、あらゆるもの変異させる。みんな〝変えてやったよ〟」

「……馬鹿な」

「滑稽だな」

 フフフ、とレンリーはいつものように笑う。

「世界とか運命に備えるとかほざいておいて、お前たちは一人のESP使いに瓦解されたんだ。『魔法』結社さん?」

「っ!」

 直後。

 マイジーはチカラを解き放った。眩い光と翼を纏い、大罪人に向け突撃する。対するレンリーも右手を伸ばし。

「〝解放〟」


 轟! と衝撃が奔り、エネルギーは巨大な火柱となって教会を内側から破壊した。


  ⑦


「フフフ、フフフフ、フヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

 教会があった地点。今では燃え、炎を撒き散らす火柱となった場所で。

 表情がひしゃげる程に笑うレンリーが、アリアスたちの前に現れる。

「そうか! そりゃあそうだろう! 呪符使いがいて、魔法使いもいる! 能力者から妖精だっているこの世界だ! 〝あんなの〟だっているだろう!」

 何があったのか。何を見たのか。

 レンリーは狂ったように、笑い、手を広げ、踊っている。

「ああなら! 神もいるのか! いやきっとそうだ! そうに違いない! フヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 その様子を、アリアスとディアキは呆然と見ることしかできなかった。

「ならば俺も! その一員と〝なろう〟! ああきっと! このチカラはそのためにあったのだ!」

 狂い笑いながら、レンリーはその姿を変貌させていった。

 背中から白い翼を生やし、黒いスーツは白い法衣に代わり、肌を白く染めていく。

 まるで、絵画に出てくる『天使』のように。その出で立ちを形成していった。

「――ねぇ、総督やみんなはどうしたの?」

 そこへ、リリーヤが燃える教会と変異するレンリーを見つめ、

「ねぇ、どうしたの? どうしたのかって聞いてんだよ‼」

 その小さな身体に似つかない、大きな怒号を響かせる。

「……何だ貴様は、この奇跡の立ち会いに泥を塗って」

 先程までの狂乱が止み、レンリーはギョロッと目玉を動かして、リリーヤを睨む。

 それに怯む様子なく、彼女は叫んだ。

「みんなはどこだ‼」

「地獄へ行ったよ」

 ガシャン! とリリーヤの後ろから、五メートル程のロボットが現れる。いや、あれこそリリーヤが生み出した最高傑作、〝魔導具で構成された魔法使い〟『アルティメット・マギ』

「行け、『マギ』!」

 通称で呼ばれた『マギ』は右手を挙げると、手の平から極大のビームを放った。

 レンリーは背中の翼を前へ交差させて受け止め、ビームを耐えきる。

「キャハハハハ! やるじゃん! でもいずれお前は負けるんだ‼」

 ガチャン、というギアとギアが噛み合うような音が鳴った。

 実際それはマギの内部で、自身の攻撃魔法の属性と特性を改造する音だ。

 リリーヤが創る魔導具や、『アルティメット・マギ』にはある魔法が付与されている。

 それは攻撃、防御、移動。あらゆる行動に対し、相手に合わせて最適化させていく『戦術機構魔法』

 これにより戦えば戦う程、敵の弱点や欠点に合わせていった戦闘スタイルが可能となる。

 レンリーは先程、背中の翼でビームを防ぎきったが次はそうはいかないだろう。

 マギは自身の出力だけでなく、ビームを防いだ翼が受けきる時の運動量変化なども観測、防御力や材質を予測する。

 次に放たれる攻撃はレンリーの翼を貫通し、本体まで届く。

 こうしてマギは徐々にレンリーに特化した魔法使いへと昇華していくのだ。

 内部のマジックエンジンの高鳴りに、リリーヤの高笑いが響き渡る。

「キャハハハハ! 見ててお姉ちゃん! お姉ちゃんの敵は全部私が叩き潰してあげる! それでみんなの仇を――」


 斬っ!

 マギの認知速度を超えて。

 レンリーの翼は伸び、凪いで。

 マギの身体を絶ち、リリーヤの首を刎ねた。


「………………え?」

 ボールのようにコロコロと、アリアスの側に頭が転がってくる。

「リリー、ヤ? ……あ、ああ、あ……」

「フフフ、フヒャヒャヒャヒャ! 人間如きが! 神の一員である俺の邪魔をするからだ!」

 グシャッ、とリリーヤだった身体が倒れた。

「い、いやぁああああああああああああ‼」

「オォオオオオオオオオオオオオオオオ‼」

 少女の悲鳴と同時、ディアキはマジックロッドを呼び出し、大剣ソードへと変形させてレンリーに向かって突進する。

 レンリーの翼はいつの間にか、六枚に増えていた。その内の一枚が、意思を持つようにディアキ目掛けて伸びていく。

「オァアアア!」

 裂帛の声を上げ、一振り。

 纏う魔力の密度を上げたソードの一撃は、翼の包囲網を無理矢理薙ぎ払う。

 レンリーの残る五枚の翼が舞う。

 ディアキを囲うように広がっていき、急所を的確に突き刺そうとしていた。

 だがそれよりも早く、ディアキが動く。

 ソードの柄尻が伸び、変形。ロケットの大筒のようなノズルが現れる。そしてエンジンが点火するかの如く魔力エネルギーが噴出された。

 五枚の翼の切っ先が届く前に、ロケット噴射によって突撃をかける。

 レンリーは横へ跳んで回避。

 だが、ソードに纏うエネルギーの衝撃派が頬を掠め、わずかに血が流れた。

 レンリーの横を通過していったディアキは、着地と同時に、剣を再び構え直す。

「やるじゃないか! フヒャヒャヒャ!」

 レンリーは笑い、翼を一気に展開した。

 数十メートルに達したそれは巨大な剣のようだった。それが六本。圧力と共にディアキに襲い掛かる。

「あぁああああ!」

 ディアキは唸り声を上げて、再びソードに魔力を込める。そして武器を高く掲げ、

解放リリース!」

 マジック・バースト。高められた魔力を解放し、光の刃を放った。

 チカラとチカラのぶつかり合い。だが、ディアキの魔力エネルギーは極大だった。白い翼はやがて押されていき、マジック・バーストによって消滅される。

 翼を失ったレンリーに、ディアキは一瞬で肉薄し、

「くたばれぇえええええ!」

 手に持った片手剣セイバーで、レンリーを刻みつけようして――。

 ドッ、と何かがディアキの土手っ腹を突き刺した。

 気づけばレンリーの右手の指が、鋭利な白い触手に変化し、ディアキの腹部にまで伸びていた。

 内蔵まで貫かれ、口から血液が吐き出される。

 だが、これしきのことで少年は止まらない。

「こん、のぉおおお!」

 無理矢理にでも、腕を振り下ろそうとして――。

「愚かだな」

 パンッ!

 膨張を続けた風船のように、ディアキの腹に、大きな穴が空けられた。


  ◆


 レンリーのESPイーエスピーは『変異』

 その脅威は誰かに化けることでも、身体の一部を武器に変えることでもない。

 触れられた時点で、その姿を変質させてしまうことだ。

「神の一員となった俺に、楯突くからだ。しかし……」

 だからこそレンリーは、自分の手応えのなさを感じていた。

 能力を行使してディアキの身体を肉片にして粉々にするつもりだったのだが、土手っ腹に穴を開けるくらいのことしかできなかったからだ。

 ディアキを見る。呆れたことにまだ息があった。だがそれは自分を余計苦しめる結果に他ならない。

(なんらかの魔法で俺の能力を防ごうとして、結果半端なことになった。そんなところか)

「ディアキィイイイ!」

 アリアスは叫びながら、ディアキの元へ駆け寄ろうとする。

「……、」

 彼女の左腕を掴んで、引き留めた。

「離してください! ディアキがっ、ディアキィ!」

 空いた手を伸ばして、少しでも彼に近づこうとしている。

「あんな醜い者に固執するな。お前も俺と同じ神の一員に近い者なのだから。それに奴はもう長くはない」

 上半身と下半身はかろうじて繋がっているが、それだけだ。穿たれた穴の大きさが致命的であり、大腸や小腸含む消化器官をほとんど吹き飛ばされている。

「ディアキ、返事をして! 起きて下さい! ディアキ!」

 瀕死の彼の状態がわからないのか、認めたくないのか、アリアスは名前を呼び続ける。

 声が届いているのか、ディアキは藻掻くように手を動かそうとする。

 それがレンリーには本能で動く虫のように見えて、もはや生理的嫌悪すら感じた。だから視線を避け、思考を切り替えることにした。

 そう、アリアス・セイラスだ。

「ディアぐっ!」

 レンリーは彼女の左腕を締め上げるように、高々と持ち上げた。もう少し力を強めれば少女の腕の骨など、軽々と砕くことができるだろう。

「それにしても『禁術儀装きんじゅつぎそう』か。いや、あの方が言っていたのだ。間違いではないんだろう」

 あの方とはマイジーのことである。彼女の〝本当の姿〟を見たレンリーにとって、もはや崇拝すべきくらいに神格化された存在となっていた。

 そのマイジーすら、彼は手に掛けたというのに。

「いやっ……やめて……」

 骨が軋む程の痛みによってアリアスはレンリーの存在を改めて認識し、恐怖に支配されていく。

「とはいえ、そんなチカラは感じられないが。確か左手だったか……どれ」

 レンリーは『変異』のESPで、アリアスを掴んでいる自分の腕から注射器の針程の小さな白い管を生み出す。

 そして管は、アリアスの左腕の内部へ侵食していった。

「あ、ぐ、ぁあああああ!」

 ビキィ! と肌の内部から血管が浮き出し、激しく痙攣する。管はそのまま腕から手の平の方へ蠢き。

 見つけた。

「これは、手の甲に『魔力の核』が埋め込まれている?」

 そういえばラウに化けていたときに、「アリアスに魔導力を埋め込んだ」とマイジーは語っていたことをレンリーは思い出す。

 それは、アリアスを〝魔法使いとして〟育てるという意味合いもあったのだろう。そして。

「フフフ、フヒャヒャヒャ! なるほど! 魔力の核の〝蓋〟の役割も果たしているのか。かのチカラが発現しないように!」

 管がアリアスの手の甲に纏わり付いていく。

「ならば。これを取り除けば……、どうなるんだろうな! ヒャヒャヒャ!」

「イヤ! イヤァアアアアア!」

 管が蠢き、アリアスの左手はググッと盛り上がって。

 破裂した。


  ◇ ◇ ◇


 禁術儀装きんじゅつぎそう

 それは裏の世界に生きる異能者たちの間で都市伝説のように語られていた。

 黄のように美しく、だが、忌として古代人に恐れられた、金術であり、禁術。

 あらゆる異能の頂点。

 異能を生み出した異能であり、異能を滅ぼす異能。

 異能の特異点カオス・シンギュラリティ

 それが、今。

 蘇る。


  ◇ ◇ ◇


 曇天の下。燃え盛る教会跡に、金色の光が吹き荒れ、雲を晴らす。

 黄金のヴェールに包まれたのは、アリアス・セイラスという少女。

「はっ、はっ、はっ!」

 オーバーヒート寸前で、勢いよく排熱しているかのような激しい鼓動。

 栗色ブルネットの髪と瞳は、光り輝く金色に染まり、左手には黄金の紋章が刻まれている。

 奇跡の子が生まれたことを祝福するかのような後光が、彼女を照らしていた。

「……美しい」

 レンリーはその姿に心奪われた。アリアスの変化は彼の『変異』のESPに変えられたものではない。『禁術儀装きんじゅつぎそう』の発現によって、もたらされたものだ。

「まさに……聖女だ」

 眩い程の黄金を纏った少女。

 畏怖にも似た感情がレンリーを震え上がらせ、自然と涙が溢れてくる。やがて歓喜へと塗り変わり、両手を上げて、祝福の声を上げる。

「ああ、聖女様! 貴女こそ、俺を導いてくれる存在なのですね!」

 今日はなんという奇跡の日だろう。

 神の一員に出会え、聖女にも巡り会えた。

「聖女様、ああ聖女様! これぞ天啓なのですね! 今日という日をもって俺は、〝我〟は生まれ変わる!」

 レンリーはこの時確信した。

 自分は「ESP使い」などという俗物たちとは違ったと。そして自分の異能は『変異』という矮小なものではなかった。より正確にはチカラの一端でしかなかったのだと。

 神の領域への踏破。それこそが自分のチカラの本質だと理解した。

「フヒャ、フヒャヒャヒャァアア! アアアアアアアアアア!」

 背中の六翼が、繭となってレンリーを包む。繭は鼓動するように震え、そのまま文字通り羽化するようにほどけていく。

 現れたのは、白き異形。

 二メートル以上の体長に、地に着きそうな程細長い腕をした上半身と馬のような四本足の下半身。

 頭部に瞳は存在せず、口腔は顔全体を半分に割るような大きさ。

 六枚の白翼には眼球が生え、その全てが黄金の少女を捉える。

「アア、聖女様。どうか我ニ導きヲ……」

「あ、……」

 一方で黄金の瞳と髪に身を包んだアリアスは、それ以上のチカラの発露などなく。

 目の前で起きたそのおぞましい変異に、思考は理解を拒むように停止していた。

 レンリーは、細長い手でアリアスに伸ばす。

「アア、どうかお恵みヲ……」

 抱き締めようとした、全身の力を使って抱き締めようとした。

 背骨が折れても、内臓をぐちゃぐちゃにぶちまけても、頭蓋が粉々になろうとも。

 聖女様ならきっとお赦しになられると、聖女様ならきっと大丈夫だろうと。

 レンリーはアリアスの身体を――。


 ガキガキィ! と金属がぶつかり合う音が響く。


「でぃあ、き……?」

 アリアスが呟いた。

 彼女の視線が、瞳が他者に向かったことが気に食わなくて、レンリーは後ろを振り返る。

 その先いるのは、はらわたをぶちまけたはずの少年。

 脊髄反射のように身体を起き上がらせ、背筋を仰け反らせる。

「なん……だ?」

 レンリーが彼の様子を見て驚愕する。

 ディアキの身体の内部から直接鎧が生えてきていた。

 傷口を無理矢理塞ぐかのように、鎧装甲が、彼の肉体をまるごと覆っていく。その様子は鎧という怪物の喰われていくようにも見えた。

 レンリーは考える。

 先程、自分の能力でディアキを肉片へと変えようとして、何かに阻まれたことを。

 その何かとは。

「貴様、内側ニ何ヲ潜ませている⁉」

 少年は答えず、血を吐き出しながら、呪文を唱える。


 我が身に宿るは、呪いの心臓

 天魔全てを打ち滅ぼす、邪竜の牙よ

 その力を解放し、必殺の一撃にて、

 眼前の敵を喰らい尽くせ!


「オォ、オォォオオオオオオオオオオオオオ!」 

 邪竜の装甲。

 身体は紫滅色の鎧に覆われ、その爪は全てを切り裂くが如き鋭利さ。竜を模したような兜を纏い。殺意の眼差しは赤く光る。

 ディアキ・スライグは咆哮と共に立ち上がった。

「アリアスからァアアアアア!」

 右の手甲を広げる。マジック・ロッドが発射された矢のように勢いよく飛んで手元に吸い付き、紫電を纏わせた禍々しいソードへと姿を変えた。

「離れろォオオオオオ!」


 ――かつて、英国を滅ぼそうとした邪竜がいた。

 雷の雨を降らせ、大地を荒し、民を焼き払う生きた災厄であった。

 ブリテンの英雄達は幾度となく立ち上がり、邪竜を討つことに成功した。

 しかし、邪竜は死に絶えることなく、あろうことかあらゆる生命に宿り復活を果たしたという。

 そうして際限ない幾星霜の戦いを得て、やがて英雄達は『赤き竜』と共闘し、かの邪竜を封印することに成功した。

『赤き竜』は、邪竜が蘇ることがないよう、見張り番を申し出る。

 そうして、時代は流れ、今。

 邪竜が復活する。

 ディアキ・スライグを依り代として、そのチカラは解放される。

 英国全土を滅ぼしても、愛する人を守るために。

 紫電の覆う刃を、敵に向けて放ち――。

 ――――――――

 ――――――

 ――――

 ――


 聖なる光が、雷を呑み込んだ。

「本当ニ、愚かだな」

 武器は砕かれ。

 鎧は粉砕し。

 右半身は穿たれた。

「貴様ノような悪しき怪物ガ! 神ノ使いへと生まれ変わった我ニ敵うと思ったか!」

 邪竜の一撃は、白き異形の六翼に埋め込まれた眼球から発せられる極大の光エネルギーによって振り払われ、そのままディアキを鎧ごと屠った。

 アリアスは、それを呆然と見て、

「え……、あ」

 ドッ、とレンリーの細い腕がディアキの胸を貫く。

 その状態で地面に叩き付けた。

「なんと汚らわしい! そして罪深い!」

「あ、ああ……」

 どんどんどん! と、何度も叩き付けている。

「貴様如きガ! 聖女様ニ近づこうなどと!」

 どん! どん! 

「下等ナ! 人間ノ! 分際デ!」

 どん! どん! どん!

「身ノ程ヲ知って、そして死ね!」

 どん! と、最後に盛大に叩き付けられると、ディアキの身体はボールのようにバウンドしてアリアスの近くに墜落する。

 ぐちゃっ、と、血と臓物を撒き散らして。


「あ……り……。に、げ……」


「あああああああああ! もうやめてぇえええええええ!」

 血反吐を吐くような叫び。

 アリアスはディアキの元へ駆けつけた。

 もはや身体と言い表せない程の、身体。

 それをしっかりと抱き締める。

「ディアキ! ディアキ!」

 顔の方はなんとか原型を留めているが、もはや瞳に光はなく、生気は感じられない。

「ディアキィイイイイイイイイイイイイイイイイ!」 

 幾度も叫び、幾度泣いても。

「聖女様、どうされました?」

 白き異形が、絶望と共に這ってくる。

「お、お願い、もう……」

 もうやめて。もう殺さないで。もう奪わないで。

「聖女様……」

 自分を聖女と崇める、その怪物は。

「ご安心下さい。そこの罪人ハ今すぐ処断します」

 しかし何も、理解してくれない。

「や……め……」

 白い翼の先端が細分化され、細かい刃と変化する。

「――けて」

 その全てが二人に、より正確にいえばディアキに向けられる。

 今度こそ、アリアスが一番大切だったものを壊すために。

「助けてぇえええ! 誰かぁあああ!」

 

 ドォオオオン!


 天空から、何かが降ってきた。

 アリアスたちと、レンリーを分け隔てさせるように。

 それは一人の少年だった。

 黒、というより闇色の髪をなびかせ。

 長剣を片手に。

 星型のペンダントを下げ。

 頬にはチェスのポーンを逆さまにしたような、空のさかずき刺青タトゥー

「トキ、ト……」

「何だ? お前ハ」

 闇色の剣士は、白き異形に対し、

「……まったく。何度言えばいいんだ」

 刃を向ける。

「俺は、アリアスの味方だ」

 御神刻斗。

 この四日間、アリアスを幾度も救い、見守っていた少年の名前。

 そして彼こそが……。

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