四年前 03 新入生歓迎会の罠

 寮の自分の部屋を教えてもらった後、リュンクスはさっそくオナーと待ち合わせし、新入生歓迎会へ向かった。

 食堂は塔の外にある二階建ての建物だ。二階はテラス席になっており、中庭にもテーブルとベンチを置いて洒落た造りの建物になっていた。

 寮といい、食堂といい、すごくお金の掛かった建物だなぁ。

 圧倒されているリュンクスに、オナーが興奮して話しかける。

 

「例の先輩は来てるかな。五年生に、貴石級を取得した人がいるそうなんだ」

「それって凄いの?」

「凄いよ! 学生なのに、霧氷の魔術師の二つ名で呼ばれているらしいよ!」

「へー」

 

 オナーは力説した。

 正直、どのくらいすごいのか、リュンクスにはよく分からない。

 

「オナー、話の途中でごめん。トイレって、どこ?」


 それよりも、先に手洗いに行きたくなった。

 

「もう、リュンクスったら。トイレは右の通路の奥だよ。僕は、先に食堂に入ってるね」

「うん。また後で」

 

 リュンクスは食堂手前でオナーと別れた。

 すぐに済ませるつもりが、故郷と様式の違うトイレに戸惑い、少し時間が掛かってしまう。

 用を済ませて外に出た時、食堂から出てきた上級生の集団とすれ違った。

 

「……なあノクト、ちょっとだけ、最初の挨拶だけでいいから」

「嫌だよ面倒くさい」

 

 かすかに聞こえる会話は、誰かが誰かを引き留めているようだ。

 

「すみません」

 

 リュンクスは頭を下げて、そそくさと、上級生の間を通り抜けた。

 一瞬、冷たい風を感じた。

 違和感を覚えたリュンクスだったが、友人になったばかりのオナーが待っていると、深く考えず、そのまま食堂に飛び込んだ。

 その背中を、ノクトと呼ばれた上級生が見ていることに気付かなかった。

 案内された席に座ると、空中を飛ぶ人形が、コップや皿を配膳する。魔術で人形を飛ばしているらしい。

 各テーブルに上級生が数人付き、新入生に話し掛けて飲み物を勧めたり、学校の裏話を面白おかしく話して聞かせたりしていた。

 

「リュンクス君は、林檎ジュース? それとも紅茶?」

「林檎ジュースでお願いします」


 上級生に勧められたジュースを一口飲んで、リュンクスは「薬が入ってる?」と思った。苦いような舌を刺す感覚がある。父親が薬草を扱っていたので、そういうことには敏感なのだ。

 しかし、まさか上級生が毒薬を盛ってくる訳がない。

 間違えて酒を混入したのだろうか。

 

「どうかした?」

「いえ……」


 妙な味がすることは気にしないことにして、リュンクスは上級生に質問をした。


「先輩、ちょっと相談してもいいですか?」

 

 近くに座っている上級生に声を掛ける。

 その上級生は「なんだい?」と穏やかに聞き返してくる。

 

「俺、家の事情があって、最低限の魔術も知らないんですよ。皆に追い付いていけるか不安で……」

 

 勇気を振り絞って打ち明けた。

 上級生は、なぜか引きつった顔になった。

 

「そうなのか……助けてあげたいのは山々なんだけど、君は一番怖い先輩の予約済というか何というか」

「?」

「……なるようになる。強く生きろ、少年」

 

 よく分からない流れで励まされた。

 それにしても、先ほど飲んだジュースのせいだろうか。

 体の調子がおかしい。


「ちょっと腹痛で抜けます。オナー、先に出る」

「お大事に、リュンクス」

 

 オナーに断ってから席を立つ。

 動悸が激しくて体が熱い。

 寮の自分に割り当てられた部屋に帰っても、熱は収まらなかった。一人部屋で良かったと、リュンクスはベッドに寝転がって荒い息を吐く。誰かに弱っているところを見られたくない。

 

「くそぅ……」

 

 腹の奥底の熱を直接散らしてほしい。内臓に手を入れて掻き回すような、そんな直接的な刺激が欲しかった。

 

「……ぁっ」

 

 想像した途端に熱が上がって、ドクンと鼓動が高鳴る。

 

「俺、今何を想像した……?」

 

 上かけ布団を目深にかぶり、息を殺す。

 そのまま熱が冷めるのを待つ内に、いつの間にか朝になっていた。




 翌朝、教室で、リュンクスは歓迎会のその後のことを、オナーに聞いてみた。

 

「俺は途中で抜けたけど、昨日はあれからどうだった?」

「おはよう、リュンクス。先輩と楽しく話をして、それっきりだよ」

「体に異常はない?」

「僕は元気だよ! リュンクスこそ大丈夫かい?」

 

 オナーは何もなかったらしい。

 苦しかったのは自分だけかと、リュンクスは肩透かしの気分だった。

 

「おはよう」

 

 その時、カノンが登校してきた。

 彼は真っ直ぐリュンクスに歩み寄り、親しげに挨拶してくる。

 

「昨日、何かあったか?」

 

 カノンの黄金の瞳に見据えられて、リュンクスは昨夜の醜態が見透かされているように感じる。

 

「……何でもない」

 

 咄嗟に誤魔化した。

 

「そうか。だが何かあったら言ってほしい。俺にしか理解できない事もあるだろうから」

 

 どういう意味だろう。

 謎めいた言葉を残し、カノンはさっさと椅子に座って前を向いてしまった。

 この時にカノンを捕まえて詳しく聞いておくべきだったと、後でリュンクスは後悔することになる。




 気が付くと、そこは薄暗い部屋だった。

 確か寮に入る手前で道に迷って、おかしな迷路に迷いこんだのだった。出口を探している間に眠くなり、そのまま意識が落ちたのだ。

 ツンと鼻に染みる薬品の臭い。

 目の前の棚には、蛇の標本が入った瓶がいくつも置かれている。

 暗い中でわずかに射し込んだ光を受け、瓶の中の謎の液体に浸けられた蛇の鱗が生き生きと輝いた。

 ここは誰かの研究室だ。

 

「……近くで見ると、君の目の色は綺麗だね」

 

 リュンクスが仰向けに寝ている寝台の隣に、誰かが座っている。

 恐ろしく美しい男だ。

 眉目秀麗という言葉がぴったりくる、涼やかな女性めいた繊細な面差しながら、力強い男らしさも兼ね備えた容姿。肩幅は広く、背も高そうだ。リュンクスを押さえる腕には、しなやかな筋肉が付いている。

 青みがかった銀髪は長く、漆黒のローブを羽織った肩口に流れている。知的な容姿の男に、魔術師のローブはよく似合っていた。ローブの下の白いシャツは、前のボタンがいくつか外れ、色めいた鎖骨が見えている。

 

琅玕ろうかんという宝石を知っているかな。最高級の翡翠だよ。君の瞳は、それに似ているね」


 彼の声は軽やかに踊るように響いた。

 こんな訳の分からない状況でなければ、雑談に興じていそうな朗らかさだ。

 しかし経緯から考えると、自分はこの男に攫われたのだろう。

 リュンクスは警戒心もあらわに尋ねる。


「誰ですか……?」

「私はノクト・クラブス。五年生だよ」

 

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