第24話 行方【5日目】
「レティシア校長だけに伝えたいことがあるのですけど」
校長をまっすぐ見据えて私がそう告げると、レティシア校長は私の隣に座り、顔を寄せてきた。不意に近くなった校長との距離に、私は一瞬どきりとした。
セドリックが興味しんしんといった様子で、懸命にさりげなさを装いながら、私たちの方に身を乗り出した。レティシア校長が呆れたように、「盗み聞きをなさるおつもりですか?」と冷ややかにはねのけた。セドリックは不満げに、深くソファに座り直した。
私は息をひそめるように小さな声でレティシア校長に囁いた。
「エリス先生の魔力が、保管庫や魔法陣に残っていた魔力と同じでした」
レティシア校長は大きく目を見開いて私を見た。それから、ゆっくりと顔を正面に戻し、目を閉じて深く考え込んだ。
無理もない。エリス先生とは、私なんかよりもずっと長くて濃い付き合いがある。自身の研究を託すほど信頼している。この衝撃的な発見をレティシア校長に信じてもらう自信がない。どう考えても、私に分があるとは思えない。
レティシア校長は長い沈黙の後、眉間を揉みながら、「間違いないのね?」と真剣な声で念を押した。私は校長の目から決して視線を逸らさず、迷いなく頷いた。
「何があった?」
セドリックは、自分が預かり知らぬところで重要な話が進んでいることが気になっているようで、さきほどのふざけた態度から一変して真剣な表情に戻っていた。
「実は、彼女には、セドリック様の案内の裏で、内偵調査の任務を与えていました」
レティシア校長は、咄嗟にそのような理由を付けて、話を続けた。
「今しがた、ここに来ていたエリス先生が、どうやら事件に関与しているようです」
セドリックは信じられないといった面持ちで、誰もいなくなったドアの方へ勢いよく振り返った。ほんの少し前にこの部屋にいた先生の姿を思い出している様子だった。やがて、重い動きでこちらに振り向いた。
「どうしてそう断言できる?」
セドリックは痛いところを的確に突いてきた。魔力残滓の感知という私の秘密を打ち明けるつもりはないから、私はこれに答えることができない。もし何か答えてしまえば、彼はきっとさらに深部へと鋭く切り込んできて、秘密を暴かれてしまう。沈黙するしか、私の身を守る術はない。
でも彼の協力なしに私だけでは、この事件は解決できない。自分だけ安全な場所にいるのは、ずるい気がする。やっぱり秘密を打ち明けるしかない――
私がそう思って意を決して息を吸い込んだ。そのとき、レティシア校長は、すうっと執務机の方を指差した。
「さきほどの魔法空間は、私の研究成果のひとつです。そして、その研究を引き継いだのが、エリス先生です。彼女はこの学校で唯一、あの魔法陣を扱うことができます」
どうして断言できるのか、というセドリックの質問に対する十分な回答にはなっていた。
セドリックは、私が何かを隠していることに気づいている。しかし、彼はその疑念には触れずに話を進めた。
「推論は、正しそうだ。しかし証拠がない」
セドリックは顎に手を当てて考え始めた。
レティシア校長からの見事な機転によって、私は窮地を脱した。彼女は一切の動揺を見せず、まるで万事問題がなかったかのように、確信に満ちた口調でセドリックの質問に答えた。いったいこれまでにどれほどの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
私がじっと横顔を見ていることに気がつくと、レティシア校長は片目を瞑って微笑んだ。すぐにセドリックに視線を戻し、真剣な表情をして話し始めた。
「エリス先生が校内にいるということは、試作機は今もなお、校内のどこかにある可能性が高いでしょう。ですが、全域を一斉に捜査するには、準備が必要です」
「一斉捜査か……。そうなると、人員の投入するに当たって、バルタザール先生からの執拗な妨害も考慮しなければならない。準備にはどれくらい時間がかかる?」
セドリックはポケットから懐中時計を取り出して考え始めた。張り詰めた表情で時計を眺めている。やや間を置いて、レティシア校長が質問に答えた。
「本日中に人員の選別、調整をしても、校内全域の捜査は早くて明日の昼以降です」
「やはりそうなるか。最悪の場合、手遅れになる可能性がある」
そこで一度言葉を区切り、セドリックは顔を上げて続けた。
「犯人は当初、準備が整うまで保管庫に試作機を隠しておき、しかるべきタイミングで校外へ運び出す計画だったはずだ」
短い沈黙の後、セドリックは力強く言葉を発した。
「早ければ明日には、犯人は試作機を校外へ運び出すと、僕は考えている。試作機を再び奪還する機会があるとすれば、それは今夜中だ」
それから二人は、深く考え込む様子で押し黙った。
私は、捜査を開始したばかりの頃に、セドリックが言っていた言葉を思い出していた。
――あの保管庫から持ち出したら、すぐに学校の外まで持って行かなればならない。だが、何らかの事情があって、保管庫からの持ち出しと校外への持ち運びは、別々に実行する必要があった
エリス先生は昼休憩中という隙を狙って試作機を盗み出した。もし校外へ運び出せる方法があるのだとしても、昼休憩中が最適のタイミングだったとは限らない。今はその微かな望みに賭けるしかない。
結局のところ、持ち運ぶ方法さえ分かれば、校外への流出という最悪の事態は防げる。
私は、意を決して、質問を投げかけてみることにした。
「レティシア校長、あの魔法の空間は、移動できますか? えっと、あの空間に試作機を隠しておいて、そのまま門を通過できますか?」
セドリックは、「その可能性があったか」と呟いた。しかし、レティシア校長は私をまっすぐに見つめ、静かに横に首を振った。
「移動できません。魔法の空間は、この現実の空間と密接な繋がりを持っています」
レティシア校長は「ここからは少々難しくなりますが」と前置きをして、説明を続けた。
「あの魔法空間は、三段階の過程で実現しています。初めに、魔法を使って空間を作り出し、次に、魔力操作によってそれを安定させます。最後に、あの魔法陣を使って、恒常的にそれを維持します」
私とセドリックを交互に見て、落ち着いた口調のまま続けた。
「現実の別の場所で魔法空間を繋げても、単に他の魔法空間に繋がるだけです。そして、もし魔法空間を維持したまま現実の場所を移動しようとすると、現実空間と魔法空間との繋がりが失われます。どれほど強力な魔力操作をしても、魔法空間を維持することができないのです」
専門的で難しい話だったけれど、理論上、試作機を隠したまま移動できないということは理解できた。
セドリックはレティシア校長にさらに質問を投げかけた。
「エリス先生が研究している『魔法空間の安定化』というのは、説明の二段階目のことだろうか?」
「はい。現在、魔法空間を魔法陣を使って固定するには、まず術者の魔力操作によって安定化させます。エリス先生は、その安定化の過程を、誰にでも再現できる仕組みを研究しています」
「では、その研究の過程で、安定化したまま移動ができるようになった可能性は?」
「残念ながら、それはありません。どれほど慎重に安定化させても、移動を開始した時点で魔法空間は消滅します。これは私たちが存在する現実の空間と、魔法がつくり出した空間には、切り離すことのできない、密接な関係があるためと考えられています」
セドリックはその説明に納得した様子だった。
「なるほど。魔法空間による試作機の校外への持ち出しは不可能、ということは理解した。それに、もし魔法空間が移動できるのであれば、保管庫から持ち出した時点で校外へ持ち運べていたはずだ。となると、別の手段ということになるな……」
そう言って考え始めたところで、セドリックはレティシア校長に視線を戻した。
「現在、試作機を隠している場所は、魔法空間の可能性がある。魔法空間を維持するための魔法陣は、どこにでも設置できるのか? 例えば、机の中や、本の中に隠せるものか?」
「机の中は不可能ではないかもしれませんが、本に挟むことはできません。あの魔法陣を有効な状態にしておくには、ある程度の広さの空間が必要です。また、無理に魔法陣を剥がした時点で直ちに消滅してしまい、中に置かれていたものはすべて失われます」
私は、その言葉にひやりとした。二人が魔法空間に入ったとき、私は魔法陣に触れた。もし間違えて魔法陣を剥がしてしまったら、二人は一瞬にして消えてしまっていたのだろうか。でもあのとき、レティシア校長は迷いなくセドリックを魔法空間へ案内していたから、簡単には消滅しないような、安全な仕組みが用意されていたのかもしれない。もしそうだとしても、不用意に触れるのは危険だった。
もし校内の人目につくどこかに魔法陣が貼られていたとしたら、それに気づいた用務員が学務事務室に通報して、レティシア校長に連絡が入るはず。だとすれば、試作機を隠した魔法陣を、誰にも気付かれず安全に隠せる場所は、ひとつしかない。
私はそれを伝えることにした。
「校内に、不審なものがあれば、用務員は通報する規則です。なので、魔法陣があるのは、エリス先生の研究室だと思います」
「なるほど。研究室か」
私が最後まで言葉にする前に、セドリックは先に結論にたどり着いていたかのように頷き、口を開きかけていた。何か特殊な能力があるのではと疑いたくなるくらい、彼の頭の回転は桁外れに速い。
「正面から捜索しても証拠隠滅を許す危険性がある。捜索に踏み込んだときに魔法陣を剥がされたらゲームセットだ。彼女が普段帰宅する時間帯は? そこ狙って研究室を捜索したい」
「難しい質問です。先生方の帰宅時間は、日によってまちまちです。かくいう私も、昨夜もここで夜を明かしていますから」
「彼女が校門を通過したら、こちらに連絡を入れることは?」
「できます」
レティシア校長は即答し、勢いよく立ち上がった。セドリックも立ち上がり、校長に視線を合わせている。
「捜索は僕とレティシアの二人で行う」
「私も行きます!」
必死に大きな声を出した。
私だって、きっと役に立つことができる。さっきは失敗して倒れてしまった。でも次は絶対にうまくやれる。うまくやらなきゃいけない。
「駄目だ。今日のところはゆっくりと休んでほしい。その代わり、明日からは存分に働いてもらう」
「リアラさん、今日は安静にしなくてはいけません。徐々に回復はしてきていますが、無理をするとまたすぐに元の状態になって、動けなくなります」
私だけ蚊帳の外に置かれることは悔しい。私が行けば、魔力残滓から魔法陣を探せる。声は出るのに、身体は起こせるのに、ここから立ち上がることができない。身体が自由に動かないまま捜索に行っても足手まといになるのは分かる。
「わかりました……」
そう答えるしかなかった。
その後、私は、校長室から隣接する居住空間に移された。レティシア校長が私を背負い、来客用の部屋の大きなベッドまで運ばれた。
運ばれた部屋は、職員寮の私の部屋より少しだけ広くて、控えめな装飾品や小物が品よく置かれている。窓際に置いたプランターでは花が育てられている。窓の外はすでにすっかり暗くなっていて、雨の音は聞こえてこなかった。
気が急いて、ベッドから身体を起こしてみても、私にできるのは窓の外の暗闇を眺めることだけだった。
しばらくすると、レティシア校長が夕食を運んできた。
「あなた、最近、ろくに食べていないでしょう。やせすぎは身体に障ります」
「昼は食べられなかったです。でも、夜はちゃんと食べてました」
私の言葉を聞いた校長は頬をふくらませた。
「まったくもう。後で片付けますから、食べ終わりましたらそのままにしておいてください。しっかりと食べて、しっかりと休んで、明日に備えましょう。おやすみなさい」
そう言い残し、レティシア校長は静かに部屋を出ていった。
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