第18話 動静【4日目】
保管庫から戻ってきた私は、執務机に積み上げた教職員名簿を素早く手に取り、マンフリートがリストアップした教員の資料を探し始めた。セドリックは、私の行動に「やる気に満ちあふれているな」と感心した声でつぶやいていた。でも実は、教職員名簿の中にこっそりと隠した私の過去を、誰にも知られたくないという思いでいっぱいだった。
資料を見つけては執務机の中央に積み上げながら、ひとりひとりの顔を思い浮かべる。どの先生も、私には犯人には思えない。資料をすべて探し終えて、「そのリストにある先生方に話を聞きにいってみますか?」と尋ねてみた。セドリックは執務机の椅子に背を預けながら私の顔を見て、ゆっくりと首を振った。
「おそらくそれは悪手だろう。相手が犯人だったら警戒されるだけだ。試作機はこちらの手にある。今は、研究内容の関係性や背景を調べて、犯人を絞り込むほうがいい」
そう返されてしまうと、私は頷くしかなかった。
セドリックは執務机に置かれた資料に目を通し始めた。部屋に持ち運んだ箱の中に、図書館で見かけた学校史の本を見つけていた私は、それを読むことにした。
魔法学校では、先生方は主に三つの派閥に所属している。ほとんどの先生は、教会派、国粋派、教典派のいずれかに所属している。どの派閥にも所属していない先生もいて、その理由は様々らしい。
最大勢力は教会派であり、単独で半数以上の先生が所属している。
教会派は、正式には『古代魔術文献考究会』といい、先生方の勉強会のような集まりだった。意外なことに歴史は短く、十二年前に第一回の開催された際の記事が掲載されている。参加者の顔ぶれも、現在とは大きく異なり、エリオット先生のような教典派の先生方も参加している。第二回以降の記事は見つからない。数年後に教会派から教典派が分離したと噂は聞いたことがある。
学校史には登場しないけれど、国粋派は、この頃にはすでに教員の互助組織として活動していたと思われる。教会派に対し、国粋派は政治団体を母体としていて、『栄光ある祖国のための進歩同盟』(APGF: Alliance for the Progress of the Glorious Fatherland)の会員によって構成されている。国粋派であっても教会には出入りはしているし、教会派や国粋派という区分けは、あくまでも学校内でしかない。
仲良くしてくれる学校職員に誘われて、一度だけAPGFの会合に参加したことがあった。国政の状況や国際情勢といった、私とは縁遠い話ばかりで、どうしても興味を持つことができなかった。
セドリックから言われたように、今は下手に動けない。それがもどかしくて、何か事件のヒントにならないかと思い、必死で記事を読んだ。でも、こんな気持ちで読んでいるせいなのか、なかなか頭に入ってこない。自分の頭の冴えなさが悔しい。
しばらくすると、セドリックが私に声をかけてきた。
「彼らの研究室がどこにあるか、案内してくれないか」
私が本を閉じてすぐに立ち上がると、セドリックは苦笑いをしていた。私が焦っていることを、彼に見抜かれていた。
外は雨が上がっていた。空気は重く、またいつでも降り出しそうな気配だった。
共通棟の西には、第二研究棟、第三研究棟、第四研究棟が立ち並ぶ。リストに載っていた先生方の研究室のほとんどは、このエリアにある。第二研究棟の奥には、魔道具を制作するための工房が増設されていて、そのため建物はやや不格好な形をしていた。
「建物の中はどうなっている?」
セドリックが尋ねてきた。建物の中はだいたい似ているため、第二研究棟の廊下を歩いて案内することにした。普段なら教員や学生が歩いている時間なのに、今日の研究棟には人影がなく、静まり返っていた。
私はさり気なく、セドリックには気づかれないように、ドアに手を触れてみた。
ドアに付着した魔力は、不特定多数のものが入り混じっていた。どの魔力も微弱で、上手に読み取れない。
セドリックは私の前を歩いている。今なら強く意識を集中しても、きっと大丈夫。
私は目を瞑り、強く集中してドアノブに触れた。
微弱な、それでいて濁流のような、複雑に混ざり合った色とりどりの魔力が私の肌を突き抜ける。くらくらと目眩がして、慌てて手を離した。
息が荒い。落ち着かなければ。
セドリックは建物の中を眺めながら、離れて歩いている。私の異変には気づいていない。
大きく息を吸って吐く。大丈夫と自分に言い聞かせる。
犯人と同じ魔力は感じられなかった。といっても、あまりにも数多くの魔力が混在していて、確信は持てない。
私は何事もなかったかのように、背筋を伸ばして歩きはじめた。
次は東エリアにある第五研究棟を目指した。第一研究棟と保管庫の間の路地を抜け、売店や図書館を通過して、さらにその向こう側にある建物だ。
セドリックは結局、おやつのことが頭から離れていなかったらしく、保管庫のすぐ近くに売店があることを知ると、立ち寄ることになった。彼はそこに売られているものをしげしげと観察していた。
第五研究棟は、二年前に完成したばかりで、廊下や研究室も広々としている。しかし、他の研究棟や共通棟からは遠く、行き来に時間を要するために教員や学生からは不評だった。全体的に明るい色合いが使われていて、私はこの美しい建物が好きだった。近くを通るときにはついつい目を奪われてしまう。
私とセドリックが第五研究棟に着く頃には日が暮れてしまい、その美しい外観が見えなくなっていたのが残念だった。
突然、セドリックが嬉しそうに話しかけてきた。
「この学校の食堂では美味しい料理を食べられると聞いた!」
おやつが食べられなくて、お腹がすいてしまったらしい。そして、「食堂に行かないか」と言ってきた。
その誘いに私は逡巡した。私はあまり他人と一緒に食事をしない。この学校に来て、私は食べるのが遅いという事実を知った。養父母は、私が食べ終わるまでずっと話をしていたから、私は食べるのが遅いことをまったく自覚していなかった。
例外はシオリくらいだった。彼女とは何度か食事をしている。最初にどちらが食事に誘ったのか覚えていないけれど、彼女も私と同じくらい食べるのが遅くて、気を遣わずに一緒に食事ができる。
私の仕事はセドリックを案内すること。そう自分に言い聞かせて、セドリックを食堂へ連れて行くことにした。
第五研究室から食堂に向かう途中、食堂の裏口にエリス先生が立っていて、リヒャルトと会話しているのが見えた。私とセドリックには気づいていない。エリス先生は嬉しそうな笑顔で話し、リヒャルトはわずかに照れた様子だった。普段はクールなエリス先生が、あんな表情もするんだと、私にとっては衝撃だった。
ふと横を見ると、セドリックも興味深そうに眺めていたので、小声で「他人の恋路を覗き見するのは趣味がよくないですよ」と刺した。すると彼は、「君のほうがまじまじと見ていたじゃないか」と小声で言い返してきた。さらに何か言い返そうと思ったけれど、本当にあの二人の邪魔になりそうだったので、口をつぐんで我慢した。
食堂には、何組かの学生が会話をしているものの、ほとんどその姿はなかった。考査期間中は早い時間に食事を済ませて、明日の準備に取り掛かる学生が多い。考査には、極限状態まで追い込む実技が含まれているらしく、どれだけの体力や魔力に自信があっても、適度に休息を取らなければ考査結果に支障が出ると聞いたことがある。
セドリックは何やら楽しげに食堂の中を眺めていた。食堂は六人掛けのテーブルが機能的に配置されていて、六人全員がトレイを置いて向かい合えるようになっている。無駄な装飾は一切なく、良く言えば衛生的、悪く言えば殺風景だ。私には何が楽しいのか分からないけれど、この呑気な殿方は、この非日常的な状況を楽しんでいるのだろう。
先生方は相変わらず派閥ごとに分かれて静かに食事をしている。この食堂に今、セドリックが来ていることには当然気づいているはずなのに、誰もセドリックに目を向けることなく、一言も口にせず、静かに食事を続けている。その中には私が親しくしてもらっている先生もいて、一抹の寂しさを感じた。まるで私が学校の一員ではないと見なされてしまったような気がした。
配膳係から夕食を受け取り、トレイに並べて窓に近い席に座った。やや遅れてセドリックが私の向かい側に座った。
ここでシオリと話したのはたった三日前のことなのに、遠い過去のように思える。事件前は何日間も会わないことが普通だったし、それでも平気だった。でも今は、早くシオリに会いたい。あの笑顔に癒やされたい。
「噂通り、いや、想像以上だった。特にシチューは絶品だ。以前、都の……」
食事を終えてやや興奮気味に感想をまくしたてるセドリックの声は耳に届かなかった。
これといった成果が何もない日だった。図書館に行く気分にはなれず、そのまま職員寮へ帰ることにした。
外はまた雨が降り出していた。
◆
登場人物(登場順)
リアラ:19才。女性。用務員
シオリ:15才。女性。学生
司書:年齢不詳。女性。司書
セドリック:20代半ば。男性。高貴な一族の道楽息子
アッシュ:16才。男性。学生
レティシア:40代。女性。校長
フェリックス:50代半ば。男性。教授(教会派)
リヒャルト:30代半ば。男性。調理師
ロレンゾ:30代後半。男性。警備員
エリス:20代後半。女性。准教授(国粋派)
マンフリート:40代前半。男性。警備員
秘書:20代後半。女性。秘書
グリフィス:30代後半。男性。国家機関高官
マルグリット:50代前半。女性。事務員
エリオット:50代後半。男性。教授(教典派)
バルタザール:60代前半。男性。教授(教会派)
街の教会にいた女性:20代前半。女性。
御者:30代。男性。
アダム:30代半ば。男性。教授(教会派)
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