その3


 朔也の背中にぬるい汗が一滴伝い落ちる感触があった。


 中年男性の霊が、背中を波打たせて這いずりながら図書館から出ていく。どうやら地縛霊ではないらしい。


「”1000”。――――これの存在がこの間、山上にバレてえらい暴言を浴びせられれな……」

「自業自得じゃん。」

「それはそうだ、返す言葉もない。だが幸いなことにまだ晦彦と高木先生の耳には入っていないのだ……――――この最後の一室を取り壊さねば成らん。ここからが、本題なのだが……、村上朔也こと八朔日尊やつさくひのみことよ。」


 ――――今まで話を統括して、朔也は嫌な予感を覚える。


 名付けられた覚えのない神の名で呼ぶあたり、どうせ碌でもない頼みなのだろう。――――朔也はだいたいの察しが付いた。



「この最後の部屋を壊すのを、少々手伝っては貰えんだろうか?」



 ――――やはりそう来たか。


 朔也は「えぇ……」と露骨に嫌そうな態度を見せる。


「心配するな、褒美ならあるぞ。」


 羽沼は学校指定の黒い鞄から一枚の紙切れを取り出す。

 なんてことはない。近所のラーメン屋の煮卵のトッピング券だった。

 あの店の尾道ラーメンは朔也の中で5本指に入る程の絶品で濃いめの醤油と小魚出汁、そしてふよふよと浮かぶ豚の背脂とじっくりコトコト煮込まれた卵の相性は格別だった。


 朔也は濃厚なスープの味を思い出し、思わずゴクリと唾を飲み干す。


「やっす……――――せめて1杯奢るとか言えよ。」

「小遣い前だ、我儘を言うな。」

「いいけど……で、俺はなにをすればいいの?」


 少しだけ渋る素振りを見せながら承諾すると羽沼は表情を取り戻してニッコリと微笑んだ。

 ならば、と机の上に散らばった参考書とプリントを鞄の中に仕舞い始める。

 その様子を見た朔也も習ったように自分の分を手に取る。


「ちょっとした労働だ。少々、拙僧一人では手が細すぎるゆえにな。」

「……俺はお前ら『御使いひとでなし』じゃないから何の力にもなれないよ。」

「貴様の神通力など端から当てにしておらん。必要なのはその両手だ。」


 お互い勉強道具を仕舞い終えると羽沼は鞄を背負って立ち上がる。

 ついてこい、と図書館の奥へ向かう。


「待ってよ。この近くって……図書館の中に?」


 慌てて鞄に諸々を詰め込むと朔也は後を追う。

 両隣に並ぶと自分より少し低い位置に羽沼の三白眼があった。


「すぐ、だ。――――来い。」






 ここは田舎の図書館だ、広くはない。


 羽沼は一旦受付に立ち寄ると先程指だけで注意してきた司書の女性に「奥に行ってもいいですか?」と指で受付の真隣の「郷土資料」と書かれた一角を指した。入口に黄色い画用紙で「うけつけで”きょかしょ”をもらってね」という手描きの張り紙が貼られている。

 女性はメガネをくいっと上に上げて羽沼の顔を覗き込む。一瞬だけ眉を潜めたものの、「騒ぎなさんなよ」と一言釘を差しながら引き出しからネームプレートを2枚差し出した。羽沼は自身の胸元に付けた後、もう一つを朔也へと差し出す。朔也はネームプレートを受け取ると不思議そうに羽沼を見つめ返す。


 司書の女性に礼を述べて少々薄暗い一角に足を踏み入れる。

 本棚ではなく鉄でできたラックの棚に読めない書体で書かれた大きな本と分厚いファイルが並んでいる。

 足を進めれば進めるほど古い紙の匂いがいっそう濃くなった。

 服の袖で紙魚の匂いを拭いながら羽沼の後ろをついて歩く。


「こんな所にあるって?」

「そうだ。中身を空にせねば壊せぬ。貴様には中の物を運び出す手伝いをしてもらう。」

「1000年前のセックスしないと出れない部屋……――――待てよ、羽沼。中にいるのは……――――その賊の兄弟の死体なのか?」


 ピタリと朔也は足を止め、けほっと軽く咳を払う。

 倉庫のような一角だが掃除は行き届いておりラックの上には埃一つ無い。

 気のせいだとわかっている、が、どうも空気が並べられた書物と同じくらい古い気がしてならない。

 高窓のみで照明も一昔前のオレンジ色をしていたためか、この企画全体がどんよりと薄暗いのだ。


 ――――1000年もののミイラの死体がこの先にあるかもしれない。

 訝しむ朔也に羽沼も足を止めてくるりと上半身をこちらに向ける。


「死体遺棄の片棒担ぐなんてゴメンだ!」

「早とちりするでない。特殊な部屋だと申したろう?」


 羽沼は大きくため息を付くと鞄を背負い直して再び奥へと進んでいく。


「中は外界と完全に隔離されておる。外の常識は一切通じぬ。明るさも気温も全て一定で、腹も減らず、睡眠も必要なし。自身の体も互いの体も傷つけることも出来ぬ。性交し子を宿さぬ限り決して部屋から出ることは叶わぬ。条件を満たさぬ限り永遠が存在するのだ。」

「……――――なんだか5億年ボタンみたいだな。」

「そうだな。中と外で流れる時間も異なる故、中の体感は丁度5億年程経った所であろうか。まあ、実際に5億年経とうが着床が認められない限り絶対に鍵は開かんがな。」

「マジで5億年モノのセックスしないと出れない部屋なわけか……うわー、ますます入るのが怖い……」

「ここまで来たのだ、帰さんぞ。」

「わかってるよ。」


 朔也は再び足を踏み出し羽沼の後ろを追う。

 ラック棚を迷路のように進み一番奥の左角にたどり着く。棚は置かれておらず壁には赤い消火栓が設置されており、高窓から差し込んだ光に反射してサイレンが赤く輝いていた。


「ここ?」


 羽沼は朔也に答えるように消火栓の隣に手をかざす。

 すると何処からともなく木で出来た引き戸が現れる。

 朔也は一瞬息を呑んだが、羽沼が起こす奇跡を見るのは一度や二度ではないのですぐに落ち着きを取り戻す。

 木の材質は真新しい檜のようだった。

 図書館そのものが古い建物で、消火栓が置かれた壁もコンクリートを塗装したものだ。

 引き戸だけ新築ようで奇妙な異物感を醸し出している。


「うむ。いつもは適当な部屋の扉と入れ替えるのだがな。呼べば何処でも召喚することは可能だ。」

「KeterクラスのSCPみたいだな。」

「あながち間違ってはないだろう……――――財団が世に存在するのであれば、真っ先に収容しに来るだろうよ。」


 羽沼は鞄を消火栓の隣において引き戸に手をかけ一気に開く。


 ――――扉の向こう側は、漆で塗りつぶされたように真っ暗な空間が広がっていた。


 羽沼が一歩中に踏み入れるとその姿が夜の海に沈むように溶けていく。

 全てが闇に包まれる前に朔也は慌てて羽沼を呼び止める。


「待てよ羽沼。」

「なんだ?」

「これ俺達二人で入ったら……」

「ああ。」


 羽沼は右足で一歩後ろに下がり振り返る。

 朔也が言わんとする事が理解できたのだろう、片眉を下げ右端の口を釣り上げてる。


「心配は無用だ。そもそも、我らは人ではない。先客も居るし閉じ込められることはなかろうよ……――――それとも期待したのか?なんなら貴様の子を拙僧が孕んでやろうか?」


「出来なくないぞ?」と羽沼は品のない笑みを浮かべるので朔也は大慌てで首を左右に振って拒絶した。

 ――――想像するだけで怖気が走る。

 その様子を眺めた羽沼はカッカッカと声を上げて笑った。


「冗談だ!……――――万が一そうなったら晦彦がすっ飛んでくるだろうよ。」


 再び足を踏み出して羽沼は闇の中に消えていった。

 手伝うと言った手前、ここで待つという選択肢はないのだろう。

 朔也は意を決して鞄を羽沼の鞄の隣に置いて、片手を前に突き出し闇に触れるように中へ足を踏み入れた。

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