第5話 空札の夜、第三の手

導入――空札の重さ


 夜が更けて、雪明かりが窓の桟を縁取る。

 柊(ひいらぎ)の枕元には、一枚の札がころがっていた。


 ――無地。


 空札。

 裏返しても、ただ木肌の荒れ目があるだけ。刻印もなく、匂いもない。

 桑皮紙特有のしっとりした手触りもなく、煤の甘い残り香もない。

 ただ“札”という形だけをして、意味の空洞を持ち込んできた。


 柊は唇を噛む。

 占いも霊能も護衛もできない。

 「役に立たない……」

 囁きは白い息になり、窓硝子の内側に霜を新しく描いた。


 その霜の模様が、不意に網目に見えた。

 枝分かれし、交差し、どこかで閉じる白い線。

 柊の胸に小さな火がついた。

 ――盤以外にも、網はあるのかもしれない。


 供物盤の穴を数えるばかりでなく、村全体の動線を網として見直す。

 通り道、井戸の列、見張り台。

 人が夜ごとに歩く道。

 狼が選ぶ経路。

 札が転がる方向。

 それらを重ね合わせれば、“盤の外”のルールが浮かぶのではないか。


目的――二つの網を重ねる


 翌朝。拝殿に集まった村人の顔は、また一段と色を落としていた。

 昨日の誤処刑が、じわじわと体温を奪っている。


 柊は紙を広げ、線を引いた。

 「人の網」と「札の網」を重ねる作業だ。


 紅葉(もみじ)は看護師としての記録を差し出す。

 「この家、この家……夜の咳が多い。肺の弱い人や、薪が湿っている家」

 その印は、村の西寄りに点在している。夜に咳が響けば、狼はその近辺を避けるだろう。


 一方、柊の地図には、雪の踏み跡が刻まれている。

 彼は昨夜、眠気を削って外を歩いた。人が歩いた道、犬が吠えた場所、鈴が鳴った角度。

 足跡は東側に集中していた。


 篝(かがり)、宮司の孫は盤の穴をじっと見つめていた。

 「気づいたんだ。処刑者の最期の発言の長さと、穴の位置に相関がある」

 「相関?」紅葉が目を瞬かせる。

 「長く話した人が供物になると、穴は外周に。短く途切れた人は、中心に」

 「つまり……言葉の“重み”が穴の位置に写る?」柊は小声で繰り返した。

 篝は頷く。「神は遊ぶ、と盤に刻まれていた。けど遊びじゃなく、観察だ。言葉の長さを量って、穴の場所を動かしている」


 盤。

 人の網。

 札の網。

 言葉の長さ。

 点と線と穴が、少しずつ柊の頭の中で絡み合い始めた。


障害――二重襲撃の痕跡


 その夜、村は異様な痕跡を迎えた。


 納屋の扉が外から無理やり押し開けられていた。木の蝶番が千切れ、雪の上に散っている。

 そのすぐ近く、家の裏口には血が飛び散っていた。


 だが、死体はない。

 血の量からすれば、一人分の命が消えているはずだった。


 「襲撃が……二つ?」

 紅葉の声が震える。

 納屋の爪痕と、裏口の血痕は、まるで別の生き物が同時に動いたように見える。

 「狼同士の食い違いか。……いや、第三の手が介入してる?」柊は声を落とした。


 村人たちは恐怖に震え、夜明け前の雪の下で足音を交錯させた。

 鈴は一度も鳴らなかった。犬も吠えなかった。

 沈黙の中でだけ、血が増えていた。


展開――空札は監視の札


 拝殿に戻り、柊は自分の札を卓に置いた。

 空札。


 「これ……もしかして、監視の札なんじゃないか」


 紅葉と篝が同時に顔を上げた。

 「能力はない。でも、札がどう流れてくるかを受け取ってる。受信箱みたいに」

 柊は、紙の地図に空札が出た家を丸で囲み、線で結んだ。


 線は村の東側に偏っていく。

 教師・秋津の家。旅芸人が泊まっていた宿。

 そして、昨夜血が飛び散った裏口も、その範囲に含まれていた。


 「札が監視している範囲と、襲撃の痕跡が重なってる……」

 篝が唾を飲む。「じゃあ、空札を持った人間は、盤の外の“別の網”を見てる?」

 柊は頷く。「狼の通り道が、網に映ってるかもしれない」


クライマックス――投票の夜


 昼会議。

 秋津は、相変わらず穏やかな声で言った。

 「不安に飲まれるより、確率で吊ろう。候補を絞り、確率を計算する。盤は私たちに“数”を与えている」

 整った言葉は、疲れた村人の耳に快く響く。


 柊は必死に、空札の仮説を説明した。だが、証拠は弱い。

 「網だとか、重なりだとか、難しくて分からない」「確率でいいじゃないか」

 ざわめきが広がり、票は割れた。


 教師は生き残る。

 代わりに、寡黙な木こりが供物に選ばれた。

 長い発言をしない男。言葉が短く切れる男。

 穴は中心に新しく開いた。


 夜。

 柊の枕元に転がったのは――護衛札だった。

 震える指で札を握りしめ、彼は迷わず選んだ。

 「篝を守る」

 盤の読み手を、失うわけにはいかない。


余韻――穴は育つ


 朝。

 犠牲はなかった。


 村人たちは一斉に息を吐いた。

 篝は震える声で柊に礼を言った。

 紅葉は目を伏せ、「よかった」とだけ言った。


 だが、供物盤を覗いた篝の顔は、すぐに硬くなる。

 「……穴が」

 盤の穴は昨日と同じ数だが、縁がわずかに磨耗していた。

 誰かが、触った。誰かが、撫でた。


 紅葉が柊の耳元で囁いた。

 「穴は、人の手でも育つ」


次回――盤はまだ開く


 柊は夜の巡回で、供物盤の下に潜った。

 指で天板の裏を探る。

 薄い板と板の合わせ目に――小さな溝があった。


 鍵穴のような形。

 息を止め、指を差し込むと、冷たい風が中から吹き返してきた。


 供物盤は、まだ開く。

 盤は、ただの穴の数を示すだけの器ではない。

 もっと深い、もっと危うい仕組みが、裏側に潜んでいる。

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