2.

「架谷くーん。もうあがっていいよー」

「ういーっす!お疲れ様っしたー!」


 本日のコンビニバイトもやっと終わり、ロッカーで私服に着替えてバイト先を出た。

 今月は休みなしで結構稼いだと思うから、来月も同じようなシフトにしてもらおう。働くのも修行だと思えば案外楽勝だ。


 ぼろアパートの自宅に帰ってくると、そこには見知らぬベンツが一台が停車していた。

 なんだあの車。こんなぼろアパートの前に高級車なんて似つかわしくないというかシュールな光景だ。こんな時間に目立つし、一体どこの財閥がお見えになっているのだろう。


「架谷甲斐様ですね?」


 一人の20代後半くらいの男性と数人の黒服が立っていた。このベンツの持ち主らしい。


「はあ、そうですけど……どなた?」


 いつも世話になっているヤクザの人らかな。いきなり声をかけられて挙動不審になってしまった。


「お待ちしておりました。わたくし、矢崎グループの久瀬宗司朗くぜそうじろうと申します」

「は、はぁ……なんで俺の名前をご存じで」

「失礼ながら、ご命令でいろいろ調べさせて頂いたのです。申し訳ありません」


 久瀬という男は頭を下げ、丁寧に名刺を差し出した。それをなんとなく受け取ってみる。ご大層に名刺をもらっちゃったな~なんて呑気に考えていたら、ちょっと待て。


「や、矢崎グループって、あの矢崎財閥!?まじ?なんでそんなのが俺に」


 矢崎財閥といえば、世界に名を轟かせる大財閥の一つだ。

 世間に疎い甲斐でもさすがに知っている。


 テレビやニュースによく名前が取り上げられる程の日本一の財閥様で、世間より一目どころか二目置かれている超大金持ちグループである。

 一族は皆どこかの商社の社長か名門の家元の跡取りだったり、世界的有名な著名人だったりと、とにかく有名どころのサラブレットが集結しているリアル華麗なる一族だ。

 そんな超大金持ちのまわしモンが貧乏人になんの用だというのか。


「本日の朝、甲斐様はを不良達から守ってくれたとお聞きしまして、ぜひともお礼がしたいと代わりに私が参った所存でございます」

「友里香様のご友人?朝助けた子の事かな。その友里香様って……」

「はい、友里香様は我が矢崎財閥の社長令嬢です」


 笑顔で肯定する久瀬とやら。口をあんぐり開けてしまった。


「ご友人は甲斐様の事を大層気に入っておられました。もちろん友里香様も」

「別に大した事してないのに」

 

 とんだ女性を助けてしまったようだ。令嬢のご友人が朝早くに普通の一般道を歩いているのも変な話である。


「友里香様のご友人はいつもは送迎ありで登校されるのですが、今回はたまたま一人で登校された際に運悪く不良達に絡まれてしまったとの事。甲斐様にまた会いたがっていますよ」

「そっすか。あんな美少女にそう思われるとちょっと嬉しいな」


 そういえばあの美少女、やっぱりどこかで会った事がある気がする。


「立ち話もなんですので、矢崎グループが経営するホテルに移動しましょう。甲斐様のご家族もそちらでお待ちです」

「え、俺の家族もそこにいんの」

「はい。皆さんご一緒です」


 それからまだ実感がわかないまま人生初のベンツに乗せられて、矢崎グループが経営するホテルの一つ【帝都クラウンホテル】に移動した。

 勿論そこは都内でも最上位の五つ星高級ホテルで、自分には不釣り合いもいい所な場所であった。こんな普段着みたいな格好で入っていいのかなと恐縮しながら久瀬に着いて行く。今自分は超キョロ充かもしれない。

 緊張気味に豪華な廊下を歩き、ホテルのロビーから会議室のような場所に案内されると、


「あ、お兄ちゃん!」

「甲斐!」


 妹の未来と両親がソファーに座っていた。腕っぷしが強い家族に限って何もないとは思っていたが、何もされてはいないようでほっとした。


「もうーお兄ちゃんの知り合いにこんな金持ちがいたなんて、早く教えてほしかったんだけど」

「そうよ!びっくりしたじゃないの。いきなりこんな場所に連れてこられてさ。いつものヤーさんじゃないから黒服の連中を一本背負いしそうになったじゃない」

「いや、別に知り合いというわけじゃない。俺も今日知りあったばかりなんだ」

「え、そうなの」

「架谷甲斐くん」


 そこへ、友里香様と今朝会ったその友人という美少女二人組が姿を見せた。どこかの学校の制服姿である。


「キミは朝の美少女」

「あの時、助けていただいてありがとうございました。どうしてももう一度会いたくて友里香ちゃんに頼んだのです。突然でびっくりさせちゃってごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げる朝の美少女。それに見れば見るほど昔会った記憶がうっすら思い出してくる。どこだったか。


「とんでもございません。わざわざお礼だなんて」

「そう堅くならないで。これからは敬語もなしで」

「え、いや」

「だって架谷くんと私は小学校5年生の時に同じクラスだったんだよ」

「え……?五年の時?五年の時……そう言われるとたしかに似た美少女と関わってた気がする……君の名は?」

神山悠里かみやまゆうり。覚えてない?」


 そう言われてハッと思い出した。確かに彼女とは五年生の時に同じクラスであった。

 小学校五年生の時といえば、俺が丁度いじめられていた時だ。

 クラスで威張っていたガキ大将の城山とその取り巻き共にネチネチと嫌味を言われたり、暴力を受けたり、物を隠されたりと散々で。その時の俺は大人しくて、引っ込み思案で、ビビリヘタレで、どうしようもないくらい弱虫だった頃。趣味が土下座ってくらい強くて怖そうな相手にペコペコして、顔色をうかがうばかりで……


 そんな小学五年のあの頃、同じクラスに神山さんがいたんだ。


 五年前――……


『おはよう、架谷君』

『お、おはよ……ぅ、か、神山さん……』


 あの時から神山さんはなぜか俺にとても親切だった。いつも俺に対して笑顔だった。他の神山さんの友達の女子も俺に対して優しかった。

 彼女ら一派は美少女集団と評判で、特に神山さんは学校で一番男子から注目されていた絶世の美少女だった。


 頭もよくて運動神経も抜群で可憐で可愛い。当然モテるどころではなくファンクラブもあったくらいの人気ぶりで、冴えない男子達からは隠れて高嶺の花とも言われていた。


 そんな美少女な彼女がどうして冴えない俺に構うのだろうといつも思っていた。おかげで男子達からの嫉妬の嵐がすごかった。


『知ってた?架谷君は他人思いで優しいから気になっている女の子結構いるんだよ』

『そ、そんなことないよ。ぼ、ぼくなんて……よ、弱虫だし……男らしくないし……根暗だし……お、驚きだよ……』


 俺のこの時の話し方はキモオタコミュ障口調で、相手の目を見て会話をすることもままならないドチキン野郎であった。


『自信持ってよ。架谷君のいい所は誰に対しても誠実な所だよ』

『……よく、わからないや……』


 臆病で弱虫で女々しい。見た目も小柄なもやしみたいで、気の強い女子達から馬鹿にされるくらい頼りない。それが小学校時代の俺、架谷甲斐だった。


 で、学校一のワルと評判の城山金太郎しろやまきんたろうとその取り巻き達は俺に目をつけやがり、突然いじめを始めたのだった。それも見えない所でやるものだから、クラスメート達も神山さんも気づいていない。


『架谷、てめえ……女子に好かれているからって調子にのんじゃねーぞ』


 それがいじめの始まりの最初の一言だったように思う。


『し、城山君……い、いみがわからないけど……』


 俺が女子に好かれているなんてありえないと思っていた。こんな根暗で弱虫のどこがいいのかって。

 たしかに女子達はなぜか俺に優しかったけど、多分それは俺が大人しくて気弱だったから。放っておけない意味もあって、ただの親切心からきているもの。それ以外に何もないはずだ。だからこの城山の言葉は最初は意味がわからなかった。


『お前の全てが気にくわねーんだよ!!死ね!!』


 いじめのキッカケは今思えば美少女と評判の神山さんを筆頭に女子集団に優しくされている嫉妬。俺への八つ当たりだったのかもしれない。


 教科書を隠されたり、体育着を隠されたり、靴を隠されたり、弁当を捨てられたり、母ちゃんに買ってもらった筆箱を踏みつけられたり、ありがちテンプレの数々の嫌がらせを一気にされた。もちろんこれだけでは終わらない。


『や、やめて……くだ、ぐはっ』

『やめてだぁ?おまえなんかがいるからおれは……っこの、このっ!』


 城山の重い蹴りが俺の腹を何度も蹴とばす。子分らから顔に水をかけられながら。


『う、ぐっ……痛い。痛いよぅ。助けて。やめて。ゆるして、ください……おね、おねがいしま、す、ぐ、あ』


 俺は体を丸めて城山の暴行を最小限に抑えようとする。


『はははは。いい様だぜ。命乞いまでしてマジウケる。いいか?だれにも言うんじゃねーぞ?お前なんかが仕返しなんてしても無駄なんだからよ。もし誰かにチクったらただじゃおかねーからな!』


 暴行は長い昼休みや放課後によくやられた。授業中にも見えないところで集団で殴られたり、蹴られたり、机を俺ごと蹴とばされたり。放課後はひたすら公園でリンチにあって、せっかく貯めたおこづかいを取られてあれこれ買ってこいとパシられたりした。


 毎日生傷を作って家に帰って、妹や両親に心配されたが黙秘を続けた。だって俺は仕返しなんてできる度胸も勇気もない意気地なし。びびりでへたれだからこそなにもできない。

 そのくせ平和とか皆仲良くとかお花畑な思考でいるある意味偽善者。自分さえ我慢すれば平穏なんだから我慢しなければといつも愛想笑いを浮かべていたな。


 今でもあの時が黒歴史だって思う。あの時が人生で一番情けない時期だって。

 いつか城山達も自分に飽きていじめをやめてくれるはず。心を入れ換えてくれるはず。そう無駄に信じていたバカだったんだから。



 そんな中、ある日の体育のプールの授業前での事だった。

 俺はいつものように(精神的に)胃がキリキリ痛くなったので、授業をさぼろうと保健室に行く途中、城山達が女子更衣室に侵入しているのを見かけた。


 城山達の手には女子の誰かのパンツが握られていて、それを躊躇いもなくクンカクンカしている。そして、それを息を吸うかのごとくポケットに隠してしまっていた。俺は唖然として見ていた。


 それからプールの授業が終わった頃に、案の定女子数人が「パンツがない」と騒いだ。

 犯人は城山達だ。だけど俺はあえて口を開かない。触らぬパンツに祟りなしという言葉を胸に良心が痛んだが黙っていた。勇気を振り絞って告発すればよかったのに。臆病に拍車をかけるぞと自分でもわかっていたのに。だけど報復が怖くて言えなかった。


 当然のこと、終礼の時間は長引いて犯人探しが始まった。担任は心底めんどくさそうだった。なかなか盗んだ者が白状しないため、どうしようかと担任もクラスメート達もイライラしていた時、城山がにやついた顔で挙手をして言った。


『犯人は架谷です』と。


 ざわつくクラスメート達。みんな一斉に俺を見る。


『だって、あいつ……最近よく保健室にいるだろ。女子がプールに入っている間に更衣室に入って盗んだんだよ。そ、そうに決まってるぜ』

『そ、そうだそうだ!ぜってぇそうだよ!あいつ保健室に行くフリして女子の更衣室に入って行くの俺見かけたんだ!』


 震えて断定するガキ大将とそれをまるで後押しするように同調する取り巻き共。そして妙に納得をする大半の男子達と、俺がそんな事をするような人間じゃないと半信半疑な女子達とで意見が分かれる。しかし、俺に疑惑の目は圧倒的に注がれていた。

 埒が明かないので、半ば強引に荷物検査と身体チェックを敢行された。


 俺は無実。だから何も出て来やしない。そう思っていたのに……


『う、うそ……架谷君のカバンの中からパンツが……!』


 俺のカバンの中から身に覚えのないレースの水玉パンツが入っていたのだ。しかもそのパンツは神山さんのである。なぜ知っているかって?スカートがめくれた時に見たことがあるからな。


 驚くクラスメート達と幻滅した様子の神山さんの表情が映る。そして、にやりとより一層笑う城山達。図られたようだ。

 そんな顔で見ないでくれ神山さん……と、俺は思った。


 当然の如くこれが決め手となり、俺は生活指導室へ直行させられた。担任はやっぱり面倒くさそうにしていたが、学年主任に怒鳴られ、教頭や校長からも長時間お説教をくらった。


 かくして、俺が神山さんのパンツを盗んだという冤罪の犯人にされたのだった。


 その日を境に、クラス中から女子のパンツを盗んだ変態だとレッテルを張られて俺の株は暴落。クラスにいずらくなった。学校に行くたびに「変態仮面」と不名誉なあだ名を言われ続け、他クラスからも同様にからかわれた。授業中に急に気分が悪くなって、逃げるように保健室やトイレに駆け込んでいた事もあったっけ。


 授業を何度も抜け出すモノだから、トイレに我慢が出来ない第二の不名誉な「ウンコマン」というあだ名までつけられてしまった有様だ。


 双方の両親を呼び出しての話し合いで、俺は必死でそんな事はしていないと無実を言い続けた。誰かがカバンに紛れ込ませたと。

 さすがに城山達だなんて言えなかったが、無実をひたすら訴えた。が、担任は面倒くさいのは御免だと事なかれを貫き通し、最終的には城山達の言葉を鵜呑みにして俺を犯人だと弾圧した。

 学校の連中はみんな俺を犯人と決め付けて冤罪を信じてくれなかった。


 どうあがいても犯人という立場は覆せず、神山さんの御両親には軽蔑の眼差しで見られ、俺の両親は何も言わずに神山さん達と教師に頭を下げていた。それを見るのがとても心苦しかった。


『お前の席、ねぇ~から』

『ウンコマンの席なんてねーよ!あるとすれば便所だろ!ぎゃーはははは!』


 学校に来ればイジメは続く。椅子も机もなかった日があったっけ。小学五年のガキがよくこんな陰湿な真似ができるものだと今思えば呆れるものだ。担任なんて俺をもはやいないものと扱っていて、俺は空気と同化していた。


 授業で好きなグループを作ってくださいなんて言われちゃ必ず俺はあまり物にされるし、優しかった女子達は俺を犯人という侮蔑の眼差しで見るようになったため、誰も声をかけてくれなくなった。俺に味方は誰一人いなくなった。


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