5.知らない人と知らない記憶と、知らない人

 「離れたくない、やっぱり出かけるの止める」と駄々を捏ね、最終的にエルザさんにケツを蹴っ飛ばされて、項垂れながらようやく出発したリヒャルトさんを見送った昨晩。予定通りなら二日間、夫婦のお宅にお泊まりだ。

 とはいえ、切った木を売るだけだろうに、何にそんなに時間がかかるんだろう。隣町の大きな材木屋さんに卸していると聞いているけど、地図で見る限りそんなに距離はないように思う。


「ねぇ、レオンさん。隣の町って遠いの?」

「いや? 馬で精々二時間ってとこじゃないかな」

「なら、リヒャルトさんは? 二日もかけて何してるんだろう」

「うーん、そうだねえ」


 私の問いにレオンさんは曖昧に笑ってランチの仕込みを始める。リズム良くまな板を叩く包丁の音に、それ以上の追求が躊躇われた。


「そんな顔しないで、さくちゃん」

「む……」


 どんな顔だったのだろう。店先の花に水をやっていたエルザさんが困ったような笑顔で軒先を潜った。普段、片開きの扉があるその場所は、今はぽっかりと口を開けてえる。


 そういえば、行きがけに扉の領収書をエルザさんに持たされてたな、リヒャルトさん。


「あいつは確かに隠し事をしているけど、それはさくちゃんを思ってのことだと思うわ」

「二人は、何を隠してるのか知ってるの?」

「知ってるわ」

「それは、私のためなんだって二人もそう思うの?」


 そんなつもりは無かったのに責めるような口調になってしまった。薄々感じてはいたけど、やっぱり除け者にされてる事実が痛かった。

 胸の亀裂が、チクチクする。


「半分はさくちゃんのためだと俺たちも思うよ。でも、もう半分はあいつのエゴだとも思う」

「エゴ……」

「あいつ、さくちゃんが思うよりずっとずっと、あなたが大切なのね」


 そう言われても、結局知りたいことは伏せられたままで疎外感は拭えない。チクチクする胸をぎゅっと抑えつけて、とりあえず小さく頷いた。

 こういう時、もっと上手く言葉が出てきたらいいのに。二人とも私に気を使っている。その気持ちに、どう答えたら正解なのか分からなくてもどかしい。


 気分転換にお茶でも淹れようか、とレオンさんが包丁を置いたのと同じ時、店の外が騒がしくなった。

 なんだなんだ、とざわつく雑踏が気になって外を覗こうとすると、エルザさんに片手で制される。


 遠くから聞こえてきた馬の駆ける音、嘶き──恐らく一頭ではない──が、店の前で止まった。


「エルザさん、なに」


 何が、と言い終わる前に後ろから強い力で腕を引かれてたたらを踏む。レオンさんだった。

 こちらが口を開くより先に頭からエプロンが覆い被さって、前方にいる二人の背中が見えなくなった。


 コンクリートを踏む硬い足音が一人分、ゆっくりと店に入ってくる。庇う背中と視界を邪魔するエプロンで姿が見えない。


「随分と大胆な改装だな。扉を外したのか」


 若い男の声がひとつ。落ち着いた声音は、少しの呆れを乗せてそう言った。


「ンなわけないでしょ。あのバカが蹴散らしてったの」

「……なぜ? 飲みすぎにしたってやりすぎだろう」


 エルザさんのイラついた返答に、男は意外そうな声を出した。

 あのバカ、という単語が誰を指すのかこの訪問者は理解している。つまり、リヒャルトさんやエルザさんたちの知り合いだ。


 気になってエプロンを避けてちらりとレオンさんの背中からその姿を拝見しようとすると、目が合った。

 それはもう、ばちーん、と効果音が聞こえたんじゃないかってくらい、しっかりと目と目がナイストゥーミーチュー。


「…………」

「…………」


 そしてお互いに絶句。

 そちらが私を見て言葉を失うのはわかる。なぜならこの目。不気味って言うかその距離からならもしや白目むいてるように見えてませんか?

 ビックリさせてすみません、という気持ちと共に、私もビックリしている。なんだこのイケメンは。

 深海を覗いたかのような暗く青い瞳とは対照的に、光を浴びて輝く金髪。眉間の縦じわが多く、気難しそうな印象を受けるけどそれを差し引いても整った目鼻立ち、スラッと伸びた長い手足。まるで物語に出てくる騎士のようでつい口を開けて仔細眺めてしまう。


 王子様ではなく騎士なのは、その真っ白な隊服。あれは、たまに王都から来る見回りの騎士が来ているのと同じものだ。

 こちらは更に、その目と同じく深い青色のマントに襟や裾に金の刺繍を施して随分と上品な仕上がりになっている。


 つまりこれは、あれだろうか?

 普段は交番のお巡りさんが見回りに来ているけど今日は本庁から偉い人が視察に来た、とかそんな感じ?


「彼が隠したがっていたものはその祝福の子か」


 いつまでも惚けていると、先程と打って変わって肌を刺すような底冷えする声音で言葉が向けられた。

 エルザさんと交わしていたようなものではなく、明らかにその声には不審が含まれた。


「あんたに関係ないわ」

「私たち近衛師団がこの町に入れないようわざわざ結界まで張っておいて、関係ないだと?」

「リヒャルトはどこだ? 彼は君と会うために昨日出かけて行ったはずだ」

「こちらも煙に巻かれてばかりではない。術をかけて少々迷子になってもらっている」

「無事なんだろうな」

「私ごとき、彼をどうこうできるはずも無いだろう」


 話がまるで分からない。

 私の理解の及ぶところでない場所で、おそらく私に関わりのある事を話してる。三人の会話に私も入った方が良い、そう思って頭から掛けられたエプロンを外そうとしたが、それはレオンさんに後ろ手で止められた。


「レオンさん、私」

「大丈夫だから、リヒャルトが来るまでここに居て」

「邪魔立てするなよ、レオン。無用な罰を与えられたくはないだろう」

「ヴァルター、黙りなさい。あのバカを通さずあんたに話すことなんかひとつも無いわ」


 ひりつく空気にやっとの事で唾液を飲み込む。

 結界を張るとか近衛師団とか、分からない単語が飛び交ってはいるけどその真ん中はきっと私だ。

 何か言わなきゃと思うのに言葉が出てこない。無意味に開くだけの口はただ余計に酸素を吸い込むだけで何にもならない。


「言え、子供。お前はリヒャルト・ウェーバーのなんなのだ。何のためにこんな大掛かりな結界まで張ってお前を隠す」

「あ、……う」

「やめろヴァルターこの子が怖がってるだろ!」

「そちらこそこれ以上邪魔をするなら本当に拘束するぞ。店ができなくなってもいいのか」


 だめ、それはだめ。

 どうしよう、絶対に私のせいなのに何が何だかわからない。

 胸の亀裂がチリチリと熱を持ち始めてそっちに集中力が削がれる。


 私に伸びてくる手をエルザさんが叩き伏せる。男が舌打ちをして佩刀した細長い剣の柄に手をかける。

 だめ、どうしよう。私なにもできない。どうして、いつも、なにも、できない。






──何もできないならせめて視界に入るな。


空っぽの人形のようで気味が悪い。


無能。出来損ない。


誰も彼も。本当はお前のことが重荷で仕方ない。



何のためにお前はここにいるんだ。──







「さくちゃん!!」

「さくちゃん、息をして、さくちゃん!」



 いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!


 頭なのか心なのか分からない。或いは両方から、雪崩のように負の感情が溢れ出して溺れてしまう。蓋をしなきゃ。これが私の記憶なら、思い出したくない。


 本当の私は、そういう人間だったのかな。無能、と疎まれるだけの人間。空っぽのつまらない人間。だとしたら、知られたくない。いま、私を受け入れてくれてる人たちに嫌われたくない。

 もし嫌われたら。ここでも見放されたら。


「さくちゃん、息をして!」


 死んじゃいたい。


 胸の亀裂がそれに応えるように鳴いた。

 それを喜ぶかのように、私の仄暗い感情をまるでご馳走のように捕食して広がっていく。

 胸の痛みで四肢の感覚が無くなっていく。霞む視界の端に映った真っ黒いものが自分の指だと気づくまでたっぷり十秒は要した。

 身体中が錆びた鉄のようにギシギシ軋んで今にも粉々に割れそうだ。

 音は聞こえない、視界も白む。

 死ぬなら、最後にリヒャルトさんの鬱陶しくも太陽みたいな笑顔が見たかった。記憶が無いせいで走馬灯も数秒で済んでしまう虚しさよ。


 あ、ほんとにもうダメだ。意識飛ぶ。


 そう思った瞬間────


「こちらを見ろ」


 はっきりと声が聞こえた。次いで、目の前を白い光がチラチラ横切った。


「そうだ、その光を追え。────良し、見えているな」


 途端に、目と耳が回復した。

 目隠しが解けて光が差し込まれた視界のように、気圧の変化から開放されて音が回復した耳管のように。

 それは唐突に治まった。


「へ」

「動くな。呪いの侵食はまだ収まっていない」


 頭上から降る声に視線を誘導されると、手足はまだ真っ黒なままだ。「ひっ」と声を上げると、「徐々に収まるから動くな」と冷静な声が言う。


「ていうかだれ……」


 辛うじて動く首を巡らせると、エルザさんが倒れた私を抱き抱えて泣いていた。きれいなお姉さんの膝枕、できれば元気な時にお願いしたかった。


「なぜ貴方がここに」


 緊張を滲ませる声の方向に目をやると、さっきの騎士──ヴァルターという男──が更に眉間にシワを増やしている。その目に驚きを乗せて見やる人物は、背中しか捉えられないがおそらく私を助けてくれた人だ。


「頼まれて来てみればこのザマか。高くつくぞ、リヒャルト」


 ヴァルターの問いには答える気は無いようで、独り言のようにそう呟くと、その人は漆黒のマントを大きく翻した。

 どういう広がり方をしたのか、ヴァルターもエルザさんもレオンさんもマントの黒で塗りつぶされて見えなくなる。咄嗟に両目を瞑って身構えたが特に何も起こる気配はなく、そろりと目を開けると、


「……ここどこ?」


 辺り一面、真っ白な石に取り囲まれた小さな部屋だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る