第15話 ヒロインと強引な僕

 ――とんでもなく眠い。


 玲央のことが頭から離れなくて、昨夜は一睡もできなかった。

 「玲央」と書いた紙をひたすら破れば忘れられるんじゃないかってやってみたけど……破く事は出来なかった。

 紙じゃなくて、僕の心が破けてしまいそうだ。


 本当に僕は、アイツに恋してしまっているのか?

 いやいや、違う。違うに決まってる。僕が好きなのは紅羽くれはさんだ。

 ……でも、あの金色の睫毛や近すぎる吐息が頭の中で勝手にフラッシュバックしてくる。

 ああもう、吸血のせいでおかしくなってるだけだ! そうに決まってる!!


 そんなぐるぐるが頭の中を占拠したまま迎えた朝。

 教室のざわめきが耳に刺さる。

 寝不足のせいで頭は鈍いし、心臓はずっとバクバクいってるし……もはや限界。


 ――そうだ。

 紅羽くれはさんに吸ってもらえば、紅羽くれはさん以外のことを考えられなくなる。

 その一手で、このモヤモヤも玲央の残像も吹き飛ばせるんじゃないか?

 そんな半分錯乱じみた結論にたどりついた僕は、ふらふらと教室のドアを開けた。


 紅羽くれはさんの朝はいつも早い。今日もすでに席に着き、友達に囲まれて笑っている。

 正常な判断力を失った僕の頭は、彼女を見つけた瞬間、真っ直ぐそこに突っ込んでいくようプログラムされていたのか。

 友達に囲まれて笑っている彼女を見た途端、胸の奥のモヤモヤとイライラが爆発して。その足は迷う事なく歩みを進めていく。


「あ、野中くん。 おはよう!」

 

 愛らしい声が僕を迎える。……やっぱり紅羽くれはさんだ。僕が好きなのは紅羽くれはさんなんだ。


「うん、おはよう。で、ちょっといいかな?」

「え? うん?」


 気づけば僕は紅羽くれはさんの手を掴んでいた。

 頭がぼんやりしているせいで、止めるブレーキがきかない。

 周囲の視線も声も、全部どうでもよくなっていた。


紅羽くれは、こっち来て」


 腕を引くと、紅羽くれはさんは驚いたように目を丸くした。

 そのまま、僕は一切振り向かずに教室を出る。


 背後でざわめきが消え――世界から音が消えた気がした。


 

 僕は足早に彼女の手を引き、非常階段ひじょうかいだんのドアを開ける。

 かつての僕はここでフリーズしてたんだっけか。今はどうでもいい。


 ドアを背に立つ紅羽くれはさんは、戸惑いを隠せない瞳で僕を見上げている。

 その視線を受け止めながら、僕はそっと彼女を抱きしめた。


「野中くん……?」


 華奢な体が腕の中で小さく震える。

 鼓動と体温が直に伝わり、息を呑む。


「……吸ってほしい」


 短く告げると、紅羽くれはさんの目がわずかに揺れた。


「えっと…今ここで?」

「うん。我慢できないんだ」

 

 そして戸惑いつつもゆっくりと、僕の首に腕を回す。


「じゃあ……いただきます」


 囁きとともに、首筋へ温かな吐息が落ちる。

 次の瞬間、柔らかな感覚が肌をかすめ、心の奥にじんわりと熱が広がっていく。

 そこに痛みはなく、ただ甘く、どこか夢の中に溶け込むような心地よさがあった。


 非常階段ひじょうかいだんに射し込む朝の光の中、僕たちはただ、静かに抱き合っていた。


 

 名残惜しそうに紅羽くれはさんの唇が離れていく。


「やっぱり好きぃ……大好きぃ。ちょっとビックリしたけど幸せぇ…」


 彼女は当然のように僕の胸に顔を埋める。

 天使ー!!はい天使ー!!君のキュートさで僕のハート貫かれましたー!!

 そんな可愛いことされたら、もう僕、完全にアウトなんですけど!?


「僕も好き。大好き。最高」


 はい、終了~~。

 ……脳みそ、ショートしました。復旧班? 朝から酒盛りでーす! 復旧なんて無理でーす!

 全速前進、“紅羽くれはさんしゅきしゅきモード”発動! エンドレスループ確定。

 これ何?麻薬?合法ドラッグ?いやむしろ国策。国民の義務に吸血を加えるべきだ!!!

 

「朝からって、こんなの初めて……。私、こんなに幸せでいいのかなぁ?」


 紅羽くれはさんの声が甘く響く。

 あぁ、だめだ、僕の中で「大好き」って気持ちと「愛してる」って気持ちがプロレスしてる。レフェリー不在。

 誰も止めないならもう止まりません!僕は紅羽くれはさんをギュっと抱きしめた。

 

「いいよ。ていうか、次はもっとすごいことしちゃおうか」


 口が勝手に動いた。え、今なに言った!?全年齢BAN寸前ワード吐いたぞ僕!!


「すごいことって……制限時間に何ml飲んだら豪華賞品! とかそんな感じ?」


 うん、それ大食いだね! ああ、やっぱり。紅羽くれはさんの脳内は食欲100%。

 よかった、読者の良心を守るのは君だよ紅羽くれはさん。


「豪華賞品なら、何でもあげちゃう」


 暴走AIみたいに口だけはまだ稼働してる。誰かこの出力止めてくれ!!


「野中くんがいい!!」


 はい死んだーー!!僕の心臓、今ここで爆散。死亡確認でーす!!


「いいよ。僕は紅羽くれはさんのものだから」

「んふー♪」


 チャイムが鳴る。

 でも僕たちは抱き合ったまま。


 ――片や“純粋に朝ごはんを堪能してる女神”。

 ――片や“下心MAXで理性が燃えカスになってる男子”。


 同じイベント体験してるはずなのに。シナリオライター誰だよ!? どうするんだ、この温度差!!


 

 食後の満足感でホワホワしている紅羽くれはさんに、大好きが止められない僕が勢いそのままにキスをしかけたその時――。


 ガチャリ。

 非常階段ひじょうかいだんのドアが開いた。


 そこに立っていたのは、僕の唯一の友人・山田。

 その背後には野次馬男子たちがズラリ。


 ……そして次の瞬間。

 彼らの目から光がスッと消え、ゾンビ映画さながらに膝をつき、バタバタと倒れていった。

 廊下は戦場のように屍累々しかばねるいるい

 

「ハッ……! 僕は今、キスしようとしていた!? な、なんてことを……!」

 ギリギリ残った理性の鎖を使い、爆発四散した脳みそをかろうじて繋ぎ止める僕。ああ、でもダメだ。脳みそ全部は見つからない!!


 未完全復旧を果たした僕は、紅羽くれはさんの肩を抱いて校舎へ戻る。

 ……いやちょっと待て。なんで僕、当然みたいな顔して肩抱いてんの!?

 冷静な僕なら100%やらないムーブだぞこれ!!!

 山田は自動ドアのように横へスライド。お前、そんな便利機能あったのか。


 戦場病院さながらの廊下を、僕たちはゆっくり歩く。


「く、紅羽くれは……もしかして……そういうこと?」

 

 女子生徒たちが息を呑む。

 紅羽くれはさんは顔を赤らめ、小さくコクンと頷いた。

 嬌声きょうせいが弾け、校内は一気にお祭り騒ぎに。


 ――だが今のを紅羽くれはさん視点で翻訳すると、きっとこうだ。


紅羽くれは、もしかして朝ごはん食べてた?」

「うん。食いしん坊みたいで、ちょっと恥ずかしいなぁ(照)」


 ……とうとさと天然を同時搭載した“紅羽くれは語”。

 この先、技術がどれだけ発展したとしても。

 翻訳機能ほんやくきのうのアップデート対象には、絶対にならないと思う。

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