第9話 それは『記憶』という世界に存在する

「ようこそ、私の【間(はざま)の世界】へ。今は未だ小さき【私の主】  ゼハーーーーー…オッモ、コノキモノ…」


闇の奥から現れたのは、心の声が駄々洩れの上にヒットポイントが絶対に底を突きかけたような疲労困憊の…美人だった。

まず私は、絶句したし、なんだよこの登場は…一瞬前は「すごーい!」って言いそうになったのだけれど、「うわ…」と思った。勿論それも私の口から自然に出た。


「台無しだよ!台無し!!ちょっとリテイクお願いします!」


私は膝に手をついて前屈みになって立ち止まっている「残念な美人」にやり直しを要求した!するとその女性も負けじと応戦してきた。


「やり直しってどういう事よ!こっちもねぇ、着たくもないこのクッソ重い着物を着てワザワザ格好よく登場したのよ!褒めなさいよ!賞賛しなさいよ!!」


着物の袖をバタつかせながらその場で赤子のように見えない床にうつ伏せに倒れてジタバタと手足を動かしていた。

…見ようによってはゴキブ…あの黒光りする恐怖の虫に見えた。だって、その膝に触りそうな長い髪が黒光りしてて、素直にキモイと思いました私。スッと私はそのキモイ虫女から目を逸らすと、ソレはムクリと頭だけを持ち上げて顎を見えない床に付けながらこちら口を開いた。


「イマ ワタシノコト ゴキブリ トカ オモッタ?」


「イイエ?オモッテマセンケド?キノセイデハ?」


互いに片言になりながらも目を背けず睨み合いが始まった。それは静かな戦い。面白い顔をしながらこちらを大の字で顔だけを真っすぐ向けている虫女。身動きも取れず、口だけが動く私。かなり状況は私が不利だった。


(面白ポーズをしている相手にアドバンテージがあるわね、この状況…でも、目を逸らしたら、多分…爆笑する!)


その時私は最早恐怖とか今の状況が不思議だとかどうでも良く感じ始めていた。

(この虫女には負けられない!白上家長女の名に懸けて!!)

などと競争心だけが燃え上ってきていた!


『人間とは不思議なものである…闘争心に火が点くと恐怖心を一瞬にして凌駕するのだ!さあ心理戦の始まりですよ主様!!』


唐突に私の視界左側からナレーションのカンペが出てきた。感知は出来ていなかったのだけれど、どうやら私の隣にメイドの冥途が控えているらしい。っというか、普段からそういう立場で居てくれないかな?視界にいちいち入ってくれなくていいから!と私の意識が完全にカンペとメイドに向いてしまった。すると前方に倒れている虫女が


「メヲソラシタワネー ワタシノカチー ゲッゲッゲ」


と気色の悪い顔をしながらヒキガエルの鳴き真似ていた。その濁声に私の堪忍袋の緒がキレた。


「うっせー!このゴキブリ女!バル〇ン炊くぞ!仰向けにジタバタさせんぞこの野郎!」


売り言葉に買い言葉となってしまった。未だ口だけしか動かない状況だったけれどヤンキー言葉を練習していて良かったと私は思いました。ええ、思いました。だけれども、その言葉に動じず、その虫女はもぞもぞと体を動かしながら脱皮するかの如く着物から体だけ抜け出してきた。


「うわ、マジでキモイんですけど…」


テケテケと言われる妖怪のような動作で這いずるその様に、素直な感想が口から洩れた。そんな悪意のある言葉を完全シカトしながら、中身だけニュルっと肘を使って着物の山から出てきて立ち上がった。私は「全裸じゃないのね?」とその姿に驚いた。驚くところが其処か?と言われても其処なのだ。

理由はその立ち姿は実に清楚な感じのする青のワンピース姿だった。


「ふう…全裸じゃないわよ、【小さき主】。…って面倒ねこの言い方。じゃあ以後【小者(こもの)】で」


と額の汗を何処から出してきたのか右手に持つハンカチで拭きながらそう言ってきた。そこに何の悪びれもなく、さも当然に名称を変更してきた。先程の虫女の雰囲気と今の涼し気な女性の雰囲気の落差が酷かった。見ている私の感情の波の上がり下がりが激しくて、今は無に近い状態になってきていた。…だが、その呼び方に対しては突っ込んでおく必要があると反射的に口が動いた。


「アンタ、私をさっきは『主』って言ったわよね?主に対して小物って呼び方はないんじゃないかな?ちょっとどうかと思うわ私でも」


無の表情でその抗議の声が出ていたらしく、慌てたように左の視界からカンペが振られた。振られると見にくいと愚痴ちたくなるのだが、その体力も尽きかけていたので口に出さずに文字を読んだ。


(えーと なになに)

『すみません!あんなのでも『姫』なんです!本当にダメな姫なんです!!でもやれば出来る子なんです!!ここは穏便に、穏便にお願いします主様!どうかお慈悲を!!!』


それはカンペという名の嘆願書だった。

更にはメイド自身も視界に現れ土下座をしながらカンペを頭の上に掲げて額を見えない床に何度も打ち付けていた。見ていて実に痛々しい…私は「あ~はいはい。分かったわよ」とため息をついてメイドの懇願に免じて姫と呼ばれる虫女の失礼な言い方を許すことにした。

そんなやり取りなど我関せずの虫女は未だ汗を拭いて、更にはデオドラント的な何かも使っていた。


(ホント何なのよこの虫女…でも虫女は喋っているのに、メイドは喋らないのね?)


ふと思ったことだった。この空間で、メイドだけはいつも通り(?)カンペで私に意思疎通を図ろうとしている。虫女のように喋っていない。昼間にメイドが説明していた『視覚は音を感じませんよ?』という事になるのだろうと分かった。だけれど、目の前の虫女は喋ることが出来ている。この違いの意味を考えようと色々と頭を捻るのだけれど答えは出てこなかった。

すると虫女は準備が整ったのか、暗闇の空間に手に持っていたハンカチやデオドラント的な何かを投げ捨てた。そもそもそんな物は此処には無かったと虚空が語るように音もなく消え去った。改めて虫女はこちらに向き長い黒髪をかき上げながら面倒そうに口を開いた。


「私の女中が世話になってるわね小者。小者、これから私もときどき世話になるわ小者」


「ブチン!」(何かが私の中でキレる音が口から出た)

キュッキュ!ブンブン!ガンガン!!『堪えてください!!後生です!後生です!!』(カンペと土下座を繰り返すメイド)


虫女はそんな私の我慢の限界リミットオーバーとメイドの凄惨な状況を全く無視し、淡々と話し出した。


「私はこの『間の世界』の管理者。…今となっては管理者は私一人になってしまったけれど、一応は神様よ私。人の身でこの空間に居られる貴女にはある程度評価しているわ。器だけはバカでかいのね貴女」


そう言いながら深いため息をしてこちらを見てきた。虫女から突拍子もない情報が入ってきて私は混乱したけれど、一つ一つかみ砕くように考えた。


(いちいち癇に障る言い方をする相手だとは思っていたけれど、自称ではあるけれど『神様』って…私は今、とんでもない相手に暴言を吐いていたのではと思ったけど…ムカつくのは仕方がない、中学生だもの。キレる中学生だもの)


自分の中で理解できたのはこれだけだった。全くかみ砕くように考えられていなかった。

そんな私を置き去りにし、虫女は腕を組みながら面倒そうに再び話し出した。


「ふ~…小者、貴女は今『ここは何処か?』って思ったでしょう?」


と、さも貴女の心はお見通しですと言いたげな言葉を投げかけてきた。私は全くそんなことを考えていなかったのだけれども、いちいち反論するとメイドが再び土下座ヘッドバンギングを始めるだろうと思ったので我慢した。流れに合わせて「ここは何処なのよ」と口にすると虫女の神様(?)は更に面倒そうに口を開いた。じゃあ聞くなよ!と思ったけれど、これも私は耐えきった。誰か私を褒めてもいいよ?と思うほどに我慢した。


「ふ~~…そんな小者にも分かるように説明するわ。

『形は目で知る、形は手で知る、形は耳で知る、形は鼻で知る、形は口で知る』

形を知る感覚とはそういうものよね…言っている意味は分かるわね?ではここで小者に問題です。

『元の形を完全に失った場合、それを再現する為に最も必要な体の部位』

はどれかしら?」


と言ってきた。

『五感』の事を言っているのだろうと分かった。神様なんだから情報をアップデートしなよと思いつつも、言われたことを素直に考えてみた。


(形を後世に残す…ってことかな?だとしたら、聴覚だけだと口伝かな?触覚は…ちょっと思いつかないや。嗅覚と味覚は…料理なら有り得るだろうけど…結局は視覚の文字や写真で『形』を再現すると嗅覚と味覚は判別するための機能となるよね。ああ、でもその文字や写真を作るために触覚が必要になるのかな…『形』というのが広範囲過ぎてわからなよ…う~~~ん)


私は色々と考えていたのだけれど、虫女様(失礼な名称固定)は深いため息を二度ほどして口を開いた。


「全部不正解で全部正解よ」

「じゃあ聞かないでよ!ウザッ!」


反射的に再び叫んでしまった私だったけれど、その反応に虫女様はニヤニヤしながら話し出した。


「うふふ…そう、人とはそういうものよ小者。まあ聞きなさい。私のありがた~いお言葉を」


鼻息荒く嚙みついた私だが、やはりメイドの謝罪により一触即発の事態は免れた。青筋が何本キレたらこの話は終わるんだ?とイライラしながら虫女様を睨みながら堪え続ける私だった。


「人とは、見ずとも、触れずとも、聞かずとも、匂わずとも、食せずとも『再現された形を知る事が出来る』のよ。それは『他者の記憶から得た情報を、自身の想像の世界で正しい形だと決めつける』ことで個人で完結した形の再現となる。つまるところ【壮大な思い込みの蓄積】なのよ」


あれ?随分と難しい話になってきたぞ???と頭を悩ませたのだけれど、虫女様は待ってはくれなかった。


「例えばそうね…ほら、人が作る『ダム』。

あのダムの下に沈んだ村を懐かしく思う男性がいたとしましょう。

その男性に『沈む前の村を思い出していた』と言われたらどんな風に思い出していたと思う?

彼の中では村の情景が浮かび、風の匂いに水の味。鳥の鳴く声に樹に触れた感触。どれもこれもダムを壊して水を抜いても元には戻らない。

でも、『彼の記憶には真実の形』として残っている。しかしながらそのどれもが再現することなど不可能なのよ。唯一救いがあるとするならば、その人には『正しい村の記憶がある』ということ。

では、貴女が『彼が思い描く記憶の形を再現する』とするならどうする?色々と知って想像するしか方法がないでしょう?

村の写真を見て、運が良ければ動画を見て、同じ植生の樹や野鳥に触れて、付近の風を感じてみて、上流の川で水を飲んで…けれども、どれ一つとして彼の持っている記憶の事実の形と同じではない。

…だけども、貴女はこう思うでしょう?


『ああ、彼の住んでいた村はこんなところだったんだ』


と。

それが【個人で完結した形の再現】よ。彼の記憶とは全く違ったものだったとしてもね」


随分と長い説明だったけれど、言いたいことは頭の悪い私にも分かった。

つまり【形の再現】を行おうとしても【それそのものの記憶がないと難しい】と言いたいのだろうと理解した。話が長いわりには退屈しないなと私は思った。正直なところ、私はこういう話は嫌いではない、むしろ好きな部類だった。すると私の目の色が少し変わったのを察したのか、虫女様はフムフムと少し上機嫌に頷いていた。


「ふーん…小者はこういう話、好きなんだぁ。見どころがあるじゃない、いいわね貴女」


と私の評価を少しだけ上げてきたのだが、言い方がやっぱり気に入らない私だった。すると虫女様が少し笑いながら口を開いた。


「さっきの話から『知らない物を完全に再現するのは不可能』と思うじゃない?

出来るのよ、この【間の世界】ならね。驚いたでしょう?」


そう言い終わると、虫女様の隣の虚空から一本の桜の木が現れ、満開の花を咲かせていた。

私はその光景に目を見開いたまま硬直した。そもそも動けない体だったけれど、心が硬直したと言った方がいいのかもしれない。正に時が止まった感覚だった。美しさに感情を揺るがされたのではなく、桜の木の存在に心が硬直した。

どこかで見た事のある桜の木。確かソレは兄の高校側にある和風の門構えの大きな家。一本だけ低い位置に枝があった変わった老木。【私はそれだと分かった】。


だけど、私はそんな家も桜も知らない。【知らないのに、知っている】。


まるで先程の漫画の下りを今、桜の木を通して同じ感覚を覚えることになった。その感覚に硬直していた。

何も言わなくなった私に、虫女様は少し残念そうな表情をしながら桜を見て話し出した。


「さっきも言ったけど、この間の世界には私を含めて五柱の管理者がいたのよ、昔はね。今は私だけになってしまった。そして私は『物を見た記憶』を司る。だから、この桜の花の匂いも、風にそよぐ葉音も、幹の力強い手触りも、木の下で想い人と語る恋の味も、再現は出来ないのよ…」


「最後の味覚!上手い事言いやがりましたよ、この神!!!」


虫女様がしんみり話している空気をぶち壊すかの如く、私の口は脊髄反射のように感想が飛び出た。その突っ込みに虫女様はジト目をしながらこちらを見たのだけれど、直ぐに笑い始めた。


「っぷ…貴女って本当に静寂をぶち壊す為に産まれてきたような人間ね」


と神ではなく、何処にでもいそうな女性の笑い顔になり私を評価してきた。…評価というか、酷評?とも思った…

虫女様は気を取り直したのか、笑う事を止めて再び私に向き直った。その瞳は真面目な雰囲気があった。最初のような面白残念な美人の印象は何処にもなかった。そしてその口から言の葉が私に届く。


「もう分かっていると思うけど、私は『目を司る神』。そして今も居でしょ?貴女の目に私の女中が。つまりそういうことよ。貴女は神である私と繋がっているのよ既に、ね。だから有難く思って私の【役目】を手伝いなさい。いいわね?」


そこには圧があった。神からの命令と言ってもいいだろうと思う。だから私は真面目な顔で目の前の神に向き、礼儀正しく返事を返した。


「だが断る!!」


と。

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