第二章 翔子の到来

第二章 翔子の到来


 送迎バスの窓ガラスに、少女の顔が映っていた。杉山翔子、十七歳。制服ではなく淡い色のパーカーに細身のジーンズ。膝の上には、小さなリュックがひとつ。

 山道を揺れるたび、携帯電話のアンテナは一本、また一本と細り、ついには圏外を示した。画面に映る「圏外」の二文字を、翔子は安堵と不安の入り混じった目で見つめた。

 ――これで、誰からも届かない。

 同時に、もう誰にも助けを求められない。


 学校では教室のざわめきが彼女を追い詰め、SNSでは匿名の悪意が増幅された。母が台所で見ていたニュースでは「いじめ相談件数が増加」と字幕が流れていたが、翔子に手を伸ばすことはなかった。

 ――ここなら、痛まずに終われる。

 画面で見つけた一文が、救命ボートのように胸に浮かんでいた。


 バスはカーブを曲がり、やがて白い建物の前で停まった。

 受付の女性職員が声をかける。

 「杉山翔子さんですね。お待ちしておりました」

 即答だった。翔子は小さく頷いたが、胸の奥にかすかな違和感が残った。未成年の自分が一人でここへ来た。それなのに、誰も驚きもせず、あらかじめ名前を把握していた。


 案内された共有ラウンジは、人の気配が少なく、整えられすぎた静けさに満ちていた。革張りのソファが一直線に並び、観葉植物は一切の枯れを許されていないかのように生き生きとしている。

 座った瞬間、ソファの隙間から何かがはみ出しているのに気づいた。小さな紙切れ。翔子は指先でつまみ出し、目を凝らす。


 走り書きの文字が残されていた。

 《選んだのは私。でも、これは私の字ではない》


 意味を測りかねるその一文。翔子は思わず手を震わせ、紙をリュックに押し込んだ。胸の奥で心臓が強く脈打ち、静寂が一層濃くなったように感じられた。


 ラウンジの奥には扉が並び、同じような個室へ続いている。その一つ、翔子の隣室だけが妙に沈黙していた。まるで誰もいないかのように、音の気配がなかった。

 ――けれど、その部屋には誰かがいる。

 理由もなく、そう感じた。


 部屋に戻り、荷物を置く。ベッドは真新しいシーツで覆われ、机の上にはパンフレットがきちんと揃えられている。

 窓を開けると、森の風とともに風鈴の音が流れ込んできた。だがその音さえ、どこか遠くからの合図のように聞こえる。


 翔子は机に置かれた紙と鉛筆を手に取り、何も考えずに線を走らせた。

 《声はどこへ行く/わたしはどこへ行く》

 行を重ねては破り、破片を丸めて机の隅に置く。その山が、心の中に溜まった声のように積み重なっていった。


 扉の向こうの廊下は静かだった。だが、その静けさがかえって不気味に耳を刺した。



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