第28話 気分が良い


『突然すみません! 俺には好きな人がいます‼』

「……え? ケン君……?」


 突如として響いた聞き間違えるはずのないその声に、うちは足を止めざるを得なかった。

 花火を見ようとする人々は上の神社の方へと移動している為、うちとパパの居る石段は一切人気がない。そのせいか、しっかりと、その声はうちの耳に届いた。


『その人は寡黙で凛々しく、いつも教室の隅っこに居て……俺は入学初日にその人に一目惚れしたんです。だから告白して……無事お付き合いをすることが出来ました』

「……そっか」


 意識を奪われて謹聴し、しかし己の浅はかさを痛感する。


「ん? 何だこの煩わしい放送は……って、どうした雀、早く行くぞ」

「あ、うん……」


 パパの声掛けに、うちは素直に答えた。


 そうだ、これはうちが望んだ事。今更……迷ってはいけない。


 うちは振り返らずに、再度階段を降りていく。でも──


『その人とは一緒に居れば居るほど楽しく、実はノリが良かったり、実はおもしれー女だったり、そういう意外な一面を知れて更に好きになっていって……なによりこんな俺なんかを一途に愛してくれる素敵な人なんです』


 ──止めて、と無意識に思ってしまう。つい耳を塞ぎたくなって、嫉妬でどうにかなってしまいそうになる。


 あぁ……やっぱうち……最低だ……。


 歯軋りし、溢れてくる感情を堪える。それは嫉妬であり、妬みであり、そんな事を思ってしまう自身に対する忌々しさから成るものであった。

 うちは目を伏せ、首を振って払い除け、己の感情を抑えつける。


『でも、そんな日々もあいつのせいで終わりを迎えました。あいつは傲慢にも彼女のいる俺に告白してきたんです、しかも二度も! ほんとヤベー奴かと思いましたよ』

「……っ」


 口を引き結ぶ。大丈夫、これぐらい覚悟していた。それぐらいの事をしたという自覚もある。だから……大丈夫、これでいいのだ。

 するとケン君の息を大きく吸う音がマイクに乗る。ついで、発散。


『だけど……ほんっっっとうにヤベー奴だったんです! ストーカー行為してくるは、勝手に彼女面してくるは、俺に承諾も無しに家に上がってるはで、マジで大変で大変でぇ! ……ほんっと、うんざりしてますよ』

「(……ハハ、優しいなぁ)」


 うちはケン君なりの気遣いに、小さく苦笑する。彼への愛を、嫌でも感じ取ってしまう。

 脳裏でケン君の声が、姿が、優しさが蘇る。忘れたくても、忘れられない──今では尊い日常であり、負けヒロインのうちには相応しくない日々。

 ギュッと、うちは手を強く握る。爆発しそうな想いを、必死に押し殺す。

 それでも彼は……続けた。優しく、穏やかに。


『……だというのに、俺は何故かあいつを完全に拒絶できずにいた。最初は単に煩悩が働いているだけだと思った──けど、違った』


 今では考えられない愛撫のようなその声音は、うちにいつかの『好き』という感情を芽生えさせる。


『あいつと一緒に居れば居るほど、ほっとけなくなって、構ってしまうようになっちゃって……無意識にあいつの事を考えるようにもなってしまった』


 そのおかげか、感じ取れてしまう。


 ……あぁ、そっか。


 彼は、うちをちゃんと見ていたと。今日も──あの日も。


 ケン君、気付いてくれてたんだぁ……。


『それからだ、あいつが──あの梅雨の日に助けた少女だと知ったのは』


 あまりの嬉しさに表情が緩み、涙が溢れそうになる。


『ちょっと君‼』

『早く退きなさい‼』


 スピーカーから二人の男の怒号の声に、激しい衣擦れと抵抗の物騒な打音。

 ケン君は息を荒立て、連ねる。


『ッ! そしてあいつは今日……あの梅雨の日と同じように助けを求めてきた……っ』

「──!」


 うちは漏れ出す想いに感無量となり、咄嗟に口を手で押さえた。


『言っとくが俺は二股をするような奴はクソだと思ってる。グッ……だがな、そんなんで誰かが救われるってんなら、俺は喜んでクソ野郎にでも何でもなってやるよ──!』


 溜めた言葉は咆哮となり、思いの丈となり、花火を掻き消し、震撼させる。


『──その上で宣言する‼ 俺は楓と雀、二人の事が好きだッッッ‼』

「──‼」


 ケン君の豪語に、うちは瞠目する。胸がキュッと締まって燃えるように熱くなる。加え……、


「(アハハッ……やっと、名前で呼んでくれたぁ……)」


 好きな人からの名前呼びに感極まって破願し、感動のあまりにんまりと笑顔を浮かべた。

 対してパパは眉間に皺を寄せ、ぼやる。


「フンッ、馬鹿馬鹿しい」


 堅物なうちのパパには、一切響かない。

 次第にスピーカーから知らない男の声や打音は増えていき、ケン君の声は絶え絶えに途絶えていく。

 そんな状態でもケン君は、振り絞るように言葉を放ち続けた。


『だからお前らも自分の意志を持て! お前らはお前らの選択をしろ! 己の手で道を切り開いてみせろッ‼』


 うちの選択で……道を、切り開く……? あ、そっか。


 うちはケン君とかえっちに迷惑だからと結論付け、勝手に向き合った気になっていた。けどそれは……単なる現実逃避。目の前の恋から逃げただけに過ぎないのだ。


 ケン君は言った──うちはうちの選択をしろと。


 うちの選択、つまりはうちのやりたい事をやれという意味……というのは分かっている。

 だとしてもその末に悲劇が待っているとしたら、うちは──


『グッ……! 例えどんな選択だろうと俺は……俺は絶対その選択を尊重してやるから‼』


 ──怒号が轟いた刹那、喧騒は止み、花火は静止し、時間は止まり、涼風は凪いで、迷いは彼方へ吹き飛んだ。

 うちはケン君の言葉を胸に刻み、立ち止まる。


「? おい雀、こんな所早く──」

「──ごめん、やっぱ帰らない」

「……はぁ?」


 一歩前を歩いていたパパが間を置き、呆れた様子で振り返った。

 分かっている、ばつが悪いということぐらい……けど、


「雀お前、親に反抗するのか?」

「うん」

「そうか……なら強引にでも連れて帰らなきゃな」


 パパはうちに手を伸ばし、その手を掴もうとする。

 それにうちは身体を捻り、手の甲で弾いた。


「……は?」


 間を置いた、先程とは打って変わった腑抜けたパパの声。

 うちは口を開けて唖然とするパパに微笑を向ける。


「大丈夫、安心して。ちゃんと叱られに帰るから」


 次には踵を返し、パパに背を見せた。

 パパは今も戸惑い、おどおどと訊いてきた。


「……どうして、どうしてだ……? 一体何が、雀をそこまで……」


 そう問われ、うちは一瞬黙考する。


 どうして、かー。まぁケン君のおかげって言えばそれまでだけど──


 ──けど、それをパパの前で言うのは娘として気恥ずかしいものがあった。

 だから言葉を変え、あえてロマンチックに、語る。


──


 うちはパパに一瞥して優しく微笑み、石段を駆け上がっていく。

 花火がうちを照らす。

 喧騒に身体が包まれていく。


 気分が良い、そう思った。


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