賢人君の貞操が崩壊寸前⁉

ワクタカ

第1話 プロローグ

 GW。


「お! 俺と付き合ってください‼」


 勢いに任せ、俺は眼前に佇む矢野楓やのかえでという少女に告白した。

 楓は寡黙で口数が少なく、クラスでも少々……いや、かなり浮いた存在だ。


 でも俺はそんな彼女に一目惚れをして、こうして告白している。

 俺は鳴り止まない鼓動を必死に抑え込む。

 楓はしばし黙考した後、徐に口を開いて……、


「いいよ」

「え……?」


 淡々と承諾する。

 楓は戸惑う俺の手を取り、つぶらな瞳で見つめてきた。


「私も、前から気になってた。だから、いいよ?」

「え……⁉ や、やった……!」


 俺は顔を上げ、歓喜に満ちて跳ね上がる。


 そうして、俺は人生で初めて彼女ができた。



       ※


 立夏。


「彼女ができたらしいわね、貴方」


 同じマンションの隣に住む椎名真衣しいなまいは、密室とも言えるエレベーター内で突然話しかけてきた。

 椎名先輩は我が校の風紀委員長で、美人で人望も厚く、俺とは対極の存在だ。


 そんな憧憬のような先輩から突如声を掛けられたものだから、俺は目を点にする。

 椎名先輩は続けて連ねてきた。


「ご近所のおばさん達が噂にしていたの、『あの子に彼女ができたらしい』って」

「そ、そう、ですか……」


 楓については他言無用にしていたし、家に連れてきたこともない。

 故に俺はご近所のおばさん達の情報網に少々戦慄し、おぼつかない相槌を打った。


 するとピンッと、エレベーター内に小さな電子音が響く。どうやら一階にエレベーターが到着したらしい。

 椎名先輩は開かれていく出入り口の前で、俺に見向きもせず、冷酷に告げる。


「風紀委員長だから忠告するけれど、彼女さんとは節度あるお付き合いをするように。……それだけだから」

「は、はい……」


 先輩はそう言い残して、足早にエレベーターから出ていった。

 俺は静穏なエレベーター内で、椎名先輩の言葉一つ一つを思い起こしては反芻する。そして、ふとある事実に気が付いた。


「あ、そういえば俺……、何気に椎名先輩と初めて話したな……」


 人生初めての憧れの先輩との会話は、俺に深い余韻と甘美を与えていった。



       ※


 梅雨。


 それは土砂降りの日の出来事だった。


 部活動で遅くなった帰り道。

 曇天で覆われて薄暗く、陰翳とした電柱の真下に、一人の女の子が座り込んでいた。


「?」


 俺は少女を見る。

 少女はその華奢な身体に似合わぬ一回り大きな黒いパーカーを身に纏い、フードを被っていて……何処か哀愁を漂わせていた。

 その瞬間、俺は不覚にも〝可愛そうなど〟と、思った。

 だから女の子に傘を差し出して──


「大丈夫ですか……?」


 ──つい、声を掛けてしまった。


「あ……」


 女の子は儚げに発声し、仰ぐ。フードの中から深紅の瞳を覗かせて、震えた声音で言葉を絞り出す。


「……助けて」

「……え、あ、はい」


 俺はそれに答えてしまった。


 それが波乱万丈な人生の始まりだとも知らずに……。

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