第3話





インターホンが鳴り、玄関が自動で開いた。

最初に現れたのは編集の岸さんだった。

桜色の風呂敷に包まれた箱を、少し照れくさそうに差し出す。



「手作りなんです。うまくできているかどうか……」



「ありがとうございます」


受け取りながらリビングに通す。


俺はキッチンに回り、ガラスの湯呑を三つ並べて茶を淹れた。

透き通る器に淡い緑が映える。


湯呑をテーブルに置いたとき、岸さんが小首をかしげた。



「あれ……? 三つ?」



「ええ、記者の吉高さんもお呼びしてるんですよ」


悪びれる様子もなく答えると、岸さんは一瞬まばたきし、それからそっと小さくため息をついた。


その視線の先では、カグラがすでに棚の上に避難していた。

長い尻尾を揺らしながら、じっとこちらの様子をうかがっている。


ちょうどそのとき、再びインターホンが鳴った。

玄関が開き、吉高さんが花柄の袋を手に入ってくる。



「お邪魔します。先生、これ昨日焼いたクッキーです。よろしければ」


靴を脱ごうとした彼女が、玄関に並ぶヒールに気づいて小さく首をかしげた。



「あれ……?」



「ええ、今日は岸さんにも来ていただいてます」


俺が何でもないように答えると、吉高さんは一瞬目を丸くし、それから微笑みを作った。


リビングに通すと、岸さんと吉高さんが向かい合う。

どちらも少し気まずそうに、控えめな会釈を交わした。



数秒の沈黙。



次の瞬間、二人同時に吹き出した。



「……なんだか、こういうのって面白いですね」



「ええ、本当に」


俺にはよくわからなかったが、仲良きことは美しきかな、というやつだろう。


棚の上では、カグラが大きなあくびをしていた。



***



テーブルに並んだ練り切りとクッキー。

岸さんと吉高さんは、互いの差し入れをひと口ずつ口にした。



「これ、本当に手作りなんですか? すごくきれいで美味しい」



「ありがとうございます。でも、このクッキーも香ばしくて……やっぱりお上手ですね」


二人が笑顔で褒め合うのを、俺は湯呑を傾けながら眺めていた。



「そう? よかった。あゆむさんに褒めてもらえたら一番嬉しいけど」



「……あゆむさん?」


岸さんが小さく目を瞬いた。


俺は特に気にせず湯呑を置いた。

棚の上では、カグラがじっとそのやり取りを見下ろしていた。


ふと、吉高さんの視線がリビングの一角に止まった。

透明なショーケースの中に、一冊の本が飾られている。



「これ……先生のデビュー作ですよね」


彼女が身を乗り出す。



「ええ。あれだけは初版本を置いてるんです」


俺は答えた。


岸さんも目を細める。



「懐かしいですね。当時は編集部でも話題になって……“南条先生は必ず大きくなる”ってみんな言ってました」


吉高さんが微笑む。



「やっぱり、あゆむさんの原点ですよね」



「まあ、必死で書いたのは確かです」


俺は苦笑し、ショーケースの本に視線を移した。


二人の視線は揃ってショーケースの本へと戻る。

そして、どちらも同じ質問を喉まで出しかけて、口を閉じた。



――“白い木って、結局なんなんですか?”



俺はなんとなしに呟く。



「別になんでもないんですよ。僕の原風景で、ずっと頭の中にある光景なんです。

意味があるのか無いのかもわからない。

でも、この作品の中には、ずっと白い木が立ってます」


岸さんは固まったようにじっと動かず、吉高さんは妙に興奮してキッチンへ立ち上がった。



「ちょっと……オムライス作ります!」



その光景を、カグラがゆっくりと眺める。


そして、ためらいなく岸さんの膝に飛び乗り、丸くなった。

岸さんは驚いたように目を見開き、それからぎこちなく微笑んだ。



***



やがて吉高さんの作ったオムライスがテーブルに並んだ。

三人でスプーンを手に取り、口に運ぶ。



「……うん、美味しい」


俺がそう言うと、吉高さんがぱっと顔を輝かせた。


しばしの談笑のあと、二人はそれぞれの荷物を手に帰り支度を始めた。



「今日はありがとうございました、南条先生」



「またぜひ……」


玄関の扉が静かに閉まり、部屋に再び静けさが戻った。

ショーケースの『白い木』が、淡い光の中で静かに佇んでいた。



***



二人が帰ったあと、食器はすべてズボディッシュに任せた。

静かな機械音が背後で響く中、俺は書斎へと足を向ける。


扉に手をかけた瞬間、影がするりと横切った。

カグラだ。小さな身体で器用に入り込もうとする。



「こら、だめだ」


抱き上げて、軽くひょいと後ろへ放る。

カグラは床に着地すると、不満げににゃあと鳴き、尾を大きく揺らした。



俺は苦笑しながら、今度こそ扉を開けた。



書斎に入り、椅子に腰を下ろす。

端末のランプが灯り、エンポの声が静かに響いた。



「お疲れさまです、南条先生」



「なあ、エンポ……デビュー作を書いてた頃のことを、ふと思い出してな」


自分でも不思議なくらい、自然に口が動いた。



「眠れなくて、うなされるように書いた。

書かないといけない、って……あのときは本当にそう思ってた」



短い沈黙。


モニターの向こうで、エンポが処理を続けている気配がする。



「――記録しました」


俺は苦笑し、背もたれに身を預けた。

あの夜の熱は、もう遠い。





エンポの画面に、新しい原稿の文字が静かに流れていた。

テーマは「日常」。

小説ではなく短いエッセイ――朝の光や紅茶の香りを綴っただけの、簡潔な文章。


ざっと目を通して承認を押す。

数秒後には担当編集の岸さんの受信箱に届いているはずだった。


立ち上がろうとしたとき、机の端末が震えた。

知らない番号。一瞬だけ迷ってから、通話に応じる。



「南条遠歩さんですね」


落ち着いた声が告げた。



「……お母様の訃報をお伝えしなければなりません」


南条は短く「承知しました」とだけ返し、通話を切った。

指先に残る微かな振動が、しばらく消えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る