江戸ブロマンス 貴方と私が手と手を取り合う「掃除屋」生活が始まるまでの序章

しゃもこ

貴方と私の出会い

 時は弘化。


 浦賀に黒船なるものが来たらしいと噂は流れているものの、黒船どころか船すら見たことがない民しかいない静かな山間の田舎町。


 その町の更に端に、静かな佇まいの仕立屋がひっそりとのれんを出している。


 店の主はれんという男で、そこでは腕の良い貞次ていじという名の職人が男仕立てを行っていた。


 盛り場からは離れた場所にあるものの、帯の仕立ては江戸の職人も真っ青の腕前と言われるほど。


 女仕立てにはできないものをこしらえるなら貞次がいいよ、その名は近隣の村にまで聞こえてくるほどだった。


 結果、仕事の依頼は絶えない、そんな店だ。


 主の名前を蓮と皆は呼んでいるが、おそらくそれはその男の本当の名前ではない。ただ本当の名前は、聞いてはいけない。


 それは町の不問律のようになっていた。


 実は。


 華奢な体付きな上に女のように可憐な顔立ちの貞次は、貧しい両親によって、山間の茶屋に陰間かげまとして売られていた。


 陰間茶屋での貞次は、毎日、毎日、昼夜男女問わず客の慰み物にされていた。


 ところが、ある夜の大騒動を境に、彼の運命は大きく変わったのだ。


 その日もいつも通り客をとらされていた貞次は、茶屋に乱入してきた「馴染み」に突然首を絞められた。


 貞次が気絶している間に客は斬られ貞次は体を荒縄で縛られた。その上、部屋に油を撒かれ、座敷に火を放たれた。


 茶屋は一気に激しく燃え、茶屋の主人を始めとして客や他の陰間達など、多くの人が命を落とした。亡骸のない貞次も、この火の中では生きてはいないと、つまりは死んだものとして扱われた。


 ところがである。  

 貞次は生きていたのだ。


 正確には、目が覚めたら茶屋の外にいた、が正しい。茶屋から出ることなど、本来ならば売られ陰間の自分には年季を迎えるまでは不可能だと言うのに。


 貞次を救ったのは、れんだった。

 蓮の本業は「掃除屋」だ。

 掃除屋といっても清掃作業をするわけではない。


 妖や魔や余計なことを知りすぎた人間など、とにかく一度頼まれたなら、どんなものであったとしても、きれいに「掃除」するのが彼の仕事だ。


 いわゆる裏稼業である。


 その仕事柄故か、蓮の瞳は冬の月のようにどこまでも冷たく光り、その奥にはとてつもなく深い闇が広がっていた。


 蓮は大柄で精悍な顔立ちのい男だが、町の女たちが黄色い声を上げて騒がないのは、その瞳のせいだろう。


 そんな蓮に、まるで地獄の如き業火の中、貞次は何故か命を助けられた。目が覚めたら、蓮と名乗る男と共に竹林の中にいた。眼下に激しく燃える茶屋を見下ろしながら。


 首を絞められてから後の記憶がない貞次が自分が置かれている状況を理解するまで、少し時間がかかった。


 しかし、蓮のような男が何故、田舎の陰間である自分などに手を差し伸べたのか、貞次にはそれが不思議でならなかった。縛られた陰間など、捨ておけば良いものを。


「気になるか?」

 蓮は、貞次がその答えを探していることに気づいていたようだった。


 貞次はただ黙って頷いた。

 蓮は少し黙った後、静かに口を開いた。


「仕事だ。お前を襲った男には妖が憑いていた。その男を妖ごと掃除するように俺はある人から頼まれていた。


 男のターゲットいがたまたまお前だったから、男は燃やしてお前は助けた。ただそれだけのことだ。」


 その言葉で、蓮にしてみたら何らかの情があったわけではなく、「ただの仕事」である事はわかった。


 それでも「この人のそばにいたい」と貞次は本能的に思った。命の恩人だからということではなく。


 だから気がついたら、口に出していた。自分の気持ちを。


「私を、貴方様のおそばに置いてください。」

 貞次は蓮に頭を下げた。


「お前に何ができる?」

 蓮が何の感情もない声で貞次に尋ねた。


「陰間をしておりましたので、夜伽よとぎと、後は針仕事が一通りできます」


 貞次が答えると、蓮は、そうか、と言ったきり後は何も言わなかったので、貞次は蓮について行った。


 そうするより他に、その時まだ14歳だった貞次には、生きる道もなかったからだ。


 あの時の直感は正しかった。今でも貞次はそう思う。結果的に、こうして仕立て屋として穏やかな時間を過ごすことができている。


 もう体を売らなくていい。

 それだけで貞次は幸せだった。

 針仕事は大好きだ。


 穏やかな毎日が、穏やかに過ぎていった。

 ところが、である。


 ある日、「影狼かげろう」が現れ隣の村の祠の封印を破った。影狼は、家を次々と襲い年若い者のみを男女問わず「喰い散らかした」との報告しらせが蓮の元に入った。


 影狼は人々の恐怖心を糧に力を増す色妖しきまだ。


 影狼に「喰われた」ものは、男も女も色に狂い、色に耽って、もしくは色に怯えてそのまま命を落とす、それを見た人々の恐怖心を喰らってさらに力を増やす、そんな恐ろしい妖だ。


 享保時代の掃除屋が祠に「影狼」を閉じ込めたはずだったのだが、時の流れとともに祠の扉が緩んで開いてしまったらしい。



「蓮様、どうか、影狼をどうにか掃除していただけませんか。どうか、どうか。どうかお願いいたします」


 村長の嘆願の言葉が終わると、山を越えて隣の村から蓮の元へやってきた疲れた顔の村人たちが目に涙を浮かべて、一斉に蓮に頭を下げた。


 蓮は無表情で頷いた。

 貞次は蓮の後ろに控えて話を聞いていた。

 貞次にはこの店もある。

 蓮の「掃除」の腕は確かだ。


 でも、今回はなぜか、蓮を一人でいかせてはいけない、そんな気がしてならなかった。

 非力な自分には何もできない。そんな事はわかっている。けれど、気がついたら言葉にしていた。

「蓮様、私もお供させてください」


 蓮は驚きの表情を見せた。

 村人の目と蓮の目が一斉に貞次に向けられる。


 なぜお前が?お前はただの仕立て屋だろう?

 村の人々は口にこそ出さないがそう思っている。


「お前は何を言っている?」

 蓮が貞次に冷たく言い放った。


 蓮の氷の刃のような眼光に貞次は一瞬、ひるんだ。しかし、


「私はあなたさまのお役に立ちたいのです」

 貞次は決意を込めて続けた。


「灯籠を持って行きます。暗闇では光が必ず必要になりましょう。影狼は光が苦手と噂話に聞いております。あなた様と影狼を私が背後から照らし続けましょう。」


 蓮はしばらく黙って貞次を見つめていた。


 蓮はその目を見て、ただ一言口にした。

「守れ、俺の背を」

「はい!」


 こうして二人は、その足で、村の人たちと共に隣村の祠に向かうこととなった。


 途中、薄暗い夜道を歩きながら、貞次は心の中で何度も誓った。


 必ずや蓮様の役に立つ、あの時のご恩返しをするのだ、と。



 影狼が現れるのは夜深くである。


 村人たちには、それぞれの家にしっかり戸を立てて絶対に外に出ないように伝えてある。


 村人たちが恐れおののくに、二人は静かに祠の前に立った。


 蓮はただそこに立っている。


 貞次はその背後に控えながら、手に灯籠を握りしめていた。貞次の手首に冷たい汗が流れていくのがわかる。


 風が冷たく吹き、木々が不気味に揺れた。

 その瞬間、祠の奥から邪な気配が感じられた。


 貞次は深呼吸をして静かに蓮を見た。


「行こう」


 蓮はただ一言そう言うと、刀の鞘に手をかけた。

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