第9話

月明かりが神宮寺のまつ毛を照らし、彼女の腕が私の腰の上に横たわっていた。

そっと薄毛布を引き寄せると、彼女の寝言が聞こえた。「葵ちゃんの語尾って、溶けたキャラメルみたいに甘いね」彼女の指が突然、私のパジャマの前襟を掴んだ。


彼女の丸まった姿勢は、雨に濡れた子猫を思い起こさせるが、掌の握力は捕食者の本質を思い知らせる。


枕に広がった髪、神宮寺の微かに開いた唇がつややかに光る。


教室での会話が突然よみがえる。「星野さん、これ見て!」佐藤美咲が少女漫画を机の上に広げ、ページを跨いだ接吻のクローズアップを指でトントンと叩く。


漫画の中に重なり合った唇を見つめ、喉が締め付けられるような感覚は、初めて女性用下着のホックに触れた時と同じだった。


人間の粘膜接触面積は9平方センチ、唾液の交換量は平均10ミリリットル――今、これらの知識はすべて、耳の先を熱くする烙印と化した。


「まさか」佐藤さんが突然近づき、指で教科書の挿絵をなぞりながら、「星野さん、初吻もまだなの?」


私はスカートの裾をぎゅっと握った。


二世を生きる記憶が走馬灯のように駆け抜ける――コンビニのバイト中にこっそりカップルを見た時の照れ、第二ボタンを握りしめた時の臆病さ、そして今この、抱擁すらも震えてしまう身体。


「そ、そんなことないよ…」 「耳が真っ赤だよ!」彼女は突然手を私の頬に当てた。「特訓してみる?私、中学時代は『接吻魔』って呼ばれてたんだからね。」


「うん!」


記憶は神宮寺の突然の声で中断された。神宮寺のネグリジェのストラップが肘まで滑り落ち、雪のような肌があらわに。


私は何かに憑かれたように数センチ近づき、神宮寺の苺のリップグロスの香りがした。佐藤さんの声が耳朶で再生される。「キスする時、相手がリップグロスを塗ってたら、蜜蝋と血が混ざった甘い生臭さを味わうことになるよ」


「二世も人間として、あまりに失敗だ。」


私は空気に向かってキスの口真似をし、耳元に悪魔の囁きが聞こえる。『早くキスしろ!』左の悪魔が鋼の叉を振り回し、『ポテトチップスの袋を開けるようにあっさりと!』 『雪糕を口の中で溶かすように優しく。』右の悪魔は水晶の杯を捧げ、『口角から始めて、0.5倍速で......』


「ただ唇の湿度を測るだけさ。」とばかげた言い訳を心の中で唱え、鼻先とあの紅の間は三センチだけになった。


二センチ


一センチ


「捕まえたよ。」髪が私の瞼を掠めた瞬間、身体は反対にマットレスの奥へと押し込められていた。


彼女の膝が私の腿の間に食い込む力には若干の倦怠感が伴い、歯が私の下唇に触れる感触は、ある甘美な罠のようだ。


「おはよう」


彼女の曖昧な挨拶は、甘味と血の味を帯びて歯の隙間へと染み込んでいく。


このキスは想像以上に湿っており、溶けたバイオレットキャンディを味わっているかのようだった。


私は彼女の飲み込むリズムを数え、突然条件反射を理解する――今震えているのは指だけではなく、魂の奥底で眠っていたあるスイッチもだった。


後頭部が柔らかい枕にぶつかり、神宮寺の瞳は朝日の中で猫科動物の縦線のように収縮した。彼女が私の手首を押さえつける力は、もがく獲物を抑え込むかのよう。


「待っ…」と言い訳が粉々に砕かれる瞬間、17年間溜め込んだ幻想は花火のように炸裂した。


神宮寺の虎牙が下唇を掠める痛み、苺味のリップグロスが溶けるベタつき、そして飲み込むたびに動く喉仏の触感――なるほど、キスは本当に206の骨と639の筋肉を活性化させるのだ。


「呼吸。」


彼女が少し離した唇の間から銀の糸が引く。「コンビニでバイトしてる時も、こんなに喘いでるの見たことないよ」神宮寺の指が私の鎖骨のあたりを撫でる。「キスしたかっただけじゃない?そんなに臆病なの」


親指で私の口角の血の玉を拭い、神宮寺の笑顔はメスよりも鋭い:「まだ欲しい?」


二度目のキスは電気の通った綿菓子のようで、彼女は私の舌先を導いてワルツを踊らせ、全ての感覚は唇が触れ合った瞬間に消滅した。


「何回目?」神宮寺は私の乱れた髪の先を弄び、枕の上でハート形に並べる。


彼女の膝が痙攣した私のふくらはぎを押さえつけ、私は腫れ上がった唇を触りながらベッドサイドのデジタル時計を数える。血の玉が指先で珊瑚のように固まる:「七回…それとも八回?」


彼女は突然、私が数えていた指を噛み、指が虎口を掠める:「葵ちゃんの肺活量、なさすぎだよ」 「明日から朝のランニング特訓ね。」


「葵ちゃんって本当にすけべだね、現行犯逮捕されちゃった」彼女がひょいと私の上に乗る動作は流れるように自然だ。「キス未遂の量刑はどうする?」


「神宮寺さんが先に…」私は言い逃れようとした。


「呼吸数毎分32回、瞳孔拡散直径8.2ミリメートル。」彼女は突然スマートフォンを取り出す。「ついでに言うと、私の首を締める力、白鳥を絞め殺せるくらいだよ。」


「私を騙したの?」真実を知り、羞恥と憤りで声が裏返る。枕を引き寄せるが、神宮寺はその勢いで私を押さえ込む。


彼女はスマホの暗号化されたアルバムを揺らす。画面いっぱいに、私がこっそり彼女の唇を盗み見ている様子の写真が。「君が漫画をぼんやり見つめてた時から、餌を仕掛けてたんだからね。」


「変態!ストーカー!盗撮魔!」


「葵ちゃん、好きじゃないの?」神宮寺はとても傷ついた表情を作る。


「怒った?」神宮寺の指先が私の指の隙間に入り込み、指を組む力は誘惑に満ちている。「さっきキスしてた時、心拍数、肋骨を壊しそうなほど速かったじゃん。」


彼女は突然私の耳たぶを軽く噛んだ。LINEのグループで佐藤さんのメッセージが次々とポップアップするのが見える。「リップグロスの味はどう?」


「足、震えてる?」 「唾液のpH値、測った?」


「君が漫画を見て唾を飲み込んでた時よ。」神宮寺の膝が私の熱くなった肌を擦る。「美咲は君が月末まで耐えるって賭けてたけど、私は一週間以内に決着つく方に賭けたの。」


彼女はスマホの振込記録を晃らす。「おかげさまで、三ヶ月分のミルクティー代が稼げたよ。」


---


コンビニのガラスに夕闇が映る。私はおでん鍋から立ち上る湯気に向かって深呼吸の練習をしていた。うなじに残った歯型が制服の襟元でちらつく。レジ前の男子が三度目コーヒーのお代わりをし、その視線はスキャナーのように私の唇を掠めていく。


「星野さん、今日は唇が特に赤くてきれいですね。」夜勤の同僚が品出しリストを手渡す。更衣室の鏡に、下唇の傷がかさぶたになりつつある。この身体の治癒能力は、腹立たしいほどに良い。


神宮寺からのメッセージがスマホの画面を爆発させる:[足が震えてたら休んでもいいよ] 添付写真は今朝こっそり撮られた寝顔で、私の乱れた長い髪が彼女の胸元に墨を撒いたように広がっている。


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