第五十三話 絆の一撃

 アイリスの剣が、光の玉座に振り下ろされる。

 世界の運命を決める、最後の一撃が。

 ガィィィン!という、耳をつんざくような甲高い金属音。

 アイリスの渾身の一撃は、確かに玉座を捉えた。

 だが、破壊には至らない。

 光り輝く玉座の表面に、蜘蛛の巣のような、微かな亀裂が入っただけだった。

 その場にいた誰もが、息を呑む。

 神の、絶対的な力の象徴に、初めて刻まれた「傷」。

 それは、絶望的な暗闇の中に差し込んだ、あまりにも細く、しかし確かな希望の光だった。


『…ほう?』

 神は、初めて、心から感心したような声を上げた。

 そして、その表情から、完全に「遊び」の色が消えた。

『面白い。実に、面白いじゃないか。ただの駒が、自らの意志で盤そのものを傷つけるとは。大したものだ。だが―――遊びゲームは、もう終わりだ』

 神が、ゆっくりと片手を掲げる。

 その手のひらに、星々が凝縮したかのような、絶対的な破壊のエネルギーが渦を巻き始めた。

 それは、これまで見せてきたような、単なる力の誇示ではない。

 この世界の法則ルールそのものを捻じ曲げ、存在を根源から消し去る、純粋な「削除」の権能だった。

 空間が軋み、仲間たちの顔が絶望に染まる。

 だが、アイリスは、神の圧倒的な力を前に、もう絶望しなかった。

 彼女は叫んだ。

「防衛陣形! 私が一点を突破するまでの、ほんの一瞬でいい! 全員で、時間を稼いでください!」

 それは、もはやノクトの受け売りではない。

 幾多の死線を乗り越え、仲間との絆を信じる、彼女自身の、魂の号令だった。

「姉御の盾となるのが、俺の役目であります!」

 ギルが雄叫びを上げ、アイリスの前に立ちはだかる。

 その巨大な肉体は、仲間を守るための、最後の城壁だった。

「魔王の闇も、伊達ではないぞ!」

 ゼノスがその隣に並び、深淵の闇で編まれた結界を展開する。

 魔王としての誇りを捨て、今はただ、この世界の明日を守るために。

 二人が作り出した壁を、テオの幸運操作の魔法が薄く覆い、ジーロスの光が神の攻撃の威力をわずかに相殺しようと試みる。

「ノン! 絶望という名の闇が深いほど、希望という光は、より美しく輝くのだ!」

「ひひひ…! 神様相手に全財産ベットだ! こんな最高のスリル、やめられるかよ!」

 無謀な抵抗だった。

 だが、無意味ではなかった。


 神が放った破壊の奔流が、彼らの作り出した即席の防壁に激突する。

 凄まじい衝撃に、ギルの腕が軋み、骨が砕ける音が響く。

 ゼノスの闇の結界は、陽光の前の朝霧のように、端から消滅していく。

 だが、その一瞬。

 シルフィの瞳が、奔流の中心に、ほんのわずかな魔力の揺らぎを捉えた。それは、神の力が強大すぎるが故に生まれた、ほんの一点の綻び。

「アイリス様、今です! 中心、一点!」

 シルフィの叫びは、アイリスが待ち望んでいた、最後の合図だった。

 彼女は、仲間たちが命懸けで作り出した、その一瞬の活路へと、全霊を懸けて突撃した。

 彼女の最後の号令が、無限の空間に響き渡る。

「今です! 全員、玉座に、全魔力を!」


 アイリスの聖なる光。

 ギルの砕け散る寸前の、荒ぶる闘気。

 ジーロスの消えかけの、それでも美しい輝き。

 テオの最後の悪あがきである、胡散臭い幸運。

 シルフィの仲間を信じる、純粋な祈り。

 そして、魔王ゼノスの、世界の存続を願う、深淵の闇。

 光も、闇も、善も、悪も、全てが、一つになった。

 その、虹色の奔流が、玉座の亀裂へと、叩き込まれる。


 音は、なかった。

 ただ、世界が、白に、染まった。

 光の玉座が砕け散り、そこから放出された純白のエネルギーが、全てを覆い尽くす。

 やがて、光が収まった時。

 広間の中央に、神は、まだ立っていた。

 だが、その姿は以前とは明らかに違っていた。

 彼の足元にあった玉座は跡形もなく消え、神自身の体も、輪郭が陽炎のように揺らぎ、どこか不安定に見える。

『面白い…面白いじゃないか! 私の力の供給源を断つとは!』

 神の声には、初めて、焦りの色が浮かんでいた。

『だが、それで私が消えるとでも思ったか、愚かな駒どもよ!』

 彼は、怒りを込めて、一行に最後の一撃を放とうと、その手を掲げた。

 絶望が、再び、仲間たちの顔を覆う。

 その、瞬間だった。


『―――新人、聞こえるか』


 アイリスの脳内に、ノイズの消えた、どこまでもクリアで、冷徹な声が響き渡った。

 塔にいるノクトとの、完璧な接続が、回復したのだ。

(神様…!)

『ああ。最高の舞台は整った。これより、本当の最終ステージを開始する』

 水盤の前で、ノクトは不敵に笑っていた。

『―――奴を、論破するぞ』

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