第二十九話 幻惑のゲーム

 アイリス分隊は、幻の森へと足を踏み入れた。

 そこは、魔大陸の他のどの領域とも、全く違う場所だった。

 木々は、なぜか笑っているように見える。

 色とりどりの花々は、楽しげな鼻歌をハミングしているように聞こえた。

 地面からは、わたあめのような、甘い香りが漂ってくる。

「…どう見ても、罠ですね」

 アイリスは、剣の柄を握り、警戒を強めた。

「ノン。これは罠というより、悪趣味だ」

 ジーロスは、扇子で顔を覆い、心底うんざりしたように言った。

「この統一感のない色彩感覚。計算され尽くしていない光の配置。アーティストとして、実に不愉快だね」

『罠ではない。これは、招待状だ』

 ノクトの声が、アイリスの脳内に響いた。

 その声には、レイラの時とは違う、明確な「楽しむ」色が混じっていた。

『レイラの日記にあった通りだ。幻惑のミストは、挑戦者に自分の「ゲーム」をプレイさせるのが好きなんだろう。ならば、こちらも、プレイヤーとして、楽しんでやろうじゃないか』

(ゲーム、ですか…)

『ああ。そして、俺は、どんなゲームでも、負けたことはない』


 分隊が進むと、道は、すぐに三つに分かれた。

 それぞれの道の前には、手書きの、妙に陽気な立て札が立っている。


 一つ目の道。『勇者の道! 魔物がたくさんいるぞ!(たぶん)』

 二つ目の道。『賢者の道! 難しいクイズが待っている!(きっと)』

 三つ目の道。『運命の道! この先は、奈落の底!(なんてね!)』


 最後の立て札の隅には、ウインクをした、気の抜けるイラストまで描かれていた。

「姉御! 俺は、一番目の道に行きたいであります!」

 ギルが、拳を握りしめる。

「フン、僕は二番目かな。僕の知性にかかれば、どんなクイズも赤子の手をひねるようなものだ」

 ジーロスが、髪をかき上げた。

 アイリスが、決断に迷っていると、ノクトが、即答した。

『三番目だ。進め』

(神様!? 奈落の底だと書いてありますが!?)

『だから、三番目なんだ』

 ノクトは、呆れたように言った。

『奴は、サプライズ好きで、ヒントを出す。この三択問題の、最大のヒントは、「なんてね!」の一言だ。これは、古典的な裏の裏をかく心理戦術だ。つまり、最も危険だと書いてある道が、唯一の正解ルートだ』

 アイリスは、半信半疑のまま、仲間たちに、三番目の道を進むよう指示した。

 仲間たちは、文句を言いながらも、分隊長命令には、逆らえない。

 そして、一行は、恐る恐る、「運命の道」へと、足を踏み入れた。

 その道は、驚くほど、安全で、快適だった。

 魔物は一匹も現れず、罠の一つもなかった。

 ただ、陽気な花々が歌う、穏やかな散歩道が、続くだけだった。


 その頃、森のどこかで。

 幻惑のミストは、幻術の水晶玉に映るその光景を見て、驚きの声を上げていた。

「あれ!? なんで分かったのさ! 僕の、完璧な心理トラップが!」

 彼は、悔しがるそぶりを見せながらも、その口元は、楽しそうに、笑っていた。

「…ふふふ。面白いじゃないか、君たち。なら、次のゲームは、どうかな?」


 分隊が、しばらく進むと、目の前に、深い谷が現れた。

 谷には、一本の、細い吊り橋がかかっている。

 そして、その橋の前には、幻術で作られた、巨大なスフィンクスが、退屈そうに座っていた。

「我は、橋の番人なり。この橋を渡りたければ、我の出す、なぞなぞに答えよ」

 またしても、古典的な罠だった。

 スフィンクスは、もったいぶるように、咳払いをした。

「第一問!『目はあるが、見ることができないもの、なーんだ?』」

「…サイコロの目だ!」

「台風の目だろう!」

 仲間たちが、口々に答えを叫ぶ。

 ノクトは、その答えを聞いて、少しだけ思考を巡らせた。

『ちょっと待て。お前たちの答えも、論理的には間違っていない』

(では、なぜ…?)

『これは、なぞなぞ大会じゃない。これは、ミストが作った「ゲーム」だ。そして、こういう古典的なゲームのなぞなぞの答えは、大抵、一つしか用意されていない。出題者が意図した、たった一つの正解を当てる必要がある』

(出題者の意図…)

『ああ。そして、この手の「目が付く言葉」系のなぞなぞで、最も古典的で、製作者が答えに設定しがちなのは、「針の目」だ』

 アイリスは、そのあまりにメタ的な解説に、呆れながらも、スフィンクスに答えた。

「答えは、針です」

「…せ、正解! な、なぜ分かった!?」

 スフィンクスは、明らかに、動揺している。

「では、第二問!『上に行ったり、下に行ったりするが、決して動かないもの、なーんだ?』」

『これも古典的だな。「動き」の主語を、対象そのものか、対象を利用する人間かにすり替えるタイプのなぞなぞだ。答えは「階段」だろう』

「答えは、階段です」

「せ、正解! くっ…なぜだ…!」

 スフィンクスは更に狼狽える。

「最終問題!『生きている間は歌い、死ぬと、ただ横たわるもの、なーんだ?』」

『比喩表現だな。「歌う」は「音を奏でる」、「生きる」は「振動している」の言い換えだ。この世界の小道具として、最もありふれた答えは「ハープの弦」だ』

「答えは、ハープの弦です」

「…ぜ、全問正解…。くそー!」

 スフィンクスは、悔し涙を流しながら、ぽん、と煙を上げて、消えてしまった。

 後に残されたのは、静かな吊り橋だけだった。

(神様…なぜ、全ての答えを…?)

 アイリスが内心で尋ねると、ノクトは、心底うんざりしたように答えた。

『簡単なことだ。あの三つのなぞなぞは、この世界の遊戯の歴史において、最も初期に使われた古典的な形式に過ぎない。…どうやら、幻惑のミストとやらは、数世代前の流行を、今も得意げに披露しているらしいな。思考が、古すぎる』


 ノクトの、圧倒的なゲーム知識と、ひねくれた性格分析によって、ミストが仕掛けた「ゲーム」は、ことごとく、茶番と化していった。

 一行は、ミストの想定を、遥かに上回る速度で、森の奥深くへと、進んでいく。

 ミストは、水晶玉の前で、興奮を隠せないでいた。

「すごい! すごいじゃないか! 僕のゲームを、こんなに早くクリアするなんて! 最高だ! 君たち、最高だよ!」

 彼は、挑戦者が、自分の予想を超えてくることに、喜びを感じるタイプの、ゲームマスターだった。

「…よし! ならば、僕の、最高のサプライズを、見せてあげよう!」


 やがて、アイリス分隊は、森の、開けた場所にたどり着いた。

 その中央には、一つの、巨大な城が、そびえ立っている。

 ただし、その城は、お菓子でできていた。

 クッキーの壁。

 チョコレートの屋根。

 キャンディーの窓。

 あまりにも、メルヘンチックで、あまりにも、不気味な、お菓子の城。

 城の入り口には、キラキラと輝く、ネオンのような看板が、掲げられていた。

『ようこそ、勇者様ご一行! 最終ステージは、こちらです! →』

 アイリスは、その、あまりにもふざけた光景に、こめかみを、ひくつかせた。

 だが、彼女の脳内のノクトの声は、確信に満ちていた。

「…なるほど。趣味の悪い最終ダンジョンか」

 彼は、不敵に、笑った。

「ヒントは、もう、十分に貰った。このゲーム、チェックメイトだ」

 彼の頭の中では、すでに、このくだらないゲームの、完璧なエンディングが、見えていた。

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