第二十一話 地獄の特別訓練

 王都での、英雄たちの厄介な日常が幕を開けてから、数日が経過した。

 アイリス分隊は、王城内に豪華な居住区画を与えられ、英雄として、そして王都の新たな有名人として、ある意味で自由な、しかし落ち着きのない日々を送っていた。

 だが、その自由は、唐突に、そして無慈悲に、終わりを告げる。

 原因は、言うまでもなく、自室の塔で、ついに堪忍袋の緒が切れた、不本意なプロデューサー、ノクトにあった。

(…もうだめだ。こいつらを野放しにしていては、「夢織りの枕」が手に入る前に、俺が過労で倒れる。明日からは、俺が、直接、こいつらの行動スケジュールを、分刻みで管理する…!)

 彼がそう固く決意した、翌日のことだった。


 時刻は、早朝五時。

 まだ夜の闇が色濃く残る王城の一角で、アイリス分隊が寝静まる豪華な客室に、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。

「―――起床! 全員、五分で中庭に整列! 遅れた者は、朝食抜きのペナルティだ!」

 その声の主は、アイリスだった。

 もちろん、彼女自身の意志ではない。

 夜中のうちにノクトから叩き込まれた命令を、脳内に直接響くアラームと共に、泣く泣く叫ばされたのだ。

「…なんだぁ…? もう朝かよ…」

「ノン…僕のビューティー・スリープが…」

「姉御…? 何かあったんでありますか…?」

 眠い目をこする仲間たちを、アイリスは鬼の形相で急かし、なんとか時間内に、中庭へと引きずり出した。

 中庭に集合した四人の前に、目の下に深いクマを作ったアイリスが、一枚の、やけに長い羊皮紙を広げた。

「…これより、魔王城攻略に向けた、特別強化合宿を開始する。ここに書かれているのは、本日、全員が遵守すべき行動スケジュールだ」

 彼女が読み上げたのは、およそ人間の生活とは思えない、分刻みの、悪魔的なスケジュールだった。

「午前五時:起床。五時五分:整列。五時十分より、準備運動…。六時:朝食。メニューは、栄養バランスを最適化した豆と干し肉のみ。食事時間は十五分。一口につき、三十回の咀嚼を義務付ける…」

「なっ…!?」

「午後一時より、各自に割り振られた特別訓練を開始…。午後六時:夕食。午後七時より、座学。本日の反省と、明日の作戦共有…。午後十時:消灯。以降の私語は一切、これを禁ずる…!」

 それは、軍隊の規律というより、全てを数値で管理する、冷徹な機械の命令書に近かった。

 ノクトによる、スパルタ式管理社会が、今、幕を開けたのだ。


 地獄の特別訓練ブートキャンプは、午後になると同時に始まった。

 それぞれの訓練内容は、彼らの長所を伸ばし、短所を矯正するという名目で、巧妙に、そして極めて悪趣味に、デザインされていた。


 まず、ギル。

「姉御! 訓練ならお任せを! この岩でも、城壁でも、粉々にしてみせやしょう!」

 意気揚々と腕をまくる彼に、アイリスは、ノクトの指示通り、小さなテーブルと、繊細な装飾が施された、高価そうなティーセットを差し出した。

「…あなたの訓練は、『茶道』です」

「…は? さ、さどう…?」

「その有り余る力を、精密にコントロールする術を学びなさい。このティーカップを一つでも割ったら、夕食は抜きです」

 巨大な元・魔王軍幹部は、自分の指よりも細いカップの取っ手を、プルプルと震えながらつまみ上げ、人生で最も過酷な戦いに、静かに挑み始めた。


 次に、ジーロス。

「フン、僕に訓練など不要だが、君がそこまで言うのなら、付き合ってあげよう。して、どのような芸術的インスピレーションを、僕に与えてくれるのかな?」

 優雅に髪をかき上げる彼に、アイリスは、巨大な的を指差した。

「あなたの訓練は、『速射』です」

「…速射?」

「詩的な詠唱、美しいポーズ、一切を禁じます。『光よ!』の一言だけで、十秒以内に、あの的を撃ち抜きなさい。できなければ…」

 アイリスが合図すると、的の横から、大量の泥水が噴射された。

「…あの泥水を、頭から浴びていただきます」

「ノンッ! なんて野蛮な! 僕のアートに対する冒涜だ!」

 ジーロスは、芸術家としてのプライドと、汚泥まみれの屈辱を天秤にかけ、不本意ながらも、人生で最も実用的な魔法の訓練を、開始せざるを得なかった。


 そして、テオ。

「よぉ、聖女様。俺の訓練は、なんだ? カード捌きの練習か? それとも、イカサマの見抜き方か?」

 不敵な笑みを浮かべる彼に、アイリスは、分厚い、革張りの本を、どさりと手渡した。

「…あなたの訓練は、『聖書の暗唱』です」

「…………は?」

 テオの顔から、笑みが消えた。

「魔王軍幹部の中には、意外と敬虔な者もいるかもしれません。聖句を引用し、相手の信仰心を揺さぶり、精神的な隙を作るのです。あなたの口上が、少しはマシになるでしょう」

 ノクトの受け売りを、そのまま告げる。

 教会を追放された不徳の神官は、自らが捨てたはずの、聖なる言葉の数々を、苦虫を噛み潰したような顔で、ぶつぶつと呟き始めた。


 最後に、シルフィ。

「わ、私の訓練は、なんでしょうか…?」

 おどおどと尋ねる彼女に、アイリスは、一枚の黒い布を手渡した。

「…『目隠し』です」

 シルフィは、有無を言わさず目隠しをされ、中庭の真ん中に立たされた。

『新人、お前の脳内に、城の位置情報を送る。シルフィに、今から言う方角を、正確に指差させろ』

 ノクトは、彼女の絶望的な方向音痴を、自らの正確無比なナビゲーションで、無理やり上書きして矯正しようというのだ。

「シルフィ殿! 北の塔は、どの方角に?!」

「え、ええと…こ、こっち、でしょうか…?」

『違う! それは洗濯室だ! 北の塔だと言っている!』

 ノクトの苛立った声が、アイリスの脳内に響く。

 シルフィの、苦難の訓練もまた、始まったばかりだった。


 その奇妙な訓練の様子を、騎士団長アルトリウスが、城の回廊から、険しい顔で眺めていた。

 巨大な魔人が、茶器を相手に冷や汗を流し、派手な魔術師が、泥水に悲鳴を上げている。

 支離滅裂。理解不能。

 だが、なぜだろう。

 あれほどバラバラだったはずの、個性という名の暴力の塊だったはずのアイリス分隊が、一人の指揮官アイリスの元、一つの目的意味不明な訓練に向かって、動いている。

 それは、恐ろしく歪でありながらも、紛れもなく、一つの「部隊」としての姿だった。

(…アイリス。貴官は、一体、何者なのだ…?)

 彼の、アイリスに対する疑念は、いつしか、得体の知れない「畏怖」へと、変わり始めていた。


 その日の夕食。

 食堂に集まったアイリス分隊は、死んだように、黙々と、豆と干し肉を口に運んでいた。

 文句を言う気力すら、残っていない。

(神様…皆、もう限界です…)

 アイリスが、報告すると、ノクトは、こともなげに答えた。

『当然だ。初日だからな。だが、貴重なデータは取れた。明日からは、各個人の限界値に合わせて、さらにスケジュールを最適化してやる』

(え…)

『魔王城は、今日の訓練場のような遊び場ではない。心しておけ』

 アイリスは、この地獄が、まだ序の口に過ぎないことを悟り、静かに、絶望した。


 その頃、ノクトは、羊皮紙にびっしりと書き込まれた、パーティーメンバーの訓練データと、明日からの改善案を眺め、満足げに頷いていた。

「ふん。キャラクターのレベル上げとスキル習熟には、適切な経験値稼ぎのルーティンが不可欠だ。これで、枕を手に入れる確率が、また少し上がったな」

 彼の非人道的な特別訓練ブートキャンプは、全て、最高の安眠を手に入れるためだったのである。

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