疑い
音楽室へとヒタヒタと歩いていく。まだ暖かいのに何故かキンキンと空気が冷え切っていた。
私は音楽室に向かいながら、教室でのエリックの様子を思い出す。
エリックは相変わらず勝手に私の隣に席に座っていた。先程ドレスを破いたことも、恨みがファントムに向いていると言ったこともなかったかのように。
うつむいて大理石の廊下を見ながら歩き続ける。
エリックは何故ファントムに恨みを持っているのか。ファントムが何か嫌なことをするとは思えないけれど。でも……。私も他人からは分からない恨みをリトルに抱いている。エリックも私には分からない恨みがあるのかもしれない。
何だか複雑な気分になりながら、音楽室へと足を進める。
「クリスティーヌ」
突然声をかけられる。ハッとして大理石から目線を上げて、後ろを振り向くと憧れの人ファントムがいた。
「こんにちは」
口元をピクピクと引きつらせながら挨拶をする。
いくらクリスティーヌを演じきっているとはいえ、エリックにファントムを恨んでいると打ち明けられて、心は平静ではいられない。
ファントムといえば、そんな私の様子には気付かず「一緒に音楽室まで行こうか」と声をかけてくる。
よかった。なんとかファントムの前ではクリスティーヌでいられている。
「ええ」
私が頷くと、ファントムが目の前に手を差し出す。
……これは手を握れ、ということだ。
私は軽く手をのせる。と、ファントムはその手をグッと引き寄せ、手と手を組み合わせてきた。いわゆる恋人つなぎの状態だ。
確か……。
私は現代へ意識を飛ばす。このシーンはスチルであったシーンだ。ファントムが華麗に、そして少し強引に手を繋いでくる。そんな女の子であれば誰もが憧れるシチュエーション。
だけれど、なんだかいまいちパッとしない。
きっと、最初にエリックに手を引かれたからだ。
そこまで考えてブンブンと首を振る。今はファントムと一緒にいるんだ。攻略のことを考えて行動しないと。
私はファントムの手をほんの少し強めに握る。ファントムがハッと顔をこちらに向けた。それと同時に私は妖艶な笑みを返すのだった。
音楽室に着く少し手前でファントムは手を放して、音楽室の扉を開けた。その瞬間、ザワザワと疑念に満ちた声が耳に届く。
「どうしたんだ、一体……」
ファントムが声をかけると「ドレスが破れていたんだ」と誰かが答えた。それを聞いたファントムは足音を立ててクローゼットに近づく。
私はといえばやけに冷静にその光景を眺めていた。
ファントムが引き裂かれた青いドレスを見て、眉をひそめている。他の攻略対象も同様に苦い顔をしていた。
たった一人を除いて。
「一体誰が」
「クリスティーヌ……。何か知っているのではないですか」
ファントムに答えるようにこちらを睨みつけたのは――ミフロイドだ。
――っ!――
「どういうことですか」
冷や汗が頬を伝うのを感じながら、冷静に言葉を返す。
大丈夫。落ち着いて。ここで間違えたら、ファントムの好感度が一気に落ちてしまう。
「クリスティーヌ。あなたが男性の手を取りながら音楽室に入っていくのを見たんですよ」
「……」
まさかエリックが見張りをしていなかった……? いや、そうじゃない。ミフロイドは私がエリックの手を取りながら、と言った。要するに見張りの前だ。
夜の校舎なんて誰もいないと思っていた私の責任、か。
いや、それも違う。相手はファントム、つまり第一王国の王子だ。その王子を護衛しているのがミフロイド。王子の護衛をしている程の腕前なのだから、いくら気を付けていても見つかっていたのは必然だ。
けれど、ここからどう挽回するかが大事だ。ミフロイドは私がドレスを破いたところまでは知らないはず。
「ええ。確かに音楽室には行きましたよ」
「何!?」
ファントムが目を大きく見開く。そんなファントムの手を私は優しく包み込む。
「けれどそれは忘れ物を取りに行っただけです。ドレスには手をかけていません」
「そうだったのか」
「ええ。それに男の方は私のクラスメイトです。忘れ物を一緒に取りに手伝ってくれたんですよ」
ファントムに誤解を受けないように、ついでにエリックのことを説明しておく。
ファントムは完全にクリスティーヌである私を信用しきったのか、優しく笑みを浮かべている。
今まで好感度を上げておいてよかった。
「……」
そんな私の安心をよそに鋭い目つきの人物が一人。ミフロイドだ。
護衛をしているから嗅覚が効くのか。
そんな中、アマンド部長の手を叩く音が響き渡る。
「とにかく! 事が起こってしまったものは仕方ない。発表まで時間がないんだ」
アマンド部長がリトルに目を向ける。ここで私もやっと妹へと目を向ける。妹は目に涙をためているが、かろうじて流してはいない。妹は私が目を向けても俯いたままだ。
おそらく、ドレスを破いたのが私だということを妹は知っている。知っていてなお、そのことを一切口にしない。
まぁ私も妹は口に出さないと踏んでいるからこそ、嫌がらせが出来るわけだけれど。
「リトルさん」
「はい……」
アマンド部長に妹はかすれ声で答える。
「正直、これからドレスを作るのは難しい。一人だけドレスじゃない格好で踊るようになる。もし嫌なら裏方を手伝ってもいいが。やっぱり入りたての若い子が主で演じてほしいんだよね」
「私……」
妹は下を向いたまま、口をパクパクと動かす。
――水を抜いてしまえば、金魚はただ死んでいくのを待つのみ。
私は内心でほくそ笑む。どちらをとっても妹は惨めだ。皆が綺麗な衣装を着ている中、一人みすぼらしい服で踊るのは滑稽だろう。せっかく練習したのに裏方に徹するのも苦痛だろう。
妹は変わらず口を開けたり閉じたりしている。だが、やがてキュッと口を閉じた。
「私……。舞台に出ます」
「うん。期待しているよ」
アマンド部長はうんうん、と頷きパンと手を叩く。その音に、部員は一斉に部長へと目を向ける。
「さ。とにかく練習しよう」
その声に部員たちはキビキビと動き出す。だが、一人体を引きずるように動く人物が自然と目に入ってくる。妹だ。妹は重い足取りで同じバレリーナであるメグの元へ向かっていった。
「クリスティーヌ」
聞きなれた声に呼ばれた。
「はい、ファントム」
ファントムに呼ばれ、顔を向ける。
「大丈夫か。いつもとなんというか……。雰囲気が違うようだが」
「……ええ。平気です」
「まさかドレスのこと、気にしているのか」
「本当に大丈夫ですよ」
雰囲気が違うというか、クリスティーヌじゃないから違うのは当たり前だし。それでも笑顔を絶やさず、クリスティーヌらしく。クリスティーヌらしく。演じる。
私はファントムの袖を軽く引っ張る。
「それよりも練習しましょう」
「そうだな」
ファントムと一緒に和やかに笑いあう。
ミフロイドの厳しい視線を横目に――。
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