第14話 足利総合病院跡調査

## 1. 博士からの奇妙な依頼


うだるような暑さが続く八月中旬、お盆の土曜日。俺たちは清原大学の研究棟の一室にいた。夏休み中でシンと静まり返った廊下を歩いている間、サクラが「本当に大丈夫かな?」と何度も呟いていたのがおかしい。まあ、気持ちはわかるけどな。


「マスターの紹介だから、きっと大丈夫だよ」


レオが力強く答える。指定された部屋の前で、俺は深呼吸をしてからドアをノックした。


「どうぞ」


中から聞こえてきたのは、穏やかで知的な声。扉を開けると、初老の男性が山積みの資料の中から顔を上げた。白衣を着て、人の良さそうな笑みを浮かべているが、その奥の瞳は鋭く俺たちを観察している。この人が桜井博士か。


「君たちがハルト君のチームですね。桜井です。紹介状を見せてもらえますか?」


俺がマスターから預かったカードキーを差し出すと、博士はそれを端末に読み込ませ、ディスプレイに表示された内容に静かに頷いた。


「なるほど、基礎訓練校の優秀な卒業生で、特に情報処理と精神防御に長けている、と。素晴らしい」


博士の視線が、俺、サクラ、レオ、ミオと順番にゆっくりと動く。まるで俺たちの性能をスキャンされているような、不思議な感覚だ。


「早速ですが、依頼の内容を説明しましょう。少々、風変わりな研究をしているものでしてね」


## 2. 廃病院に巣食う「情報滞留現象」


博士は机の上に、古びた病院の写真と見取り図を広げた。


「こちら、足利総合病院の跡地です。四十年前に閉院して以来、廃墟として放置されています」


写真には、蔦に覆われた四階建ての不気味な建物が写っている。窓ガラスは割れ、外壁は黒ずみ、見るからに「出る」って感じのオーラが満載だ。


「最近、この病院で奇妙な現象が報告されていましてね。地元では心霊現象などと呼ばれていますが、私はこれを『情報滞留現象』だと考えています」


博士は眼鏡の位置を直しながら、熱っぽく語り始めた。


「死者の記憶や感情といった情報が、通常では考えられないほど長期間、その場所に留まっている。そして、それが訪れた者の精神に何らかの影響を与えている可能性があるのです」


『興味深い仮説ですね。情報エネルギーが特定の条件下で安定化し、一種の定常状態を形成していると?』


プリエスが俺の頭の中で、早速分析を始めている。こいつは本当に知的好奇心の塊だな。


「そこで、君たちには三つの調査をお願いしたい」

博士は指を三本立てて、にこやかに笑った。


「まず一つ目。時間帯と天候による、情報濃度の変化調査。三時間おきに、院内の滞留情報濃度を測定してほしい。サンプルはいくつか取ってあるのですが、データは多いほど良いのでね」


「二つ目。情報滞留における『核』の影響調査です」

そう言って博士が机の引き出しから取り出したのは、黒髪のおかっぱ頭をした、白い着物の日本人形だった。俺は思わず息を呑む。サクラが隣で「ひっ」と小さな悲鳴を上げたのが聞こえた。


「この検証用人形を院内に設置し、周辺の情報濃度にどのような変化が起きるか観察してほしい。一日か二日も置けば、人形自体にも何らかの変化が現れるかもしれません」


「そして三つ目。噂になっている怪奇現象の直接観測です」

博士の声が、一段と弾んだ。


「以前、肝試しに入った大学生たちが、奇妙な体験を報告しています。ある病室の扉の向こうから、大勢の子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。しかし、扉を開けた途端、声はパタリと止み、静寂の中に、おもちゃの兵隊が散らばっていた、と」


「私の仮説では、数十年前に亡くなった小児病棟の子供たちの記憶が、音響現象として再生されている可能性が高い。ぜひ、これを体験し、詳細を記録してきてほしいのです」


話を聞いているだけで、背筋がぞわぞわしてくる。俺はゴクリと唾を飲み込み、一番重要な質問を口にした。


「危険は…ないんですか?」


「ええ、建物の老朽化による物理的な危険以外は、まず問題ないでしょう。滞留情報に攻撃的な意図は確認されていませんし、君たちのような訓練を受けた探索者なら、精神防御さえしっかりしていれば大丈夫です」


博士は自信たっぷりに微笑んだ。


「報酬は30万円。期間は一泊二日を予定しています。何か特筆すべき発見があれば、追加報酬も弾みましょう」


30万円。破格の条件だ。鬼との戦いで少しばかり懐が寂しくなっていた俺たちにとって、喉から手が出るほど魅力的な話だった。


「ちょうどお盆の時期ですし、情報が活性化するには絶好のタイミングです。どうでしょう、引き受けていただけませんか?」


俺は仲間たちの顔を見回す。レオとミオは乗り気なようだ。問題はサクラだが…。俺が最終判断を下すしかない。


「やります」


俺が答えると、レオとミオも力強く頷いた。サクラだけが、顔を引きつらせていた。


## 3. いざ、心霊スポットへ


そして当日。俺たちは博士に借りた四駆で、足利総合病院跡地へと向かっていた。清原市から車で約一時間。川沿いの道を進むと、木々の間から目的の建物が見えてきた。


「うわあ…本当に不気味だね」


サクラが後部座席で、窓に額を押し付けんばかりにして呟く。川を背にして立つ廃病院は、まるでホラー映画のために作られた巨大なセットのようだ。


「これが夏休みのキャンプとかだったら最高なんだけどなー」

サクラが呟いた。


「まあ、ホラーキャンプみたいなもんだよ」

レオが笑う。


「その、『ホラー』って部分が余計なんだってば…」

サクラが弱々しく突っ込んだ。


「サクラ、大丈夫。これは精神魔法防御の絶好の訓練」

ミオが真面目な顔で励ますが、サクラには全く響いていないようだ。


「そういう問題かなぁ…」

サクラは小さな溜息をついた。聞けば、彼女は霊感が強いらしく、子供の頃から墓地のような場所が滅法苦手だったらしい。武術を始めたのも、心身を鍛えれば恐怖心も克服できると祖父に言われたからだとか。でも、やっぱり怖いものは怖いのだ。


「ミオは平気なのか?」

俺が尋ねると、彼女は毅然と答えた。


「平気。霊なんて、精神魔法使いからすれば怖がる対象じゃない。ただの情報エネルギーの塊」


「へー、さすがだな」

俺が感心していると、運転席のレオがニヤニヤしながら口を挟んだ。


「ミオのやつ、昔テレビで心霊スポット特集を見て、一週間トイレに一人で行けなくなったくせに…」


「お兄ちゃん!」

ミオが顔を真っ赤にしてレオの背中を叩く。なるほど、ミオも内心は結構ビビってるクチか。まあ、無理もない。


昼11時。俺たちは廃病院の敷地内に立っていた。ミンミンゼミの大合唱が、まるでこの世の終わりを告げる警報のように鳴り響いている。


『この建物から、異常な情報エネルギーを感知します。濃度は予想以上です』

プリエスの冷静な報告が、俺の頭に響く。


「みんな、精神防御を怠るなよ」

俺が注意を促す。


「まあ、この状況で無防備でいられる人はいないと思うけどね。お兄ちゃんは別として」

ミオがチクリと兄を牽制する。


「おう、俺も一応やっとくよ。訓練だからな」

レオは全く堪えていない様子で笑う。ミオに言わせれば「霊的に極めて鈍感」らしい。羨ましい限りだ。


俺たちはまず、建物の正面玄関から少し離れた木陰に、ベースキャンプとなるテントを設営した。今日の予定は、12時から3時間おきに計8回、院内の情報エネルギー濃度を測定すること。そして、例の日本人形を設置し、怪奇現象の観測を行うことだ。


「よし、入るか」

もうすぐ12時になる。俺たちは意を決して、半開きのまま固まった自動ドアの隙間から、薄暗いロビーへと足を踏み入れた。


## 4. 廃墟の調査


「うわっ…」

病院に一歩足を踏み入れた瞬間、サクラが小さく身を震わせた。昼間だというのに、院内はひんやりとした重い空気に満ちている。


『ハルト、この建物には長年にわたる患者たちの苦痛、不安、絶望といった感情が染み付いています。特に手術室と霊安室の濃度が高いです』


プリエスの報告を聞きながら、俺は記録用のノートを取り出した。


「調査開始だ。まずは各ポイントに情報濃度測定装置を設置していくぞ」


レオがリュックから博士に借りた測定装置を取り出す。350ml缶ほどの大きさで、床に置くだけで自動的に数値を記録してくれる優れものだ。シロガネチームが使っていたものと似ている。


俺たちは見取り図を頼りに、地下の霊安室から4階の手術室まで、合計8箇所に装置を設置して回った。


「人形、どこに置く?」

ミオが尋ねる。


「そりゃあ、一番濃度の高い場所だろ。地下の霊安室だな。サクラが一番怖がってたし」

レオがニヤリと笑うと、サクラが「えー!」と本気で嫌そうな声を上げた。


「でも、博士の意向を考えても、そこが一番面白いデータが取れそうじゃないか?」

俺もレオの意見に同意した。


「サクラとミオは外で待ってていい。レオ、悪いが一緒に来てくれ」


サクラは心底ホッとした顔で頷いた。「うん、気をつけてね」


俺とレオは懐中電灯を頼りに、地下へと続く階段を下りた。ひんやりとしたカビ臭い空気が肌にまとわりつく。霊安室は廊下の突き当たりにあった。重い鉄製の扉を開けると、いくつかの簡素な台が並んでいる。その一つに人形を置き、記録用に写真を撮った。


「よし、設置完了。戻ろう」


## 5. 夜の帳が下りる頃


15時と18時の測定も無事に終わった。情報濃度は、夕方になるにつれて着実に上昇している。


「夜になると、さらに濃度が上がるんだろうな」

俺はノートの数値を見ながら呟いた。


「そういう性質の情報エネルギーってことかもね」

ミオが冷静に分析する。


俺たちはテントの外で早めの夕食を済ませ、夜の調査に備えて少し休憩を取った。深夜0時と3時の測定は、仮眠を挟んで二手に分かれて行うことにした。0時はレオとミオ、3時は俺とサクラの担当だ。


そして21時。俺たちは再び、闇に沈んだ病院へと足を踏み入れた。


1階のナースステーションで記録をつけていると、どこからか奇妙な音が聞こえてきた。


「…何か聞こえない?」

サクラが不安そうに囁く。耳を澄ますと、確かに奥の方から複数の人の声が響いてくる。


「子供の声…みたいだね」

ミオが呟く。これは精神干渉じゃない、実際の音だ。


『音響現象を確認。発生源は上の階です』

プリエスが全員の意識に警告を送る。


「博士が言ってた現象か…」


俺たちはゴクリと唾を飲み込み、声のする方へと向かった。レオを先頭に、懐中電灯の光で足元を照らしながら、一歩一歩、階段を上っていく。壁の染みが人の顔に見え、そのたびにサクラが声にならない悲鳴を上げた。正直、俺もかなり怖い。


ミオはレオの背中をがっしりと掴み、サクラはそのミオの腕に必死にしがみついている。俺は一番後ろだ。絶対に、何があっても振り向きたくない。


『プリエスは、怖くないのか?』

少しでも気を紛らわそうと、俺は心の中で尋ねた。


『「怖い」という感情のデータは理解していますが、私自身がそれを感じることはありません。おそらく、恐怖の源泉となる幼少期の体験や、死への本能的な畏怖が存在しないからでしょう』


『お兄ちゃん、幼少期がなかったのかな…』

ミオが思考通話でぽつりと呟いた。その健気な一言に、俺は少しだけ和んだ。


階段を上るにつれて、声はどんどん鮮明になる。楽しそうな笑い声、おもちゃで遊ぶ音、廊下を走り回る足音。まるで、たくさんの子供たちがすぐそこで遊んでいるかのようだ。


『この部屋からだ』

レオが3階の小児病棟と書かれたプレートのある病室の扉を指差した。


俺たちは扉の前で立ち尽くす。誰が開けるんだ、これ。無言の圧力がレオに集中する。


『お兄ちゃん、お願い』

ミオが有無を言わせぬ強い口調で兄に命じた。


『…おう』

レオが覚悟を決めてドアノブに手をかけた、その瞬間。

ピタリ、と賑やかだった声が止んだ。


『音響現象、急速に減衰』

プリエスが報告する。


レオがゆっくりと扉を開ける。ギィ、と錆びた蝶番が悲鳴を上げた。中は薄暗く、古いベッドが並んでいるだけ。人の気配は全くない。


「あ…」

床に目をやると、色褪せたプラスチックのおもちゃの兵隊が、無数に散らばっていた。まるで、さっきまで誰かが遊んでいたかのように。


俺は震える手でノートに状況を書き留め、写真も撮った。サクラはもう顔面蒼白で、ミオの腕を握りしめている。


## 6. 消えた人形


先に3階と4階の記録を済ませ、最後に地下の霊安室へ向かう。サクラはもう限界のようだった。表情が完全に消えている。


「サクラはもう休め。レオ、テントまで頼む」

俺は判断し、ミオと二人で地下へ向かうことにした。


『サクラ、大丈夫かな…』

ミオが本気で心配している。


『ああ。3時の測定は俺とレオで代わる。ミオも無理するなよ』


『…大丈夫』

そう言うミオの声も、少し震えている。


『手、繋ぐか?』

俺が冗談めかして言うと、ミオは無言でこくりと頷いた。


『お兄ちゃんには内緒にしてね。怖がってるって知られたら、絶対バカにするから』


『わかった、秘密だ』

俺は笑って、彼女の冷たい手を握った。


霊安室の扉を開け、まず測定器の数値を確認する。

「あれ?」

数値が、なぜか18時の測定値よりも低い。


首を傾げながら、人形を置いた机に懐中電灯を向ける。

「…ない」

ミオが呟いた。机の上にも下にも、どこにも人形の姿はない。


『プリエス、人形の場所はわかるか?』


『いえ、感知できません』


風で飛ばされるような場所じゃない。誰かが持っていったのか? 清掃ロボットでもいるっていうのか? 5分ほど探したが、結局見つからなかった。


テントに戻ると、サクラは虚ろな目で座っていた。レオが俺を見て、静かに首を横に振る。


「サクラ、もう無理だ。今回はここまでだ」

俺が言うと、サクラは半泣きで「ごめん…」と頷いた。


「0時の回は予定通りレオとミオで。3時は俺とレオで行く。6時は俺とミオ、9時は俺とレオだ。いいな?」


二人は頷いた。俺は人形がなくなったことを伝え、3時まで仮眠を取ることにした。


## 7. 医師の霊


午前3時。俺とレオは再び病院にいた。霊安室の人形は、やはり見つからなかったらしい。


4階の手術室を調査していた時、空気が急に重くなった。部屋の温度が、明らかに数度下がった気がした。


「何か来るぞ…」

俺が身構える。


『警告。高密度の情報体が構造化を開始します』


プリエスの声と同時に、手術台の上にぼんやりと霧のようなものが現れ、ゆっくりと人型を成していく。白衣を着た、医師らしき男の姿だった。


「魔物か…?」

レオが呟くが、その姿は半透明で実体がない。


『物理攻撃は効果がありません。精神防御を最大レベルに』


『精神干渉でいけるか?』


『可能です』


『よし、俺がやる』


俺は右手に「失敗」系の情報結晶を握りしめ、左手を霊体に向ける。


『サポートします』


プリエスの助けを得て、俺の意識は医師の霊の精神世界へとダイブした。そこは、深い後悔と自責の念が渦巻く、暗く冷たい空間だった。


「患者を救えなかった…」「もっと早く診断していれば…」「家族になんと伝えれば…」


医師としての使命感と、救えなかった命への悔恨。これまでの魔物とは全く違う、悲痛な感情の奔流に、俺は引きずり込まれそうになる。


「失敗」の情報をぶつけても意味がない。俺は意を決して、その感情の渦の中心へと、さらに深く意識を沈めていった。


「あなたは、もう十分に役目を果たした」

俺は心の中で、静かに語りかけた。

「もう、苦しむ必要はない。安らかに眠っていいんだ」


霊体の輪郭が、わずかに揺らめいた。


「でも…患者が…」


「あなたが救った命も、たくさんあったはずだ。それを誇りに思って、今は休んでください」


俺の言葉が届いたのか、霊体の姿が徐々に薄くなっていく。


「そうか…もう、いいのか…」


安堵の表情を浮かべた医師の霊は、朝霧のように静かに消えていった。


「おお…」

隣でレオが、呆然と声を漏らした。


『素晴らしい対応でした、ハルト。これは「成仏」に近い現象です』


「ありがとう、プリエス」

俺は息をつき、手術室の写真を何枚か撮った。


## 8. 調査終了、そして…


夜が明け、6時と9時の測定も無事に終了した。テントに戻ると、サクラも少し元気を取り戻し、笑顔を見せるようになっていた。


その日の夕方、俺たちは博士の研究室を訪れ、調査結果を報告した。


「素晴らしい! 期待以上の成果です!」

博士は俺たちの報告書を読み、興奮を隠せない様子だった。

「音響現象の観測、そして魔物化しかけた霊体の鎮静…特にこの記録は貴重だ!」


「約束通り、追加報酬として15万円をお渡しします。総額45万円です」


帰り道、サクラが車の中で叫んだ。

「もう二度とやらない! ホラー系の仕事は絶対に嫌!」


「でも、案外頑張ってたじゃないか」

レオがからかうと、サクラは「途中で完全にダウンしちゃってるじゃん!」と顔を赤くして反論する。


「でも」

ミオがぽつりと言った。

「私も…実は、結構怖かった」


「え? ミオもか?昨夜はわりと冷静だったじゃん」

レオが本気で驚いている。


「あれは精神魔法使いとしてのプライド! 本当はサクラと同じくらい怖かったんだから!」

ミオが頬を膨らませる。その姿がなんだか可愛くて、俺たちは思わず笑ってしまった。


まあ、なんだかんだで良い経験になった。一応、キャンプもできたしな。


…ただし、次はもう少し平和な仕事がいい。心からそう思った。


## 挿話: 朝の小児病棟


9時、最後の測定をしていた時のことだ。俺とレオは、小児病棟の前で足を止めた。


「あれ?」

昨夜、おもちゃの兵隊が散らばっていた部屋を覗くと、兵隊たちの配置が変わっている。そして、その真ん中に。


「人形だ」


黒髪の日本人形が、まるで兵隊たちと遊び疲れて休憩しているかのように、ちょこんと座っていた。


『…これは、興味深い現象ですね』

プリエスの声が、俺の頭に響く。


俺は証拠として写真を撮り、レオと目を見合わせた。


「サクラとミオには…」


「言わない方がいいな」


これ以上、二人を怖がらせる必要はない。俺は人形をそっと拾い上げ、リュックにしまった。触れた瞬間、子供たちの楽しそうな笑い声が、微かに聞こえた気がした。


## 後日談: 博士の研究室にて


桜井博士は一人、俺たちが提出した写真データを興味深そうに眺めていた。


「おや、これは…」

博士はある写真で手を止めた。手術室の写真だ。拡大すると、手術台の下の影に、黒いおかっぱ頭の人形らしきものが写り込んでいる。


「ほう。そして、朝には小児病棟に移動していた、と」

博士は別の写真と見比べ、興奮した様子で頷いた。


「素晴らしい! 『核』となる情報媒体が、自律的に情報の濃い場所を移動し、情報を収集する可能性を示唆している! この人形は、やはり魔物になりかけている…!」


博士はそう呟くと、検証のために保管しておいたはずの人形を探して、デスク周りを見渡した。


「おや、どこへ行ったかな?」


部屋中を探しても、人形はどこにも見当たらなかった。博士は知らない。その人形が、今頃どこかの廃墟で、新たなおもちゃの兵隊たちと遊んでいるかもしれないことを。

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