第4話:嵐を呼ぶシンジケート



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### 第四話:嵐を呼ぶシンジケート


金曜の夜。俺は浮気相手のアケミの部屋の前にいた。安物のワインを片手に、今夜も繰り広げられるであろう甘い時間を想像し、口元が緩む。妻のユキコには「急な出張だ」と、使い古された嘘をついてきた。あいつはいつも「気をつけてね」と優しく笑うだけ。チョロいもんだ。


インターホンを鳴らす。いつもなら「はーい、マサくん?」なんて甘い声が聞こえるはずが、応答がない。

「あれ?」

ドアノブに手をかけると、鍵が開いていた。不用心だな、と思いつつも中へ入る。


「アケミ?入るぞー」


しかし、部屋に足を踏み入れた瞬間、俺は凍りついた。

いつもの可愛いキャラクターグッズやフリルのついたクッションは跡形もなく消え、部屋の中央にはどっしりとした黒塗りの座卓。そして、その周りを固めるように座っている、どう見てもカタギではない、いかつい男たちが三人。


部屋の奥、掛け軸が飾られた正面に座る、ひときわ鋭い目つきの男が、俺を一瞥した。


「……あの、アケミさんの部屋、ですよね?」

声が震える。男たちはニヤニヤと俺を見ている。


「おう。マサくん、やな。まあ、上がれや」

真ん中の男が低い声で言う。足がすくんで動けない。状況が全く理解できない。ドッキリか?にしては、男たちの首筋や腕に見える"絵"がリアルすぎる。


「な、なんなんですか…!不法侵入ですよ!警察呼びますよ!」

絞り出した声は、自分でも情けないほど上ずっていた。

その言葉を聞いた男は、心底おかしいというように、肩を揺らして笑った。


「警察?はっ…**だいもん?(笑)**」


冗談じゃない。本物だ。全身から血の気が引いていく。

男は煙草に火をつけ、紫煙を吐き出しながら、憐れむような目で俺を見た。


「お前、ほんまに何も知らんで、ようここまでこれたな。ある意味、大したもんやで」

「な、何の話ですか…」


「**知らんかったんか?あんたの嫁はん。**」


嫁…?ユキコ?いつもニコニコして、料理とガーデニングが趣味の、あのユキコが何だっていうんだ。

俺が呆然としていると、男は決定的な事実を、まるで今日の天気でも話すかのように告げた。


「ワシらの姐さん…関東桜満開組の**9代目やぞ?ホンマやで?**」


「………………は?」


脳が理解を拒む。桜満開組。ニュースで名前を聞いたことがある、関東一円をシメる巨大な組織だ。その9代目が、俺の妻…ユキコ…?


脳裏に、ユキコの普段の言動がフラッシュバックする。

『あら、そのアザどうしたの?悪い虫がつかないように、しっかり"消毒"しとかないとね』

『今度の日曜はダメなの。"親戚"の大事な集まりがあるから』

『あなた、最近"外"で悪いもの食べてない?顔に出てるわよ』


全ての言葉が、今、まったく別の意味を持って俺に襲いかかってきた。社会的に消されるとか、精神的に追い詰められるとか、そんな生易しい話じゃない。これは、物理的に"処分"されるやつだ…!


俺がその場でへたり込んでいると、ガチャリと玄関のドアが開いた。

「兄貴、そいつが例の"虫"?」

入ってきたのは、アケ-ミだった。その手には、俺がプレゼントしたはずの可愛らしいバッグではなく、ドス黒い輝きを放つドスが握られていた。


いかつい男がアケミに声をかける。

「アケミ、ご苦労やったな。姐さんもお前の働きを褒めとったで」

アケミは俺を一瞥すると、心底軽蔑したような笑みを浮かべた。


男が携帯を取り出し、どこかへ電話をかける。


「姐さん。例の"害虫"、無事、捕獲しました」


スピーカーから漏れ聞こえてきたのは、紛れもなく、毎日聞き慣れた妻の優しい声だった。


『あら、ご苦労さま。すぐ"処分"しておいてちょうだい。**ウチは、裏切り者が一番嫌いだから**』


その声は、電話越しだというのに、絶対零度の冷たさで俺の骨の髄まで凍らせた。

俺が「ひっ…」と息を呑んだ、その時。電話の向こうから、妻の明るい鼻歌が聞こえてきた。


『**スッキリウキウキウォッチ♪ しょっぶん♪ しょっぶん♪**』


陽気なメロディに乗せて繰り返される「処分」という言葉。それは、この世のどんな脅し文句よりも恐ろしかった。

俺は、もう何も考えられなかった。


電話が切れる。目の前の男たちが、ゆっくりと立ち上がった。

俺の、長い長い夜が始まる。

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