第11章 王都に蠢く影

王都エルディア。

 高くそびえる城壁の内側では、煌びやかな街並みと、憂鬱な影が同居していた。

 民衆の間には「勇者が暴走した」という噂が広まりつつあり、人々の表情は不安に曇っていた。



 王城の謁見の間。

 白亜の大理石に囲まれたその場所に、国王レオハルトと宰相ゲルハルトが並び立っていた。


「勇者が逃亡した、という報告は確かか」

 王の声は低く、しかし怒気を含んでいた。


 膝をついた将軍が答える。

「はい、陛下。拘束に失敗し、現在も行方を追っております。ミラ嬢と共に姿を消し……レオン卿までもが命令に背きました」


「レオンが?」

 宰相が眉をひそめる。

「真面目一徹の男が命令違反とは……勇者に感化されたか」


 王は深く息を吐き、玉座に身を沈めた。

「勇者は希望であると同時に、災厄にもなり得る。放置すれば、国そのものが揺らぐ」


「……陛下」

 宰相が声を潜めた。

「やはり“あの計画”を進めるべきかと」


 将軍が目を見開く。

「まさか……封印兵器を、ですか」


 王はしばし沈黙し、やがて頷いた。

「勇者が神か魔かを選ぶという古き伝承。もし魔を選ぶなら……人の力で抗う術はない。ならば禁じられた力に頼るしかあるまい」


 その言葉に、重苦しい沈黙が広間を包んだ。



 一方その頃。

 城下町の裏路地では、別の陰謀が蠢いていた。


 フードを深く被った商人風の男が、密かに集まった貴族たちに囁く。

「王は勇者を恐れている。だが我らは違う。我らにとって勇者は“鍵”だ。転生の理を解けば、王家を越える力を得られる」


「だが、勇者は制御できぬ」

「ならば縛ればいい。鎖で、血で……あるいは愛で」


 薄笑いが闇に浮かぶ。

 彼らはすでに、勇者を“駒”として利用する計画を進めていた。



 王都の片隅。

 ひとりの少女が夜空を見上げていた。

 透き通るような銀髪を持ち、瞳は深い蒼。

 彼女の名はリディア――王立魔術院に所属する研究者であり、古代文字の解読者。


「……やはり、遺跡の記録と一致している」

 手にした羊皮紙には、転生に関する断片的な文献が記されていた。

「“一度きりの転生者は、神か魔かを選ぶ”……。そして、その存在は必ず“導き手”と出会う……」


 彼女は震える指で文字をなぞった。

「勇者は……すでに導き手に出会ったのね」


 夜空に瞬く星の下、彼女の瞳には決意の光が宿っていた。



王都の兵舎に、緊迫した号令が響いた。

 鎧を纏った騎士たちが整列し、指揮官の声を待つ。


「勇者追撃部隊を結成する。対象は勇者アレンと、その同行者。可能な限り生け捕りを……しかし、危険と判断されれば即座に討伐せよ」


 ざわめきが広がる。

 勇者を「討伐」とは、兵士たちにとっても異常な命令だった。

 だが、その異常を覆い隠すほどに命令の響きは冷酷だった。



 やがて広間に、黒衣の宰相ゲルハルトが現れた。

 その背後に従う騎士の姿を見た時、兵たちの間に驚きが走った。


「レオン卿……!」


 宰相は冷たく告げる。

「レオン卿、貴殿には勇者追撃部隊の指揮を命ずる。かつて共に戦った仲間だからこそ、勇者の動きを封じられるはずだ」


 レオンの表情は凍りついていた。

 彼はアレンを仲間として信じてきた。

 しかし今、国王の命と仲間としての誓いが正面から衝突している。


「……承知いたしました」

 硬い声でそう答えるしかなかった。


 その姿を見た兵たちは一層ざわめいた。

「仲間を討てと命じられて……」

「いや、だからこそ従うのでは……」


 レオンは人目を避けるように踵を返し、夜の廊下へと歩み去った。



 同じ頃、王立魔術院の一室。

 リディアは机に広げた古文書を握りしめていた。


「勇者は“導き手”によって真価を定める……。もし国が勇者を討てば、この世界そのものが歪む」


 窓の外に見える王都の街並みは、光に満ちているようで、どこか不吉な影を孕んでいた。


 リディアは深呼吸し、決意を固める。

「勇者に会わなければ。彼に伝えなければならない。この世界が隠している理を」


 彼女は密かに魔術院を抜け出す準備を始めた。



 その夜、王都の空には不気味な赤い月が昇っていた。

 街角では民衆が囁き合う。


「勇者は魔に堕ちたらしい」

「いや、王家が恐れているだけだ」

「どちらにせよ……嵐が来る」


 王国の中枢では、勇者を巡る策謀が幾重にも張り巡らされていた。

 王の命令、宰相の企み、貴族の欲望、そして学者の真実――。


 その全てが、アレンの運命を揺るがす巨大な渦へと収束しつつあった。

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