第9章 裏切りの刃と揺らぐ絆
遺跡調査から数日後。
砦に戻った私たちを待っていたのは、祝福ではなく冷たい沈黙だった。
遺跡での炎の暴走は王都にも伝わっていた。
兵士たちの視線は以前よりさらに鋭く、廊下を歩くだけで囁きが起こる。
「勇者様、だそうだが……」
「いや、あれはもう人の領域を越えている」
「いずれ魔王と同じ存在になるのでは……」
耳に入る度に胸の奥がざらつく。
だが、最も苦しかったのは、その視線が仲間にまで及んでいることだった。
◆
夜。
食堂の隅で、私はミラとレオンと共に夕食を取っていた。
だが、レオンの表情は曇ったままだった。
「なぁ、アレン」
唐突に切り出した彼の声は低かった。
「お前……本当に自分を制御できているのか?」
スプーンを持つ手が止まる。
「……どういう意味だ」
「遺跡での暴走だ。あの時、俺たちが止めなければ兵も巻き込んでいた。正直、俺は……怖かった」
レオンの率直な言葉に、ミラが顔を強張らせた。
「そんな……アレンはわざとじゃない!」
「分かってる!」
レオンが声を荒げた。
「だが、結果はどうだ? 王都に報告が行けば、いつ命令が下るか分からない。勇者の監視、いや……処分の命令が」
言葉の刃が胸に突き刺さる。
レオンの視線には嘘がなかった。仲間を思うからこそ、彼は恐れているのだ。
けれど、その恐れは確かに「疑い」にもなっていた。
◆
その夜更け。
廊下を歩いていると、偶然、将軍の部屋から漏れる声を耳にした。
扉の隙間から、将軍と王都の使者が話している。
「……勇者の力は危険すぎる」
「ええ、陛下も同意見です。近く王都へ召還させる手筈を」
「召還では済まんかもしれんぞ。万が一に備え、処断の準備を進めている」
息が止まった。
処断――その言葉が頭の奥で反響する。
足音を立てぬよう廊下を離れたが、心臓の鼓動は抑えきれなかった。
王国は私を「勇者」として讃えながら、その裏で「処刑対象」と見ている。
◆
翌朝。
砦の空気はさらに重苦しかった。
王都からの使者が残り、将軍と密談を重ねている。
兵士たちの視線は露骨に警戒を帯び、私の一挙手一投足を監視していた。
そんな中、背後から声を掛けられた。
「アレン」
振り返ると、レオンが立っていた。
彼の手は剣の柄にかかっている。
「俺に、正直に答えてくれ。……もし自分が制御できなくなった時、どうするつもりだ?」
その問いは、仲間としての確認であると同時に、処刑人の覚悟の確認でもあった。
私は息を呑み、答えを探した。
◆
レオンの問いに、私はすぐに答えることができなかった。
頭では「制御してみせる」と言いたい。だが、心の奥で炎の奔流が暴れ、いつ再び牙を剥くか自分でも分からない。
言葉に詰まる私を見て、レオンは唇を引き結んだ。
「……答えられないか」
その目は仲間に向けるものではなかった。
騎士として、怪物に対峙する時の眼差し。
◆
昼過ぎ。
砦の訓練場で、私は使者に伴われてきた数人の兵士に呼び止められた。
嫌な予感が背筋を走る。
「勇者殿」
使者がわざとらしく恭しく頭を下げる。
「王都への帰還命令が下った。すぐに支度を」
「……帰還命令、だと?」
その声音に含まれた硬さから、ただの「召還」ではないことは察せられた。
周囲を囲む兵士たちの視線は鋭く、剣の柄にかかる手が揃っていた。
これは「護衛」ではなく「拘束」だ。
「待て。俺はまだ任務を――」
「勇者の任務はここまでだ」
使者が冷たく遮る。
「これ以上、暴走の危険を冒すわけにはいかん」
◆
次の瞬間、背後から鋭い風切り音が響いた。
反射的に振り向くと、剣が私の首元に突きつけられていた。
握っていたのは――レオンだった。
「……すまない、アレン」
彼の声は震えていた。
「俺には、王国の命に従う義務がある。……仲間である前に、騎士だから」
胸が裂けるようだった。
信じていた仲間の剣先が、今は私を縛る鎖となっている。
「裏切ったのか、レオン」
声がかすれた。
「裏切りじゃない!」
レオンが叫ぶ。
「これ以上お前を守ることはできないんだ。もし暴走すれば、王国も……ミラも……すべてが炎に飲まれる!」
その言葉は、私自身が最も恐れていた現実だった。
◆
「やめて!」
間に割って入ったのはミラだった。
彼女は必死に両手を広げ、私とレオンの間に立つ。
「アレンは仲間よ! 彼を縛るなんて間違ってる!」
「ミラ、どけ!」
「嫌! もし彼を連れていくなら、私も一緒に行く!」
ミラの瞳は揺らぎなく、ただ強い意志を宿していた。
その姿に一瞬、レオンの剣先が揺れる。
だが兵士たちは容赦なく、鎖を手に近づいてきた。
逃げ場はない。
ここで従えば、私は「勇者」としてではなく「処刑対象」として王都へ連行される。
だが戦えば――本当に「魔王と同じ」だと証明することになる。
どちらを選んでも、仲間との絆は壊れる。
◆
心臓が激しく打ち、手のひらに熱が集まっていく。
炎が漏れ出す。
兵士たちがざわめき、剣を構えた。
「アレン!」
ミラの声が必死に響く。
「あなたは、人を守るためにここに来たんでしょ? お願い、自分を信じて!」
炎が渦巻き、視界を染める。
その熱の中で、私はミラの手を見た。
震えながらも、決して引かないその手。
――まだ、終わらせない。
炎を握り締め、私は深く息を吸い込んだ。
「俺は……勇者だ。人を守るためにここにいる!」
叫びと共に炎が爆ぜ、兵士たちの剣を弾いた。
だが殺すことはしなかった。ただ、拘束を振り払うための力だけを解き放った。
眩い光に包まれ、兵士たちは怯んだ。
レオンもまた剣を構えたまま動けずにいる。
「アレン……」
その声には、葛藤と後悔が滲んでいた。
◆
砦の外れ、森の中へと私はミラと共に逃げ込んだ。
追手の気配はすぐに迫ってくるだろう。
だが背後に残ったのは、信頼していた仲間との断絶と、王国という巨大な敵。
夜風に揺れる木々の音の中で、ミラが震える声で言った。
「アレン……これからどうするの?」
私は拳を握り締め、答えた。
「――真実を探す。
この力が何なのか。なぜ俺だけが転生を繰り返すのか。
王国も、魔王も、その答えを隠している。なら……俺が暴いてみせる」
その決意の先に待つものが、さらなる戦いと孤独であることは分かっていた。
だがミラは力強く頷き、私の手を握り返してくれた。
二人を照らす月光は冷たく、それでも確かな道を示すように輝いていた。
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