第9章 裏切りの刃と揺らぐ絆

遺跡調査から数日後。

 砦に戻った私たちを待っていたのは、祝福ではなく冷たい沈黙だった。


 遺跡での炎の暴走は王都にも伝わっていた。

 兵士たちの視線は以前よりさらに鋭く、廊下を歩くだけで囁きが起こる。


「勇者様、だそうだが……」

「いや、あれはもう人の領域を越えている」

「いずれ魔王と同じ存在になるのでは……」


 耳に入る度に胸の奥がざらつく。

 だが、最も苦しかったのは、その視線が仲間にまで及んでいることだった。



 夜。

 食堂の隅で、私はミラとレオンと共に夕食を取っていた。

 だが、レオンの表情は曇ったままだった。


「なぁ、アレン」

 唐突に切り出した彼の声は低かった。

「お前……本当に自分を制御できているのか?」


 スプーンを持つ手が止まる。

「……どういう意味だ」


「遺跡での暴走だ。あの時、俺たちが止めなければ兵も巻き込んでいた。正直、俺は……怖かった」


 レオンの率直な言葉に、ミラが顔を強張らせた。

「そんな……アレンはわざとじゃない!」

「分かってる!」

 レオンが声を荒げた。

「だが、結果はどうだ? 王都に報告が行けば、いつ命令が下るか分からない。勇者の監視、いや……処分の命令が」


 言葉の刃が胸に突き刺さる。

 レオンの視線には嘘がなかった。仲間を思うからこそ、彼は恐れているのだ。

 けれど、その恐れは確かに「疑い」にもなっていた。



 その夜更け。

 廊下を歩いていると、偶然、将軍の部屋から漏れる声を耳にした。

 扉の隙間から、将軍と王都の使者が話している。


「……勇者の力は危険すぎる」

「ええ、陛下も同意見です。近く王都へ召還させる手筈を」

「召還では済まんかもしれんぞ。万が一に備え、処断の準備を進めている」


 息が止まった。

 処断――その言葉が頭の奥で反響する。


 足音を立てぬよう廊下を離れたが、心臓の鼓動は抑えきれなかった。

 王国は私を「勇者」として讃えながら、その裏で「処刑対象」と見ている。



 翌朝。

 砦の空気はさらに重苦しかった。

 王都からの使者が残り、将軍と密談を重ねている。

 兵士たちの視線は露骨に警戒を帯び、私の一挙手一投足を監視していた。


 そんな中、背後から声を掛けられた。

「アレン」

 振り返ると、レオンが立っていた。

 彼の手は剣の柄にかかっている。


「俺に、正直に答えてくれ。……もし自分が制御できなくなった時、どうするつもりだ?」


 その問いは、仲間としての確認であると同時に、処刑人の覚悟の確認でもあった。

 私は息を呑み、答えを探した。



レオンの問いに、私はすぐに答えることができなかった。

 頭では「制御してみせる」と言いたい。だが、心の奥で炎の奔流が暴れ、いつ再び牙を剥くか自分でも分からない。


 言葉に詰まる私を見て、レオンは唇を引き結んだ。

「……答えられないか」


 その目は仲間に向けるものではなかった。

 騎士として、怪物に対峙する時の眼差し。



 昼過ぎ。

 砦の訓練場で、私は使者に伴われてきた数人の兵士に呼び止められた。

 嫌な予感が背筋を走る。


「勇者殿」

 使者がわざとらしく恭しく頭を下げる。

「王都への帰還命令が下った。すぐに支度を」


「……帰還命令、だと?」


 その声音に含まれた硬さから、ただの「召還」ではないことは察せられた。

 周囲を囲む兵士たちの視線は鋭く、剣の柄にかかる手が揃っていた。


 これは「護衛」ではなく「拘束」だ。


「待て。俺はまだ任務を――」

「勇者の任務はここまでだ」

 使者が冷たく遮る。

「これ以上、暴走の危険を冒すわけにはいかん」



 次の瞬間、背後から鋭い風切り音が響いた。

 反射的に振り向くと、剣が私の首元に突きつけられていた。


 握っていたのは――レオンだった。


「……すまない、アレン」

 彼の声は震えていた。

「俺には、王国の命に従う義務がある。……仲間である前に、騎士だから」


 胸が裂けるようだった。

 信じていた仲間の剣先が、今は私を縛る鎖となっている。


「裏切ったのか、レオン」

 声がかすれた。


「裏切りじゃない!」

 レオンが叫ぶ。

「これ以上お前を守ることはできないんだ。もし暴走すれば、王国も……ミラも……すべてが炎に飲まれる!」


 その言葉は、私自身が最も恐れていた現実だった。



「やめて!」

 間に割って入ったのはミラだった。

 彼女は必死に両手を広げ、私とレオンの間に立つ。

「アレンは仲間よ! 彼を縛るなんて間違ってる!」


「ミラ、どけ!」

「嫌! もし彼を連れていくなら、私も一緒に行く!」


 ミラの瞳は揺らぎなく、ただ強い意志を宿していた。

 その姿に一瞬、レオンの剣先が揺れる。

 だが兵士たちは容赦なく、鎖を手に近づいてきた。


 逃げ場はない。

 ここで従えば、私は「勇者」としてではなく「処刑対象」として王都へ連行される。

 だが戦えば――本当に「魔王と同じ」だと証明することになる。


 どちらを選んでも、仲間との絆は壊れる。



 心臓が激しく打ち、手のひらに熱が集まっていく。

 炎が漏れ出す。

 兵士たちがざわめき、剣を構えた。


「アレン!」

 ミラの声が必死に響く。

「あなたは、人を守るためにここに来たんでしょ? お願い、自分を信じて!」


 炎が渦巻き、視界を染める。

 その熱の中で、私はミラの手を見た。

 震えながらも、決して引かないその手。


 ――まだ、終わらせない。


 炎を握り締め、私は深く息を吸い込んだ。


「俺は……勇者だ。人を守るためにここにいる!」


 叫びと共に炎が爆ぜ、兵士たちの剣を弾いた。

 だが殺すことはしなかった。ただ、拘束を振り払うための力だけを解き放った。


 眩い光に包まれ、兵士たちは怯んだ。

 レオンもまた剣を構えたまま動けずにいる。


「アレン……」

 その声には、葛藤と後悔が滲んでいた。



 砦の外れ、森の中へと私はミラと共に逃げ込んだ。

 追手の気配はすぐに迫ってくるだろう。

 だが背後に残ったのは、信頼していた仲間との断絶と、王国という巨大な敵。


 夜風に揺れる木々の音の中で、ミラが震える声で言った。

「アレン……これからどうするの?」


 私は拳を握り締め、答えた。

「――真実を探す。

 この力が何なのか。なぜ俺だけが転生を繰り返すのか。

 王国も、魔王も、その答えを隠している。なら……俺が暴いてみせる」


 その決意の先に待つものが、さらなる戦いと孤独であることは分かっていた。

 だがミラは力強く頷き、私の手を握り返してくれた。


 二人を照らす月光は冷たく、それでも確かな道を示すように輝いていた。

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