十三話/欠けたもの、埋めるもの(三)

 公園までの道中、お互い口を開かなかった。

 反省させるとか、そんな思惑は全くない。ただ、感情に掻き回されて何も言えなかった。


 なんで俺なんだ、好きなやつに彼女がいて悲しかったなら友達にでも愚痴れば良い、好きな相手のデート現場を目撃するなんて運が悪い女だ。

 そんな感想や、あの男は俺とは正反対の外見で苦手だな、連れていた女の方もこの子とは違う意味で派手で苦手だ、などと、どうでも良い主観的な事柄まで考えていた。


 ふいに、後ろを振り返る。

 俺に腕を持たれた女は、俺の後ろを影のように歩く。

 子ども相手じゃないんだから、ずっと腕を持たなくてもいいのだが、今手を離したら後悔しそうだと直感が告げていた。

 女の表情は冷たく、短い付き合いのため当然ではあるが、こんな表情は初めて見た。

 普段の様子が太陽ならば、今の表情はまるで月。

 いや、月は月でも、新月だろう。


 その表情に、俺の中の何かが熱を帯びた。

 感情が渦を巻く。その中に台風の目のように一つの決意が形になっていく。


 こんな顔の奴、絶対抱くもんか。


 決意が形になった頃、街灯に照らされた公園が見えてきた。




 誰もいない公園を、LEDの光が強く照らしている。

 今までは電気代の無駄のように思えた眩しい街灯に、今日だけは感謝することにした。


 俺がベンチに座ると、女も俺の左横に並んで座る。

 ずっと女の腕を持っていたからか、自由になった手はほんの少し寂しさを訴えかけている。


「んで」

 

 小さく息を吸って、声を出した。

 隣にいる彼女が身体を強張らせるのが分かったが、配慮するつもりは毛頭ない。

 

「なんで君は俺に抱いてくれなんて頼んだんだ」

「忘れさせて欲しい、から」

「好きだった奴を? 君からするとこんなおじさんだぞ?」

「いいの。おじさんだから、いいの」


 そう俺に伝える言葉は、やけに意思が強い。


「おじさん、優しいから」


 そう言って浮かべた顔は、ほんの少し口角が上がっていた。

 

 そんな笑顔は見たくない。

 そんな笑顔はそそらない。

 そんな笑顔には惚れない。


「そうかそうか。お前にとっておじさんは優しいんだな。じゃあ優しいおじさんとして言わせてもらおう」


 少し息をつく。


「そんなもんで忘れられねぇに決まってんだろ。まっすぐ家に帰るか、今から連絡して友達の家にでも行ってこい。友達であっても絶対男ん家に行くなよ」


 向かい合う新月の口元がひくついた。

 自分の気持ちを整理しているのが分かった。

 俺はあえて、女から顔を反らす。

 

 かすかに鼓膜を震わせる、車のエンジン音に耳を傾けた。


 

 

 もう何十年か前ならば、相手の気持ちを整理するこんな時間、男はきっと煙草を吸うんだろう。

 あいにく今の時代の公園は禁煙であるし、俺は非喫煙者だ。

 スマホを眺めるのも手ではあるが、そんな人の気持ちに寄り添えない人間になりたくなかった。


 「抱いてくれたって、いいじゃんか」

 

 令和の時代を生きる俺は、ただ何も見えない夜を眺め、吐き捨てるような涙声を聞き続けることしかできなかった。

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