八話/来訪者

 目を開いて一番最初に見えたのは、当然だが見覚えのある天井だった。

 体を起こし、伸びをする。

 

 頭が重い上、ズキズキと痛む。

 実際に嘔吐することはなさそうだが、吐き気までする。

 昨晩は飲みすぎたらしい。

 ――いや、あんな量の日本酒で二日酔いになるほど弱くないはすだが、久しぶりの酒だったからか?


「み、水……か、味噌汁……」


 ぼんやりとして思考が出来ない。とりあえず、何か水分を取らなければ。

 普段選ばれることがなく、棚の奥に追いやられたインスタントの味噌汁を探しに行かねば。


 ゆっくりと、ベッドからリビングへと移動する。

 そこには、昨日のゴミが乱雑に置いてある。

 

 一緒に飲んだ日本酒の瓶が二つ並べて置いてあり、背筋が凍った。

 

 慌てて寝室に戻り、布団を剥がす。死角やクローゼットの中も確認し、誰もいないことを確認する。

 

 何故、二人分の瓶があるんだ。

 記憶の引き出しを引っ掻き回すが、確信となる記憶が出てこない。

 川沿いでおでんをつつきながら、あの女の恋愛話を聞いた。

 

 その後……その後……。


 その後の記憶を思い出すため頭の引き出しを引っ掻き回したが、体内から込み上げるものを感じて中断する。


「味噌汁、飲も。いや、トイレが先か……」


 ぽつりと呟いた途端、キッチンから食器のぶつかる音がした。

 嘔吐感なぞ吹っ飛び、足早にキッチンに向かう。

 

「よお、二日酔い」


 そこに立っていたのは、可愛らしい顔つきをした長身の男だった。

 汁椀を二つ手に持ちこちらを見る男は、首にタオルを巻き、上半身には何も着ていないラフな姿だ。

 シャンプーの香りに包まれた前髪の奥には、今日も威圧感ある眼差しが隠れていた。

 

「荒木……」


 安堵と怒りが腹で混ざり合った声など聞こえないといった様子で、汁椀にインスタント味噌汁の味噌を入れている。


「なんでいるんだ」

「鍵、返してなかったから。それに寝袋とか着替え、持って帰るの忘れてて」


 その言葉に、一瞬だけ楽しかった頃が蘇る。

 俺と荒木、他のスタッフがこの部屋に泊まって、缶詰状態であの作品を完成させたこと。

 人数分布団を用意できず、荒木は持参した寝袋を使って眠っていたこと。


 ただ、もうそんな事は起きないのだ。

 

「じゃあさっさと回収して帰ってくれよ」


 俺の言葉など気にせず、電気ケトルの湯を注ぐ荒木。

 二つの汁椀から、湯気が立ち上ると、こちらを向いた。

 

「シナリオを書けなくなったのは、俺のせいじゃないでしょ」


 振り向いたそれは、無害そうな皮を剥いだ猛獣だった。

 その威圧感は、相手を非力な被食者にしてしまう。


「俺がお前の才能を奪った?」

「そうじゃ、ない」

「書けない環境に追いやった?」

「違う……けど」

「じゃあ誰のせいだよ」


 その言葉への返事は、頭の中で絡まって口から出ることはなかった。

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