徒歩で行こうよどこへでも

猫背ぱん

1軒目「短すぎる鉛筆の専門店」



 それは涼しい秋の日だった。秋雨前線の影響で、 空はどんよりと黒い。もうすぐ雨が降るらしいと、すれ違った主婦たちが足早に帰路に着く。あのレジ袋からはみ出たネギは、何に変わるのだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、顔にポツリと雨が落ちた。傘は持っていない。雨宿りをしないとな。


 私が辺りを見渡すと、錆びた看板が目に入る。消えかかったレトロな文字で、なんとか読めたのは「専門店」だけだった。ちょうどいい、今日の寄り道はここにしよう。

 自己紹介が遅れた。私の名前は道草ヨリミチ。この町をこよなく愛する至って普通の美少女である。


 ドアを開けると、木の香りが漂うどこか懐かしい内装で、奥のカウンターには店主と思しき初老の男性が座っている。歩くとギシギシ音を立てる床のせいで、店主はすぐに私に気がついた。


「いらっしゃい、急な雨に降られたかな?古臭い店だけど、まだ雨漏りはしていないから安心して休んでいくといい」

「いやいや素敵なお店ですよ。ところで、ここはなんの専門店ですか?」


 店主はメガネをクイッと上げた。


「ここは『これ以上削れないほど短い鉛筆の専門店』だよ」


 どうやらこだわりがあるようで、続けて語り出す。


「ここまで短いと、持つことすら難しいだろう?どれも自慢の逸品でね、僕が削ったものだけじゃなく、一目惚れして仕入れたものもある」


 店主はうっとりとした表情で、短い鉛筆を陳列した棚を見つめる。熱意は伝わってきたが、売り物としてはどうなのだろう。これ以上削れない、持ちにくい、そんな鉛筆をどんな人が買うのか純粋に興味が湧いてきた。


「鉛筆1本おいくらですか」

「ものにもよるけど、大体このくらいかな」


 店主が見せてきた値段は、普通の鉛筆がダースで買えるほどだった。ますます分からない。私のなんとも言えない顔を見かねた店主が口を開きかけたその時、店のドアが開き、濡れた傘を持った男が入ってきた。

 歳は店主と同じくらいに見える。髪はオールバックに固めており、いかにもビジネスマンといった風体で、仕立てのいいスーツが水を弾いていた。店主は笑顔で男を迎える。


「ニッタさん!今日も良いもの仕入れたんです。こういうの、好きでしょう」


 ニッタさんと呼ばれたスーツの男は、親指の爪ほどの鉛筆を摘み、感激したようにうなった。


「いやはや素晴らしい。この鋭さ、ヴィンテージ感、わたしが求めている全てが詰まっている」

「ええ、ええ、そうなんです」

「店長、これを買いたい。あと、この間注文していたものを頼むよ」

「いつもご贔屓にありがとうございます」


 ご機嫌な店主はそそくさと店の奥に戻る。

 店内には私と常連客のニッタさんが残された。彼は自分以外の客が珍しいのか、仲間を見つけた嬉しさ混じりに話しかけてきた。


「お嬢さんも短すぎる鉛筆を買いに?」


 まさか。と言っては失礼だ。相手の趣味には礼儀を忘れてはならないものだ。私は正直に答えた。


「いえ、最初は雨宿りのつもりでした。看板の文字がかすれていて、何の専門店かも分からず入ったのです。もしよろしければ、その鉛筆をどのように使っているのかお聞きしても?」

「はっはっは、そうか。いいかいお嬢さん、この短すぎる鉛筆の真髄は、この短さにあるんだ」


 ニッタさんは本革のカバンから、とても短い鉛筆を几帳面に揃えたケースを取り出した。これならどこかに転がって無くしたりしないだろう。


「鉛筆は、その人が使った分削られる。こんなに短くなるまで使われた鉛筆には、それだけの時間と、持主の想いがある。短さに含まれたドラマを、わたしはこの店から買っているんだよ」


 ニッタさんの説得力に、私は脱帽した。今まで理解できなかった短すぎる鉛筆が、輝いて見えた。その気持ちを言葉にする前に、店の奥から戻ってきた店主が鉛筆をバラバラと落とす音が店内に響く。


「す、す、すみません。いやぁ、流石はニッタさん。まさか、そんな風に……あ、もちろん僕もそのつもりで売っていましたとも。鉛筆のドラマ、良いですよね」


 しどろもどろしながら店主は早口で誤魔化す。あまりにも怪しい。初老の男性が子どものように慌てる姿は、どこか危なっかしかった。ニッタさんはというと、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして止まっていた。そして意を決して恐る恐る尋ねる。


「店長……あなたの考えを教えて欲しい」


 先ほど自信満々に語っていた分、ニッタさんは少し照れくさそうだった。私は2人を交互に見て、様子をうかがう。

 それから10分ほど店主は言い淀んだが、ニッタさんも一歩も譲らず、最後には店主が折れた。

 店主はため息と共にゆっくりと話し出した。


「僕はUTubeで配信しているのだけど……」


 私とニッタさんは同じ顔をして、続く言葉を待った。


「鉛筆マラカス奏者として毎日動画をアップしているんだ。鉛筆の短さにもこだわりがあって、木の種類や黒鉛の量も計算して、最高の音が出せるものだけを取り揃えているつもりだよ」


 店主はどこからともなくマラカスを取り出し、その見た目からは想像できない手さばきでマラカスを鳴らした。マラカスは透明で、中身の短い鉛筆が飛び跳ねているのが良く見える。ジャカジャカジャカジャカ。店主は空中マラカス回しまで披露し、お辞儀をした。

 私はその演奏技術に感服し、面白いと思って拍手をした。横を見ると、ニッタさんが体の横で拳を握って俯いていた。 無理もない、鉛筆は楽器だったのだから。


「──店長!!」


 怒ってしまったのだろうか?店主は叱られたわんこのような目をして常連客から目をそらす。


「もう10年の付き合いなのに、どうして今まで誘ってくれなかったんだ!」

「に、ニッタさん……!」


 固い握手をする2人を置いて、私はひっそりと専門店を後にした。

 空を見上げると雨はすっかり止んでおり、地面から濡れた匂いが広がる。小学生が水溜まりに飛び込み、笑いながら駆けていく。

 その時、びゅうと風が吹き抜けていった。子どもの声と重なるように、あのマラカスの音が微かに乗って、私の髪を通り抜けた。



 後日、UTubeの『鉛筆奏者ちゃんねる』に新しい仲間が加わった。

 そして登録者も、1人増えた。

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