追憶のレクイエム
@kisaragikokono29
第1話 プロローグ
目を覚ますとそこは見知らぬ部屋だった。
窓すらない白い壁に板張りの床。寝かされていたベッドの寝具は真っ白で素っ気なく、ベッドの脇にあるサイドテーブルと丸椅子の他には部屋の中には何もない。
異様な室内の様子に不安を感じつつ、ベッドから降りようとすると靴すらない。
そこで僕は、自分が真っ白な患者衣を着せられていることに気がついた。
自分の置かれた状況に急速に不安が大きくなっていく。
そのまま素足で床に降り、鉄製の重そうな扉の取手を捻ってみたが、やはりというか何故かというか扉は施錠されていた。
「誰か! 誰かいないか!?」
大きな声を出しながら扉をドンドンと叩いていると、しばらくして扉の向こう側からくぐもった声が聞こえた。
「お静かに。落ち着いてドアから離れてください。ベッドに座ったことが確認できたら、扉を開けましょう」
「分かった。ベッドに戻るよ」
そう言ってベッドに腰掛けると、程なくして扉が開いた。
入ってきた人物の顔を見て、僕は一瞬ほっとする。
「なんだ、エドマンじゃないか。一体、この状況はどういうことなんだ?」
「私はエドマンではありませんよ」
僕の問いかけに彼は一瞬眉を顰めると、素っ気なく言い放った。
そう言われてみると、よく似てはいるが確かに彼はエドマンではなかった。
「あぁ、失礼。君がとても同僚によく似ていたものだから」
「同僚、というと?」
そう言いながら、彼は丸椅子を引き寄せてそれに腰を据えた。
「僕は魔術棟に勤めているんだ。専攻は魔法陣。君によく似た同僚はエドマン・ハーパーと言って優秀な術士だよ。名前くらいは聞いたことあるんじゃないかな?」
「…えぇ、よく知ってますよ」
そう言いながら、彼は懐からメモ帳とペンを取り出した。
「まずは、この状況を不安に思っていらっしゃることと思いますので、簡単に説明させていただきます」
「そうしてくれると助かるよ」
「魔法棟で未知の魔法陣が展開され、あなたはそれに巻き込まれました。結果、何らかの記憶障害が起こったものと見受けられます」
「記憶障害?」
「そのため、混乱が落ち着くまで一時的な隔離措置を取らせていただきました。魔法陣に巻き込まれる直前のことで、何か思い出せることはありますか?」
そう言われてみれば、なるほど、何も思い出すことはできなかった。
そう言うと、彼はメモ帳にそれを書き込んでいく。
「それではこれから、いくつか質問させてください。まず、お名前をお願いします」
「アラン・ハッター。さっきも言ったけど、魔法棟で魔法陣の研究をしている」
「…魔法棟に勤めてからは何年?」
「学校を卒業してからだから、7年?かな」
僕がそう言うと、彼はメモ帳から顔を上げた。
「今日が何年の何月何日か分かりますか?」
そう問われて、はたと言葉に詰まる。
「…学校を卒業して7年だから、建国398年なのは間違いないとして、なら今は何月だ?」
「…思い出せませんか?」
探るような目を向けられ、僕は考え込んだ。
魔法陣に巻き込まれる直前のことどころか、直近のことですら何をしていたか思い出せない。
何かの研究をしていたような気もするが、ここに来るまでのことはまるで夢の中でもあったかのようで、取り止めのないぼんやりとした記憶しかなかった。
僕がそう言うと、彼はまた滑るようにメモ帳にペンを走らせた。
「もしかして、僕は自分の研究していた魔法陣を暴発させたりでもしたのかな」
「そういうわけではありません」
一瞬思い至ったぞっとするような懸念を伝えたとたん、ピシャリと撥ねつけるように否定されたが、なぜかますます不安が大きくなった。
「…家にはいつ頃帰れる?」
「自分では何とも申し上げることはできません」
「家族と面会はできるのかな?」
「そちらも何とも申し上げられません」
…あぁ、そう言えば
「再来月は娘の誕生日なんだ。せめてその日までに帰りたいんだが」
そう言うと、彼は眉を顰めた。
「娘?」
「娘がいるんだ。シェリーと言って、3月で二歳になる」
「…ご家族のお名前は?」
「妻のアマンダと、娘のシェリーの三人家族だよ」
そう告げると、彼は何も言わずに少し考え込むような素振りを見せた。
「魔法陣に巻き込まれた日がいつだったのかは分からないけど、確か最後にカレンダーを見たのは1月15日だ」
3月4日は娘の誕生日だ。
誕生日まで二ヶ月を切ったから、そろそろプレゼントやパーティの準備をしなくてはと思っていた。誕生日の前後に休暇を申請して、旅行に行くのも良いなと思っていた。
そうだ、確かその日は家に帰る前に玩具屋に寄って、何か娘の喜びそうな物を探してみるつもりだったんだ。
そう思い出したところで、激しい不安に襲われた。身体が震えてうまく息をすることができない。
自分が何か大切なことを忘れているような気がした。
「ねぇ、君…僕は一体…」
縋るように目の前の彼に問いかけようとしたが、彼はピシャリとメモ帳を閉じて立ち上がると、無機質な声で告げた。
「お疲れのようですから、今日はここまでにしておきましょう」
「大丈夫だから! 何が起こっているのか教えてくれないか!?」
部屋を出ようとする彼を引き止めようと思わず立ち上がると、身体が硬直したように動かなくなった。なんらかの拘束系の魔法陣が展開されているらしい。
彼は、ドアを開けながらこちらを振り返ると変わらず無機質な声で言った。
「また明日参ります。あとで食事を運ばせますので、ベッドに座ってお待ちください」
「せめて家族がどうしているか教えてくれないか!?」
「…恙無くお過ごしですよ、あなたのご家族は」
そう答えると、彼は出て行って扉を閉めた。
ガチャンと重たい閂が掛けられる音がしたとたん身体の拘束が解け、僕は頽れるようにベッドに腰を下ろした。
「そうか、家族は平穏に過ごせているのか」
そう呟いても心の不安は少しも拭えなかった。
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