第2話 シスターズ・ウォー
翌週の火曜日。 俺は少しばかりの緊張を胸に、見慣れた家のインターホンを鳴らした。
表札には「河野」と、丸みを帯びた文字で書かれている。
約束通り、学校の課題を恵と一緒にやるためだった。
すぐにパタパタと軽い足音が聞こえ、ドアが開く。
「いらっしゃい、達也」
そこに立っていたのは、もちろん恵だった。
部屋着なのだろう、少し大きめのスウェットに身を包んだ姿は、制服の時とはまた違った柔らかい雰囲気をまとっている。
「よお」
俺がぶっきらぼうに片手を挙げた、その瞬間だった。
「「「いらっしゃーい!」」」
恵の両脇と後ろから、ぬっと三つの影が現れた三方向からの完璧な包囲網。
長姉の
「やっほー、新堂くん! 恵のお婿さん候補、第一位のご登場だ!」
ニヤニヤと笑いながら俺の肩を叩く、ショートカットが似合う蘭さん。
「まあ、達也くん、いらっしゃい。この間の身体測定、身長また伸びた?」
おっとりした口調とは裏腹に、値踏みするような視線を送ってくる、ウェーブのかかったロングヘアが上品な菫さん。
「達也お兄ちゃん、こんにちは! 今日は恵お兄ちゃんとお勉強?」
くりくりした瞳で俺を見上げる、恵にそっくりな愛らしい顔立ちの桃ちゃん。
質問と牽制と純粋な歓迎が入り混じった嵐に、俺は一瞬にして飲み込まれた。
「あ、えっと、お邪魔します……」
「ささ、上がって上がって! うちの恵を泣かせたら、分かってるでしょうね?」
「蘭姉ちゃん、やめてよ! 達也、こっちこっち、早く部屋行こう!」
蘭さんに背中をぐいぐい押され、恵に腕を引かれるようにして、俺はほうほうの体で
背後からは「あらあら」「ふふふ」という、楽しそうなシスターズの声が追いかけてくる。
ここは、俺にとって常にアウェイなのだ。
恵の部屋は、家の他の場所と同じように、どこかフローラルな甘い香りがした。
整理整頓されていて、男の部屋特有の無骨さはない。
窓辺には小さな観葉植物が置かれ、本棚には小説や漫画に交じって、写真立てがいくつか並んでいる。
「ごめんな、姉さんたちが騒がしくて」
「……いや、別に。慣れてる」
嘘だ。全く慣れない。
椅子に座ってリュックから教科書を取り出しながらも、背後のドアがいつ開くかと気が気ではなかった。
案の定、俺たちの静寂は長くは続かなかった。
まずは桃ちゃんが「オレンジジュース持ってきたよー!」と現れ、俺の隣に座り込んで「達也お兄ちゃんの学校、面白い?」と質問攻めを開始。
ようやく桃ちゃんが満足して部屋を出て行ったかと思えば、今度は菫さんが「クッキー焼いたの。よかったらどうぞ」と皿を手に現れ、「達也くんは、大学とかどうするの? 恵と一緒のところ?」と将来設計にまで踏み込んでくる。
彼女たちが代わる代わる運んでくるお菓子とジュースで、テーブルの上はあっという間にパーティーのような有様になった。
課題は一向に進まない。
「達也、ごめん……。ちょっと僕、言ってくる」
さすがに申し訳なくなったのか、恵が眉を下げて席を立った。
その恵と入れ違うように、ラスボスが満を持して登場した。
長姉の蘭さんだ。
その手には、分厚いアルバムが抱えられている……嫌な予感しかしない。
「ねえねえ新堂くん。とっておきのがあるのよ~」
蘭さんは、恵が座っていた椅子に構わず腰を下ろすと、俺の目の前でこれ見よがしにアルバムを開いた。
そこに広がっていたのは俺の知らない、そして知りすぎている河野恵の歴史だった。
「見てこれ! 小さい頃の恵。あたしたちのお下がりのフリルのワンピース着せられて、ポーズ取らされてんの。可愛いでしょ?」
ページをめくるたび、蘭さんの解説が入る。
七五三で女の子用の晴れ着を着せられ、困ったように笑う恵。
幼稚園のお遊戯会で、お姫様の役をやらされている恵。
どの写真の恵も今の面影を残しつつ、庇護欲をかき立てる可愛らしさだった。
「あ、これなんか最高じゃない?
小学校の入学式のやつ。 あんたの後ろを、ひよこみたいにトコトコついて歩いてるの」
蘭さんが指さした写真に、俺は思わず息をのんだ。
ピンクのランドセルを背負った小さな恵が、俺の制服の裾をぎゅっと握りしめている。
そうだ……あの頃、恵はいつも俺の後ろをついてきた。
「この頃から、恵は本当に達也一筋だったのよねぇ。あんたが他の子と話してると、すぐ焼きもち焼いてさ」
「そ、そんなことねえだろ!」
「あったわよ。あたしは見てたんだから」
否定もできず、かといって肯定するのも
心臓がうるさい。
それは、からかわれている羞恥心だけが原因ではないことを、俺は薄々気づいていた。
課題のことも忘れ、俺がアルバムに見入っていた時だった。
蘭さんが席を立った拍子に、彼女が机の端に置いていた数冊の本が床に滑り落ちた。
「おっと」
俺は咄嗟にそれを拾い上げようとして、固まった。
一番上にあったのは、薄い冊子だった。
その表紙には、見たこともない制服を着た二人の少年が、今にもキスをしそうな距離で見つめ合っているイラストが描かれている。
「うげっ……」
思わず、喉から変な声が出た。
パラリと開いたページには、さらに生々しい男同士の絡みが描かれていた。
俺は慌ててそれを閉じると、まるで汚いものでも触ったかのように、他の本と一緒に蘭さんに突き返した。
「……なんだよ、これ」
「ん? ああ、あたしの趣味」
蘭さんは悪びれるでもなく、ひょいとそれを受け取ると、にこりと微笑んだ。
その目が、俺の反応を面白がっているのが分かった。
「……男同士なんて、ありえねえ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、俺は呟いていた。
それは、偽りのない本心だった。
目の前のイラストに対する生理的な嫌悪感。
理解不能な世界への拒絶感。
友情は友情だ。
それ以上でも以下でもない。
男と男が、そんな風になるなんて気持ちが悪い。
俺の呟きを、蘭さんは聞き逃さなかった。
彼女は、唇の端をくいと吊り上げると実に意味深な表情でこう言ったのだ。
「ふーん。……今はね」
その言葉の意味を、俺は測りかねた。
ただ、まるで心の中を見透かされたような妙な居心地の悪さだけが残った。
ちょうどその時、「姉ちゃん、いい加減にしてよ!」と、恵がペットボトルのお茶を持って部屋に戻ってきた。
蘭さんは「はいはい」と肩をすくめ、俺にひらひらと手を振って部屋を出ていく。
嵐が、ようやく過ぎ去った。
部屋には、再び俺と恵だけの静寂が戻ってきた。
しかし、さっきまでのそれとは、何かが決定的に違っていた。
俺の頭の中には、先ほどのイラストと、「今はね」という蘭さんの言葉が、気味の悪い残像のようにこびりついて離れなかった。
「達也? どうかした?」
心配そうに俺の顔を覗き込む恵。
その距離の近さに、俺は無意識に体をこわばらせていた。
「……なんでもねえよ。それより、課題、さっさと終わらせるぞ」
俺はぶっきらぼうにそう言うと、無理やり教科書に視線を落とした。
恵の純粋な瞳を今は、まともに見ることができなかった。
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