いくらワンナイトでも
二上たいら
一粒目 ぷちぷちを潰す
「先輩、それ捨てときますよ」
それは取引先に依頼された製品見本をダンボールに詰めているときだった。
わたしは後輩に声をかけられて目線を落とし、手の中にあるものを確認した。
ちょうど製品をダンボールに詰め終わったところだ。
壊れやすいものだったので厳重に梱包材を詰めてある。
そのダンボールをこれからガムテープで封をしようかと思っていて、手には梱包材の切れ端があった。
「それってこの気泡緩衝材の端切れ?」
私が手の中のものを見せながら訊ねると後輩は首を傾げた。
少しだけ明るい色のボブカットの毛先が揺れる。
目立たない色のピアスがちらりと見えた。
「きほー? ぷちぷちですよね」
「そうとも言う」
俗称が一般化して正式名称が忘れられるというのはよくある。
ホッチキスのことをステープラーって呼ぶ人はいないのと同じ。
この気泡緩衝材もどうやらぷちぷちに取って代わられたようだ。
いや、一度でも正式名称で呼ばれていたことがあったか?
わたしも人生で初めて口にした気がする。
ぷちぷちの切れ端を受け取った後輩はゴミ箱には行かずに、自分のデスクに戻った。
なにをしているのかと思えば、気泡をひとつひとつ時間をかけて潰している。
ガムテープで封をして印刷済みの送り状を貼ったわたしは、荷物をドアから程近いデスクの上に置いて後輩の背後に回り込んだ。
後輩はわたしが後ろにいることにも気付かずに、ぷちぷちの気泡を細くて小さな指でひとつずつ潰している。
指の力が足りていないのか、力を込めるときに指先がふるふる震えるのが妙な庇護欲を誘う。
デスクのノートパソコン画面を見れば期限の近い企画書が作りかけのままだ。
ウィンドウの枠部分に『文書1』とだけあるので保存するのを忘れている。
はぁ、本当に危ない子ね。
手のひらで軽く頭を叩いてやろうと、狙いを定めるとつむじが見えた。
いつもはそんなことないように綺麗に髪をセットしているのに、今日はどうしたのだろうか?
わたしは軽く上げた手を下ろして、後輩の肩に置いた。
「ひゃあ!」
後輩は可愛らしい悲鳴をあげる。
思った以上の嬌声に部内の男性社員たちが何事かと顔をあげた。
どいつもこいつもセクハラか?
「先輩、セクハラですよ」
わたしがセクハラだった。
セクハラってそういうものだっけ?
「女同士じゃないの」
「同性でもセクハラは成立します。その古い考えがセクハラを生むんです」
後輩の主張に今時だなあと思う。
身体的接触がすべてセクハラと認定されたら、そのうち取引先と握手をすることを拒否する新人が現れそうだ。
別に身体的な特徴を使って仕事を取ってこいと言っているわけでもないのにな。
……おっぱいでけぇのにもったいない。
おっといけない。
口から漏れたら本当にセクハラになる。
「で、なにをしているの?」
「ぷちぷちをつぶしています」
まったく悪びれることなく言われて、わたしは今度こそ手のひらを振り上げた。
「まって、まってください。これは必要な気分転換なんです。先輩がタバコを吸いに行くようなものです」
わたしは後輩を怖がらせないようにゆっくりと手を下ろした。
タバコ休憩を引き合いに出されたら強く出られない。
「気分転換にしても、その潰し方はなに? ひとつひとつ丁寧に。逆にストレス溜まらない?」
「そうですか?」
ぷちっと後輩の手がまたひとつ気泡を潰した。
お説教されてるんだから手を止めなさいと言いたいけれど、タバコ休憩を人質に取られている。なんて卑怯な。
「ひとつずつのほうがスタンダードだと思いますけど」
ぷちっ。
後輩の細い指がまた気泡を潰した。
すごくのんびりとしたペースだ。
ひとつひとつ噛みしめて味わうかのように、後輩は気泡を潰す。
ピンクに近い淡い赤色の唇から吐息が漏れたような気がした。
仕事をサボってぷちぷちを潰しているだけなのに、妙な色気がある。
前から思っていたけれど、なんだこいつ。
「別にあなたがそれでいいならいいんだけど、こう一気にぐわーっと行ったほうが気持ちいいわよ」
「前から思ってましたけど、先輩って言語化が下手ですよね」
「いま言う!?」
「すみません。親の口から生まれてきたもので」
「そんな人はいないわよ」
まったく、口の立つ後輩だ。
可愛らしくて、お洒落で、ちょっと変人というキャラクターは男性社員の心を鷲掴みにしている。
紳士協定が結ばれていて、社内では抜け駆け禁止であるらしい。
どうしてわたしが知ってるんだって話だよ。
最近、社内で女扱いされていないような気がする。
後輩が入社してからは、ことさらに。
まあ、いいけど。どうせ日照り女ですよ。
荒野ですとも。
顔は悪くないと思うんだけど。
お婆ちゃんも褒めてくれるし。
髪の毛もちゃんと手入れをして艶のある黒髪だから、変に染めたくはない。
もっと伸ばしたほうが女らしいだろうか?
体つきは、うん、まあ、背丈もあるし、モデル体型だと主張させてもらう。
けど、モテたためしがないんだよなあ。
別にモテなくてもいいんだけど、ちゃんとした人で、わたしを愛してくれる人がひとりいれば。いない。
「その、先輩。今日、仕事のあと相談に乗ってくれません?」
つむじが見えてることを、なんて切り出そうかと思っていたら、幸いにも後輩から切り出してくれた。
ありがたい。
「プライベートのこと? いいわよ。でも就業時間の間は仕事に集中してね。あとファイルの保存も忘れない」
わたしは後輩の手からぷちぷちを取り上げて、そのままゴミ箱に放り込んだ。
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