第7話
訓練場。
かつてアリスが、父に隠れて剣術を学んでいた場所。
今はもう兵士の訓練には使われていない、荒れた地面。
草は伸びている。
だがアリスにとっては、ここが信頼”を覚えた場所だった。
(ここにいた……あの人が⋯⋯)
剣術指南役。騎士、リュカ・ファーレン。
未来の世界で、アリスが捕らえられたとき、最後の最後まで、彼女を助けようとした男。
だがその意志は届かず、アリスが処刑される前に……彼は、何者かに始末された。
(今なら、彼は生きている。私よりも少し年上で、忠義に厚い、まっすぐな人)
(味方にできるなら、必ず大きな力になる)
アリスが地面を踏みしめたその瞬間、
古びた訓練所の影から、重い足音が響いた。
「……誰だ?こんな場所に何の用だ」
低く、警戒を含んだ声。
振り返ると、そこにはリュカ・ファーレンが立っていた。
鍛えられた体。
かつて、どんな時もアリスを姫ではなく、一人の剣士として見てくれた人。
「……久しぶりね、リュカ」
「……え!?その声……まさか、アリス様……!」
驚愕が彼の顔に走った。
だが、それはすぐに懐かしさと安堵へ変わっていく。
「本当に……生きていらっしゃったんですね」
その一言に、アリスの胸が締めつけられる。
(そう。未来では、この人は私の死を知っていた)
(でも今は違う……今度は一緒に戦える⋯⋯)
「リュカ。お願いがあるの。私と一緒に動いて。あなたにしか、頼めないことがあるの」
「……俺でよければ、いつでも命を懸けるつもりです。ですが……」
彼の瞳が暗くなる。
「なぜ今?何が動いているのです?……まるで、すべてを知っているような口ぶりだ」
(鋭い……さすがね)
アリスは一瞬、言葉を選んだ。
すべてを話すことはできない。けれど、嘘もつきたくない。
「未来のことを話しても、信じられないでしょ?」
「未来⋯⋯ですか?」
「私……一度、死んだの。だから知ってるの。誰が裏切り、誰が傷つき、誰が……亡くなるのか」
リュカの目が揺れる。
だが、彼は信じる者の顔で言った。
「信じます。アリス様がそう言うのなら」
アリスの胸に、熱いものがこみ上げる。
(この人は……本当に、あのときと同じ。今も、まっすぐ)
「ありがとう、リュカ……あなたがいてくれるだけで、少しだけ、怖くなくなる」
その声は、姫でも戦士でもないひとりの少女のものだった。
その夜。
アリスは新たな名簿に、リュカの名を記した。
信頼:リュカ・ファーレン
状況:剣士。忠誠心強。未来では殉職。今は確保済み。味方。
同じく、少し前に密かに接触していた幼馴染・ミレイナの名も加える。
信頼:ミレイナ・トラヴィス
状況:元宮廷薬師。現在王都郊外で療養中。王家への忠義あり。味方候補。
(少しずつ……揃ってきた)
ただの孤独な姫だった頃とは違う。
アリスは、確実に仲間を運命を変えるための剣を揃えていく。
そして、胸の内にそっとつぶやく。
「もう一度、あの人たちと出会えるなら……今度こそ、誰も死なせない」
その誓いが、静かに夜の帳へと消えていった。
アリスは屋敷の窓を閉じながら、胸に広がる不安をそっと押し込めた。
(そろそろ、奴らが動き出す頃……)
黒幕、ガロス将軍の動きは、予想よりも静かで速い。
ここ数日、水面下でいくつもの王家寄りの貴族が姿を消していた。
事故として処理される者。突然の病死。自ら命を絶ったとされる者。
だが、アリスは知っていた。
全部、やつらに処理された。
王家に忠誠を誓っていた者から、静かに、正確に消されている。
(でも、次は……もっと危ない)
次に狙われるのは、未来の希望、ミレイナ。
アリスの幼馴染であり、かつて王宮の薬師として数々の命を救った天才。
未来では、王家最後の血筋となったアリスを匿い、命を落とした人物。
(今度は、彼女を救える)
(そうしなきゃ⋯⋯私はまた、誰かを失う⋯⋯)
アリスは剣を手に、夜の城を出た。
誰にも告げず。
ただひとりで、夜の闇を駆ける。
その頃郊外の療養所。
ミレイナは小さな薬瓶を並べながら、静かに笑っていた。
「もう、戦争も終わったのに。どうしてみんな、こんなに傷ついてるのかしら」
答えは風だけが知っている。
ふと、扉の外に気配。
扉が開く前に、ミレイナは笑顔を崩さずに言った。
「誰?こんな時間に」
だが、入ってきたのは見知らぬ男。
黒い外套に、光を吸うような瞳。
「あなたが、ミレイナ嬢ですね」
「そうだけど……どちら様?」
男は無言で懐から何かを取り出す。
細く、鋭い針。
それは毒と静寂をもたらす、確実な殺意だった。
(……来た)
ミレイナは椅子を倒して飛び退いた。
すぐに棚から粉末薬をひとつ掴み、空中に投げつける。
閃光!
光と煙が室内に広がり、男の動きが一瞬止まった。
(でも、これはほんの数秒!)
その瞬間扉が蹴り破られた。
「ミレイナ! 伏せて!!」
叫んだのはアリスだった。
黒装束に身を包み、剣を抜いた姿。
目は冷たく、だが怒りと焦りに燃えていた。
「姫様!? ど、どうして⋯⋯」
「あとで話す!」
アリスはそのまま暗殺者と交錯する。
刃と刃が火花を散らし、廊下の壁が削れる。
(迷ってる暇はない。この男を逃がせば、また同じように誰かが⋯⋯)
「この手で……絶対止める!」
怒号と共に、アリスは男の刃を弾き、剣の柄で腹を突いた。
男はうめき声を上げて倒れる。
すぐに縄で手足を縛り上げ、薬で意識を封じた。
その場に静寂が戻ると、ミレイナが呆然とつぶやいた。
「……本当に、姫様なの?」
「そう。私は生きてる。そして……またこうして、あなたを守れた」
涙が滲む。
ミレイナが何も言えずに立ち尽くす中、アリスはそっと手を伸ばした。
「お願い。あなたの力が必要……もう、誰も死なせたくないの」
その言葉に、ミレイナの目から静かに涙がこぼれた。
「……やっぱり、変わったね。あなた」
「うん。たくさん、失ったから……でも、今度は違う」
ふたりの手が、静かに重なった。
その夜。
アリスはミレイナの部屋で眠る彼女の寝顔を見つめながら、ひとり考えていた。
(一人救えた。たったそれだけのことに、心が震える)
(でも……これが、始まり)
「何度だって救ってみせる……それが、生き返った理由だから⋯⋯」
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