第19話 “新たな生活へ #2/2”

 その間に、手帳を取り出し、メモを作る。できれば引っ越しを目撃されないことが、望ましいだろう。

 荷物の量が分からないが、お写真で拝見し、以前からうかがっているドール関連用品だけを考えても、今の私のマンションの部屋では果たして収まりきるか。以前いくつか空き部屋ができるのでどうかと、宣伝が回ってきていた。確か条件が…、箇条書きで思い出せる範囲で列記していく。

 しかし、賃貸というのはさすがに投資としてももったいなく感じる。当面は仕方がないにしても、以前冗談半分に考えた家を建てることも考えるべきか。


 戻ってきた怜奈さんと、メモに聞き取った事項を書き込んでいく。

 そうして、出来上がったメモを見返すと、


「かなり慌ただしくはありますが、4日後の8月12日~15日。その後妻と田形が旅行で不在という期間。ここで済ませてしまう他ありませんね。今は田畑以外の男たちは家には出入りしていないのですよね?」

「はい。ただ、この前の撮影会の事がこうしてばれたので、私への監視を付けられる可能性は…。そして、大掛かりに引っ越しをしているところを見つかれば、田畑が不在の間でも、何をされるか」

「荷造りはほぼできているとの事でしたが」

「ええ。家具は置いていきます。権利関係もあいまいなので、後でもめかねませんし」

「ドール用品やお洋服、他持ち出されたいもので4畳の部屋一つ分は優にあるのですよね」


 遠慮なさってなかなか教えていただけなかったが、少し強引に聞き出した、荷物量だ。


「いえ、もちろん今の家に置いて行きますので、半分くらいに減らします!」

「そこも考えないといけないですが、何よりやはり、同居はまずいと思うのですが…」

「私は大丈夫です! お値段が月15万円も変わってしまいます。私が半分出せばナオさんの賃料も今よりかえって下がります。ですからどうか、同室で!」

 お色直しをしてからの怜奈さんは、気持ちも吹っ切れたのか、元気を取り戻してくれているよう。空元気かもしれないが、少しは安心できる。

 大切なドールとの想い出の品々はまあ、監視があったとしても無理やり運び出すしかない。

 問題は、そう、結局一つ屋根の下が許されるのかという事。

 電話で急ぎ確認したところ、別のフロアであれば今私が借りている1LDKと同じような間取りの部屋が空いている。リビングダイニング約14畳、洋室約8畳だ。十分彼女の荷物が収まるだろう。ただし2部屋合計は月50万。

 もう一つ空きがあったのはファミリー向けだろう、3LDKの部屋。8畳の洋室2部屋、6畳の洋室1部屋、16畳のリビングダイニング1部屋。こちらであれば月35万。

 経済的負担を考えれば後者ではあるのだが、いくらなんでも20も歳の離れた女性が…。

 しかし、まだ学生の彼女、お父様の残したものがあると言っても、今の段階で負担をかけることもはばかられる。


「警察には何度も相談に行きました。でも、実際の被害があってからじゃないと、結局は動いてもらえなかったんです。家に入り込まれているって言っても、それは物件と土地の所有者でもある後妻と合意の上だから当然。警察が関与する事ではないって。私に対して何かがあったら、また相談に来いって…。それでは遅いから相談しているのに。だから、もう私には奈緒さんにすがるしかなくて」

「怜奈さん、信じてくださるお気持ちは素直に嬉しいですし、お辛い状況は察するに余りあります。ですが、一つ屋根の下は…」

「奈緒さん、うちの来いって、言ってくれました。私、それが本当にうれしくて……」

 上目遣いでそれは、ちょっとなんというか。

 ええい、分かった。腹をくくろう。私が節度をきちんと守ればよい話…では済まない気もするが、とにかくそういうことだ。


「わかりました。ただし、個室には鍵をかけること。それと、現時点で怜奈さんに家賃の負担はいただきません。これは絶対条件です」

「そんな、それじゃあ」

「決定事項です、いいですね?」

 これだけは譲らない。


「さて、3日間あるのであれば引っ越し業者さんに依頼でなんとかなりそうですね。監視の目は…業者を複数社契約して、いくつか芝居を打ちます。お金で解決できることはいくつか、私で手を打ってみますから」


 1日の特定の時間でとなれば、別途手段を考える必要があったが、なんとかなりそうだ。

「はい、それは私で手配します」

「では私はこの後すぐ、部屋の借り換えをしてきます。現状がすでに空き部屋で借り手がなく困っており、入居審査も今回簡単に済ませていただけるそうなので、11日までには間に合わせてもらえるそうです」


 この条件もかなり大きな決め手だった。他のマンションを探すところから始めていては到底4日後など間に合わない。さらに長年住んでいた実績も加味していただけ、借り換えの差損も最低限で済ませていただけそうだ。

 さらに、後でより詳しい説明をするよう求められたが、しばらくは今の部屋も契約を残し、万が一調べられるようなことがあれば、そちらに住んでいる。という偽のアリバイ工作にも協力いただけるめどが立った。もちろんその期間は、両部屋の賃料を支払う前提だが、安全には変えられまい。

 どこまで、裏に控える組織なりを動かせるのか…という点が、警戒を要するが…いざとなれば…。


「あとは……」

「大丈夫そう、ですね。不謹慎ですけど。私、今すごく楽しみなんです。今までの地獄みたいな生活から抜け出して、奈緒さんと」

「信頼を裏切らないようにしなければなりませんね」

“別に、私は構わないのに、ううんでもこれでチャンスが…“

 怜奈さん、時々こうして聞き取れないくらいの、小声で呟かれることがありますね。


「どうされました?」

「いえ! そしたら、戻って用意ですね!」

「はい、私の姿を見られるのもよくないでしょうから、お任せすることにはなってしまいますが、どうしても困ることがあれば遠慮なくおっしゃってくださいね。参りますので」


 そのあと計画は順調に進み、家が空になった2日目、12日に無事引っ越しを終えられた。

 引っ越し業者は3社と契約し、2社は一時的に借りた別の空き部屋のある、神奈川と千葉のマンションへ。

 偽装工作にさすがに断れれかけたが、事情を説明し、何とか受けてもらえた…。

 実際の家に来る業者も、あらかじめ用意した都内の別のマンションに一度、引っ越しをするように空箱を持ち込んでもらい。次に別のマンションへさらに移動、さも2軒目の別の独身者の引っ越しというように、あらかじめ私が用意しておいた空箱を持ち出し、やっと新しく契約した部屋へ、初めから積んだままにしてあった怜奈さんの荷物を運びこんでもらった。

 不動産屋との契約情報などを調べられれば、ばれるリスクはあるが…機密保持が守られると信じるほかないだろう。

 解約と置きっぱなしの空箱の処理も、探偵を雇い、監視がないことを確認してもらったうえで実施してきた。


 非常に痛い出費がかさんだが、必要経費だったと自分に言い聞かせる。


「ではこの2部屋をお使いください」

「ごめんなさい、私の荷物が多すぎて」

「いえいえ、大切なドールの子たちですし、当然ですよ。幸い私は荷物も少ないので、安心なさってください」

 隣り合った8畳と6畳の洋室を彼女に。6畳の部屋を物置代わりにし、ドールの子たちと彼女の私室が8畳の部屋に決まった。私ももう一つの8畳の部屋に入居し、私物、PC、そしてなにより紗雪にはすでにここに暮らしてもらっている。

 リビングは共用スペースになるので手を付けていない。


「あとは家具ですね、取り急ぎ敷布団だけ用意してありますが、ベッドや机椅子は至急必要でしょう」

 さすがに急な話に、限られた引っ越し可能期間を優先したため、彼女の部屋はまだ何一つ家具が置かれていない。

 メッセージで、“私と同じベッドに寝る”と、しきりに送ってくださった怜奈さんだが、それを受け入れるわけにはいかない。ベッドは直接見て決めていただく必要があろうと、敷布団一式だけ調達したのであった。


「今から見に行きましょうか」

「はい!」

 近くですし、以前も使っている銀座の大きな家具屋さんへ。一通り選択肢は十分だろう。


 …

 …


「ナオさん、このダブルベッドにしましょう。ちょっと身を寄せ合うような感じになって、ちょうど良く2人で眠れます!」

「怜奈さん…お部屋は別々、ですよ。ただ、シングルですと狭いでしょうから、セミダブルくらいがいいかもしれませんね」

 どうにも負い目を感じているのだろうか。しきりにこうして誘惑なさるのだ。

 これには困ってしまった。

 それに私は若かりし頃に学んでいる。そうした男女の関係は私には無理であると。なので、そう。清く正しく、彼女の保護者としてふるまうのだ。


「それに今の私にはもう、紗雪がいますからね」

「うぐ、やっぱり紗雪ちゃんがライバルになる…ぐぬぬ」


「新婚さんでいらっしゃいますか? よろしければご案内いたします」

 そんなやり取りをしながら、見て回っていると、購入する意図も見え見えだったのだろう、お店の方が案内に来られる。

「はい♪ 2人の新居に……」

「いえ、彼女は養子……」

 見事に言葉が重なってしまった。対外的には養子に迎え入れたということにしましょうと、申し合わせていたのだが。


「あはは、仲がおよろしいのですね。最近は歳の差婚のお客様もお見えになられます。プライバシーを重要視される方も多く、セミダブル2台というのは良い選択肢かと。ベッドマットですとやはりお勧めは…」

 深入りはせず、無難に紹介を進めてくださる。しかし私の言葉はごまかしで、夫婦である。と、完全に思われているようだ。

 私の部屋の家具はすでにあるので、彼女用一式を購入に来ていることはお伝えし、フロア別に分けられた家具類を順に見せてもらう。


「リビングに撮影用の机とか置きませんか?」

「いいですね、一般的なダイニングテーブルとかで良いでしょうか」

「そこはオフィス家具とかでもいいかもです。高さの規格も統一されていて安いですから、2つくらいつなげて」

「なるほど、ではそれは別途ネット通販ですね。こちらでは食卓テーブルと椅子一式にしましょう」


 そうなのだ、以前の私の部屋では、リビングにあるものといえばソファ1脚、ローテーブル1つ、長いファーのラグ1枚、これっきりだった。さすがにこれでは怜奈さんの生活空間として不適切だ。


 結局、4人掛けのダイニングテーブルに椅子2脚をオープンキッチンの前に。並びの窓際にソファを買い足し、くつろげる空間を作る。残りのリビング空間はドール撮影用の共用スペースに。

 そして彼女の私室用に、クローゼットは据え付けが複数あるので、本棚、チェスト、ドレッサー、ベッド、ベッドサイドテーブル。全てロココ調のプリンセススタイルに。PC机と椅子だけは使いやすさ優先で現代調になった。もっと普通の家具で良いと遠慮されていたが、強い関心をもって見ていたので、これも少しだけ強引に、決めてしまった。


「この大きな飾り棚とかにしなくて大丈夫ですか? これであれば中に生活空間を作ることもできるような」

 両手いっぱいに広げたよりも大きな、下半分が収納になっている飾り棚を指さす。

「全部の子たちを常に出しているわけではないので、大丈夫ですよ。5人くらい、いられれば十分です。簡単なティーセットとか、ついたてを置いて雰囲気を出したり、箱の広さでも十分にできます。それに、さすがにお部屋がいっぱいになってしまうので…」

「確かに……それもそうですね」

 後は何と言ってもドールの子たちがいる場所ということで、飾り棚を見ている。結局選んだのは、ロココ調のきらびやかな装飾が施されてはいるものの、幅60cmほどの縦長なもの。


「それにしても、ナオさん、新婚さんのお買い物♪ っていう感じで楽しかったですね! 枕も〜、今日からお揃いですよ」

「あはは、そう、ですね。この後なのですが、せっかくですし少し良いところを予約しまして。お引っ越し祝いということでいかがでしょう」

「いいんですか?」

「はい、もちろん。地下に降りたところにある、フカヒレ料理のお店です」

「なんだかすごく高級そうな」

「新しい門出のお祝いですから」


 紗雪をお迎えして、実に10年以上ぶりに、“ただいま”、“行ってきます”を言う生活が訪れ、それからわずか2か月で、人と共に暮らす生活が訪れるなど、この39年、1度たりとも想像することすらなかった。

 生涯独りきりで過ごす、そう決めつけていた自分が幻のようだ。

 ただの傍観者から、保護者へ。以前のおのれに嵌めていた、雁字搦めの枷は外し、されど、自分を逸脱せぬよう、心に新しい枷をはめ直す。隣を揺れる長く艶やかな黒髪をそっと見つめながら。

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