第12話 呪いの子②



「なんだよ」

「い、いや。ネロはもうしばらくここにいるんだ。いるんだから、服は、仕立てて良いだろう? 一度寸法さえ測ればいくつでも作れるから、面倒なのは一回だけだ。それ以上の手間はかけさせないから」


 いつもはハキハキと喋るライオネルの様子が、ちょっと変だ。気が急いているのか妙に早口だし、オレに口を挟む隙を与えない。いつもはこっちの発言を待つ余裕くらいあるのにな。


「何着作る気だよ」

「あっ、そういう意味ではなく!」


 思わず突っ込んだら、また慌てたようにオレの肩を掴んで言い訳をしてくる。

 本当に落ち着きがないな。どうしたんだ、何にそんな浮かれてるんだ? 散歩前の犬みたいなんだが。

 オレはというと、ライオネルにベッドに押し倒されて完全に乗っかられてる状態だ。こいつ、自分の姿勢がどうなってるか分かっていないらしいな。

 メイドが運悪く目撃したら真っ青になりそうな光景だ。

 オレはライオネルがアタフタしている隙に、軸にしている手を払いくるりと身体の位置を入れ替えた。元暗殺者の体術を舐めるなよ。

 相手をベッドにうつ伏せにさせ、ニヤリと唇の端を上げて見下ろしてやる。

 今度はオレがその背に乗っかって、悠々と頬杖をついてやった。柔らかそうな銀髪がベッドにふわりと広がる様子は、どこか艶っぽい。

 オレなんかにしてやられて恥ずかしいのか、ライオネルの耳は薄赤く染まっていた。


「寝技でオレに勝とうと思うなよ?」

「ネ、ネロ……」

「書斎借りるからな。夕飯まで誰も入ってくるな」


 ベッドから降りてそのまま廊下に向かうと、後ろで『わかった』と律儀に返事をするのが聞こえた。少し残念そうに聞こえたのは気のせいだろうか。

 いや、本物の犬じゃないんだから散歩はしないだろ?


 この屋敷の中で、ライオネルが主に使っているのは執務室だ。書斎は、書庫のような扱いを受けている。蔵書がしまわれているだけでほとんど人の出入りがないらしい。

 そこで先日、初級の魔術書をはじめ歴史書、教科書類などが積まれているのを発見した。おそらく昔ライオネルが学習に使ったものだろう。

 ここにある本は自由に読んでいいと言われているから、これからちょっとお勉強の時間だ。


 あの皇室の庭園で、皇帝や騎士団長たちと話していてオレが痛感したのは、己の知識不足だった。

 何しろオレの教育は田舎の村に住む子ども、しかも五歳程度で止まっている。一般常識なんか教えてくれる奴は誰一人いなかった。

 ゼファーは最低限の文字の読み書きと計算、魔法の基礎しか教えてくれなかったしな。仕事に必要だったからだろうし、その他には報復方法を仕込まれたくらいだ。

 あとは実地で学んできたものばかり。教養としての知識が必要なら今からでも手に入れるしかない。これから国を出ることになっても絶対役に立つものだ。しかも自分の金は一銭もかけず学んでいけるなら、できるだけ吸収していこうと思った。幸い辞書もあったので分からない単語は調べながら読める。


「さて、今日は歴史書からいくか……」


 分厚い本を開き昨日リボンを挟んでおいたページまで進む。

 栞代わりの銀色のリボンを横に置き、そこから視線で文字を追いはじめた。辞書を片手に、オレは時間も忘れて読書に没頭した。





「ネロ様、……ネロ様。そろそろ休憩されてはいかがですか」

「っ! ああ、バージルか」


 誰も入ってくるな、とは言ってもあれはライオネル避けみたいなもので、この執事をはじめメイドたちはたまに入ってくる。

 今もバージルは香り高い紅茶をカップに注ぎ、側のテーブルに置いた。集中し過ぎたのか熱を持った目頭を揉みつつ、オレは本にリボンを挟んで席を立った。

 ソファに座り、温かい茶を飲んでほっと息をつく。


「あまり根を詰めますとお身体に障ります」

「本を読んでるだけだろ」

「楽しいのはわかりますがほどほどに」

「……楽しい?」

「違いましたか。子供の頃の坊ちゃんよりずっと熱心に机に向かっていらっしゃるので」


 バージルは執事としてはだいぶ若く見えるが、思ったより昔からライオネルに仕えているようだ。もしかしたら四十近いのか? 東の異邦人は若く見えるというしな。


「たまたま今日読んでた歴史の本が分厚くて、時間がかかっただけだ。……バージルは東方の異邦人が旅した道を地図で辿るとか、面白く思わないか?」


 歴史書を開き、大きく載った古代地図のページを開く。彼の出身についてカマをかけてみようと思ったら、バージルは切れ長の目を細めてオレに微笑み返してきた。


「残念ながら私は先祖返りで、父も母も東方人の顔ではありません。少しばかり血が混じっているだけです。しかしこの途方もない距離を進んできた者たちがいると思うと、なんとも複雑な気持ちになりますね。……物好きな、というか」


 オレはつい吹きだして笑った。これを物好きで片付けるとは、バージルの感覚は面白い。


 今現在、レイニール皇帝が治めているシュトヴァン帝国は楕円形の大陸の左側三分の一ほどを占めている。

 海に面した港町からは運搬船がひっきりなしに出て、縦に長い帝国の領土の物流を担っている。調べれば調べるほど、シュトヴァンはとても豊かな国だと分かった。

 南側ではたくさん採れた果物や穀物などを国中に運び、北からは鉱山から出た貴金属やその加工品、武器防具などを運んでいる。

 そして王都はその真ん中の海側に位置していた。


 対して大陸の右側には、少数民族が寄り集まって作った共和国がある。こちらもかなりの領土を占めているが、やはり縦に長く大陸の三分の一程度だ。

 帝国ではその共和国の領土を『東方』とひとくくりに呼んでいる。シュトヴァン帝国と東方の共和国の間には、夏でも雪が積もっている高い山脈が連なっていた。

 平坦な場所は草も生えない不毛の地が広がり、部分的に海に面した場所には砂漠が広がっている。ここで生きられるのは環境に適応した魔獣のみだと言われていた。


 しかし三百年ほど前、この不毛な地や砂漠を越えて帝国にやってきた東方の一族がいた。

 彼らは薬草を用い傷を治したり病を完治させたり、魔法に匹敵するようなことをたくさんやってのけた。その『薬学』はとても複雑で、簡単に理解できるものではなく、東方人とその血を引く一族にのみ継承されていった。

 しかしある時その一族から破天荒な人物が一人現われ、帝国の魔法と東方の薬学を混ぜて新しい術を作りだした。

 それが『錬金術』だ。帝国民からもたくさんの弟子を取り新興の学門一派となった。

 魔術師とは違う法則で動いている錬金術は、たくさんの種類の薬草を必要としさらに効果を高めるため術師の魔力も必要とした。


 彼ら『錬金術師』は、前提として魔法が使え、薬学にも精通していなければならない稀少な存在だ。


 こうして『錬金術師』は、みな厳しい試験を受けてその資格を得ると宮廷に召し上げられるようになった。逆に言えば錬金術師試験に受かれば一生仕事に困ることはないし給料の良い宮廷で働けるというわけだ。

 六歳になると国民なら必ず受けるという魔力属性判定では、魔力量も調べられる。これの如何によって子供たちは魔術師を目指すか、剣士か、錬金術師かを決めるのだという。

 実はいま飽和状態の魔術師より、錬金術師の方が人気が高いようだ。

 これはメイドや召使いたちのお喋りから得た情報だった。いまこの屋敷内の内緒話は、闇魔法を使ってほとんどオレの耳に入ってくるようにしてある。

 オレを捕まえようとする不穏な動きがあったら気づけるようにだ。


「なあ子どもの頃に属性判定って受けたのか。どうだった?」

「平凡な魔力量で水属性でしたので、武術の方へ進みました」

「そうか。オレは事情があって受けてないんだが、アレって大人でも受けられるのかな」

「神殿に行けばいつでも受けられますよ。貴族は屋敷に神官を呼び出すこともできますし――坊ちゃんは聖騎士ですので、似たようなことができます」


 なるほど、ライオネルがオレの魔力属性に気づいたのはそのせいか。


 しかし貴族なら隠れて結果を知ることができるってことだな。

 さらに神官に金でも握らせて判定内容を隠したり改変したりも可能だろう。神職といえど誰もが清廉潔白とかあり得ないし、私利私欲に走る輩の一人や二人必ずいるはずだ。

 神殿はそもそもどういう組織なんだ。学もなければ金もないオレには縁のない場所だったので見当も付かない。属性判断に行ったついでに見学してくるか。


「バージル、神殿の場所を教えてくれ」

「……そう仰るとは思いました」


 ため息をつきながら、バージルは簡単に書いた地図を手渡してくれた。半眼になった彼の視線が痛いなと思いながら逃げるように書斎を出る。


「ネロ様! 今から向かわれるのでしたら馬車と護衛を手配しますので!」

「歩いていくからほっといてくれ」


 地図を見てもそう遠い場所には思えなかった。玄関から行くとまたライオネルに見つかってうるさく言われそうだったから、窓から外に降りた。

 塀を乗り越え走り出すと同時に、久しぶりに闇魔法を展開して姿をくらませる。得意の『時戻し』という闇魔法を重ね掛けして、時間を短縮しながら全力で神殿へ向かった。


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