人形

0001:メッセージ①

『声紋確認。五三零七室、ドアをアンロックします』


 〝5307〟とプレートに書かれている部屋。弾かれた扉を潜って、疲れきった顔で玄関にバックパックを下ろした少女。


「テストダメだぁ……。サイバー戦争とか、過ぎたことを覚える意味、あるの?」


 どうやらテストが上手く行かなかったようで、朝の彼女とはまた別の、情けない一面をさらけ出す。端正な顔立ちが台無しだ。

 彼女は泣き声で文句を垂らしながら、かばんを下ろしリビングのソファに身体を投げる。


「テレビつけてー」


 彼女がそう言うとパッとスクリーンが光り映像が出る。テロップが流されて後ろにアナウンサーの声が聞こえる。


『……が発見されました。AICDSエイクツのバグによる被害はまだ広がり続けます』


 アナウンサーが喋っていると、画面の中にモザイクをかけられて怪我をしている人間と、画面の隅に容疑者の写真が映し出されている。


 実体化できる‶電脳ウイルス〟はただ破壊だけのために生まれた。ウイルス犯罪防止のために、政府が造ったネットワーク監視と分析システム、‶防衛ディフェンスシステム〟。


『旧防衛ディフェンスシステムからAICDSエイクツになってから、既に八年が経ちました……』


 人々を守るはずの防衛システムは、八年前に何者かによって乗っ取られた。政府はシャットダウンを試みるも、相手に先回りされて政府からの干渉を断ち切った。


 ――新生防衛システム、その名はArtificial Intelligence Controlling and Defending System――頭文字を取って、今はAICDS――と愛称を付けられた。


「よくわからない組織に乗っ取られても、みんな意外と受け入れられたねえ」と少女はどこか他人事のような口ぶりでコメントした。


 とは言ったものの、少女も薄っすらと覚えている。八年前の混乱を。両親に絶対に家から出るなと、何度も言われていたことを。


 街のデモの喧騒は五十三階まで届いていた。怒号と不安が微かに少女の心の奥に残った。


 しかし、全国の混乱が暴動に発展せずに抑えられたのは、またAICDSだった。


 ウイルスの対抗手段として、新技術の導入――によって更に犯罪率を減らしていった。

 その抗体達は、馴染みやすいかつ身体能力のある動物のデザインが殆どだ。ただプログラミングされたままに動く彼らは、〝人形〟と、呼ばれるようになった。


 ――だが、五年前にAICDSにある〝バグ〟が発生した。

 どこにエラーが起きたのか、本来性格がないはずの人形達に人格が組み込まれた。


 人間に近付く人形が増えることは、犯罪率が上がることだ。


 五年前を思い出すと、嫌な記憶が少女を不機嫌にする。両親はちょうど五年前に亡くなり、中学時代が地獄になったのはそれが引き金だった。


 いつも思っていた。愛してくれるはずの両親は何故いなくなったと。

 自分が弱かったから、大切な家族を守れなかったからか? 地獄はそんな自分への罰だったのか?


 思い出したくないことを間接的に思い出してしまう。少女は溜め息を吐いた。

 ニュースはそんなことを知らずに、彼女を記憶を抉るように流し続ける。


『AICDSの抗体人形による犯罪は、今もなお続いており、住民の皆様にも注意を払うように……』

「はあ……。テレビを消して」


 プツンとスクリーンは再び黒くなる。少女は立ち上がって気力なく足を引きずって、リビングに続いた部屋へ着く。とりあえず着替えして、アイスでも食べて気分転換しようと、少女は思った。


 そんな彼女の前に不思議な光景が広がる。


 部屋は電気を付けてないのに異常に明るく、緑色の光に満ちている。そしてその中心は宙に浮いていた電子の画面。


 〝Rose Thurston. Admitted User〟


「え……え?」


 〝Accept?〟


 浮かんだ文字の下にYESとNOのボタンが現れる。この光とメッセージはニュースで何度も見たことがある。AICDSからのもので、ウイルス攻撃を受ける人間だけに届く警告メッセージ。


 ――旧防衛システムから引き継いだ犯罪分析で算出したに、AICDSが抗体人形を警告メッセージと共に対象に送る。

 受け入れるかどうかは、対象に委ねる。


 選択肢を前に、ローセは固まった。


 どうしても現実味が湧かない。だが目の前にあるそれは幻覚ではない。身のために受け入れる方がいいのだろう。


 YESを押す寸前に、ローセの指が止まった。一つの問題がまだ残っている。


 バグによって人格に問題がある人形が送られて、犯罪者だと認識されたらどうなるか。AICDSの粛清対象になり手配される可能性もあるのだ。


「ど、どうする……?」


 彼女を待つようにメッセージはただ緑色に光るだけ。

 頭を傾げて考え込む。


「うっ……、ううん、確実に、ウイルスに殺される方が怖いから……。私は何もできない……弱い人間だから……」


 生涯をかけるような時間で悩むと、息を止めてYESのボタンを震えた指で押す。その、瞬間。また何かを思い出したようで。


「でも、やっぱりバグ持ちが来たらどうしよう……。はっ!」


 画面が光ると、電子音声が流れる。


『指紋確認、承認された特定ユーザー、ローセ・サーストンを認証、認知。該当ユーザーからの承認、認知。抗体プロテクトモードを作成、No.007139に更新。


 ――抗体個体システム構築開始。使用者及び抗体基本データ輸入開始。抗体プログラム作成開始。戦闘学習システム輸入開始。アクセス可能な世界電脳システム輸入開始。防衛学習システム輸入開始。攻撃連動システム輸入開始。自動学習システム輸入開始。全データダウンロード終了まで三十秒。抗体個体システム構築完了。……二十秒。


 ――十秒。五、四、三、二、一。実体化構築開始。デフォルトコスチューム実装。三、二、一、抗体No.007139実体化完了』


 音声と共に緑色のネオンの光が粒子のようで一箇所に集まり始める。光の粒子の塊が徐々に人間の形になり、胴体、四肢、頭部。そして顔の輪郭を生成されていく。


 長身であるがまだ垢が抜けない風貌の少年。一目で分かる特徴は、透明感のある白髪だ。彼がゆっくりと目を開けると同時に、周りに浮かぶネオンの粒子が散っていく。

 こうして、光の中で少年の姿をした人形が誕生した――。

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