第29話 アニスへの嫉妬と讒言

 モーゼンの領主・アンナの協力により、資材や労働力を確保できたアニスは、チェンバネに駐在させていたリマルとオットーに指示を出し、商人や労働者たちのための町の建設を急がせた。


 工事は突貫で進み、秋には坑道の近くに、それっぽい街並みが出現していた。


 坑夫が集まり、岩塩の採掘が始まると、安価で良質な塩は、オットーの巧妙な差配もあり、たちまちクルキア領内に流通し始めた。


 白い塊はアニスに豊かな利益をもたらし、その懐は、一気に膨れ上がった。


 もっとも、アニスはその利益を自分のためだけに使わなかった。


 余剰な利益は国庫に入れ、普段の生活はできるだけ質素倹約を心がけて、王妃として臣下に範を示した。


 また商工業を盛んにするため、本来なら税金を取り立てて行うべき国内の街道整備を、「王の道の建設」と称して行ったり、各地の教会に寄進をし、貧民を救済する施設を作らせたりもした。


 王の領内では税率を下げ、不作にあえぐ貧しい農家が村を離れないよう、低利で種もみを貸し出したりもする。


 すべては国と国民、そしてカリアスのためだったが、アニスにしてみたら、これまで自分をないがしろにし、誹謗中傷を繰り返してきた連中に対する嫌がらせでもあった。


(自分たちのために、民を虐げ、ないがしろにする貴族どもめ。これが本来の、王の政治というものだ!)


 結果的に、カリアスとアニスは、日を追うごとに、民から慕われ、敬愛される存在になっていった。


 大貴族やカリアスの異母姉妹たちは、思いがけない巨大利権の出現をうらやみ、ねたんだり、腹を立てたりしたが、後の祭りだった。


 王家に、人が生きるために必須な塩を握られたのは、大貴族を筆頭に、既得権益層にとっては痛恨事であった。


 また王夫妻の評判は極めてよく、財力や軍事力も今や国内でずばぬけた存在になりつつある。


 大貴族の領内の農民の中には、重税を課す領主を見限り、国王直轄地の町や村、チェンバネの塩坑に移住する者まで出始める始末だった。


 このため、旧来の既得権益者らは、大いに憤慨した。


「ウィストリアの女狐め。クルキアの富を奪いおって!」


「最初から我らを騙すつもりだったのだ。やつはあそこに岩塩が眠っているのを知っていたに違いない。さもなければ、このようにうまくいくものか」


「モーゼン公爵夫人も、魔法でたぶらかしたと言われておるぞ」


「王妃はウィストリアの魔女よ。火あぶりにした方が、クルキアや王のためだわ」


「側に控えていた美男子は愛人らしいわ。王の目を盗んでは、男をとっかえひっかえしている、最悪の淫婦よ」


「ウィストリアの姦婦、滅ぼすべし!」


 欲にかられた者たちの嫉妬はすさまじい。


 チェンバネの成功と引き換えに、王宮内におけるアニスの立場は逆に苦しくなる一方だった。


 カリアスは「気にするな」と慰めてくれたが、外征がなくなり、作物の収穫減による財政難に苦しむ貴族たちの反発や嫌悪は、あからさまだった。


 政治や経済、軍事力のバランスが崩れると、人はどうしても過去の体制を引きずり、すがりたくなるものである。


 中にはカリアスやアニスに媚び、立身出世を狙ったり、富のおこぼれにあずかろうとする者たちもいないではなかった。


 しかし、彼らは、先の見通しが立たない中で危険を冒すのを恐れ、結局、これまで権力を握り続けていた大貴族たちの顔色をうかがい、王宮や政治の大きな流れにはならなかった。


(思った以上にゲスが多いな)


 女性だけでなく、男の有力者たちからも、ひどい讒言を浴びせられると、さすがにアニスも精神的に参った。


 今までさんざん見くびられていた王室への軽視と、余所者に向けられる厳しい視線は、アニスの想像をはるかに越えていた。


(これは、いささかまずいな。王や私の身辺を固める必要がある。不慮の事態に備えるために、それなりの精鋭も確保していたい)


 アニスは、知恵者のアルフレッドをあやしい実験室から引き戻し、きちんとした身なりをさせ、精鋭を部下につけて、王宮内の警固を命じた。


 また胸に飾った花の件で褒美を取らせた剣士ルフルトを近衛軍から引き抜き、チェンバネの治安維持という名目で、彼を隊長として町に一軍を駐留させた。


 いざという時のための、自前の軍事力を増やすためだった。


(春になったら、リマルに命じて、チェンバネに砦も築かせるか)


 自分の領内ならいかようにも人や物を動かせる。


 アニスは矢継ぎ早に策を立て、指示を飛ばした。




 その間にも王宮内の空気は、次第に険悪になっていった。


(直接の衝突は避けたいが、このままだと私も夫も、不穏な輩に暗殺されかねない)


 この頃になるとアニスは常に体調が悪く、毎日、吐き気すらもよおしていた。


 ところがそんな雰囲気を、一つの慶事が一気に吹き飛ばした。


 冬を迎えた十二月、アニスの妊娠が判明したのだった。

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