テレビでやるだけでも大変だったのに今度は時代劇映画を作れと言われた俺はどうすればいいんだろうか?

ふゆはる

第1話/おい桐谷、今度は映画だってよ

 その日の午後俺は局長に呼び止められた

「桐谷君、ちょっといいか」


 昼下がり、冷房の効いた会議室に呼ばれ、俺は上司の目を見上げた。

 デスクの向こう側で書類を持つ男の顔には、薄く笑みが浮かんでいる。

「なんでしょう、またテレビシリーズの予算削減ですか」

 俺はつい、半分冗談で口を滑らせた。


「いや……そうじゃない」

 上司は書類を置き、手を組む。

「次は……映画だ。時代劇映画を、君に任せる」


「喜べ桐谷、『闇の狩人』映画化決定だ」


 一瞬、耳の奥がざわついた。

 映画……?

 テレビの延長じゃない。一本の作品だ。予算も尺も全て桁が違う。しかも、テレビ局のプロデューサーである俺が映画?

 頭の中で、刀が舞い、町娘が駆け回り、悪代官が悪だくみをする光景が浮かぶ。

 しかし、それはまだ白紙のまま、俺の手元には何もない。


「え……あの……俺ですか?」

 言葉が思わず震える。

 上司は頷き、机を指で軽く叩いた。

「君の経験は十分だ。テレビ時代劇で培った演出力と、現場の手腕……映画に活かせるはずだ」


「でも……テレビと映画は全然違います。尺も、演出も、スタッフも、俳優も……」

 俺の声が小さくなる。

「わかっている。それでも、やるしかないんだ」


 会議室の空気が重く沈む。

 上司は続ける。

「スポンサーも、海外市場も、コンプライアンスも気にしながら……だが、君ならできる。期待している」


 俺は机に手をつき、深く息を吸った。

 テレビ時代劇で成功してきた俺も、映画となれば、未知の海に船を漕ぎ出すようなものだ。

 だが、逃げるわけにはいかない。腹を決めるしかない。


「わかりました……やります」

 俺は拳を握りしめた。


 上司は満足げに頷き、資料を手渡す。

 その紙切れには、ただタイトルと大まかなテーマだけが書かれていた。

「さあ、桐谷君。ここからが本当の地獄だ」


 俺は紙を握りしめ、目の前の白紙の未来を見つめる。

 テレビの延長ではない、映画という未知の戦場。

 だが、この戦いを避けることはできない。


 俺の胃がきりきりと痛む。

 だが、心の奥底には小さな炎が灯った――


 上司の言葉が頭の中でぐるぐると回る——

「次は映画だ。時代劇映画を、君に任せる」


 聞いた瞬間、俺の胃は冷たく締めつけられた。

 テレビの延長線ならまだしも、映画は一発勝負。尺も予算も、観客の期待も、桁違いだ。

 しかも、コンプライアンス部の赤ペンが背後から刺さるのは目に見えている。


 だが、局内はそれどころではないらしい。

 廊下を歩けば、若手プロデューサーが飛び跳ねながら「映画だ! ついに映画だ!」と叫び、コピーライターは机の上にポスター案を広げて「桐谷さん、このヒーローショット最高です!」と笑顔を見せる。

 宣伝部の女子たちは手に色鉛筆を持ち、刀の光や町娘の衣装の彩色案を真剣な顔で描き込んでいる。


「主演候補、誰がいいと思います?」

 隣でノートを叩きながら若手が食い気味に問いかける。

 俺は小さく息を吐き、天井を見上げる。

「……みんな楽しそうだな……」


 頭の中では、刀を振るう武士、町娘の悲鳴、悪代官の悪だくみ……。

 だがその光景は、現実の俺の胃を痛めつける。

「俺は、この船を無事にスクリーンまで漕ぎ出せるのか……」

 ひとりで思わず呟く。


 廊下の端では、広報部が社内ニュースに「映画化決定!」と社内メールを送り、昼休みには記者たちが企画の噂を拾いにやってくる。

「桐谷さん、主演は誰にするんですか?」「脚本のテーマは?」「あの刀の決闘シーンは実写?CG?」

 質問の嵐が容赦なく押し寄せる。


 山田剛の人気も話題に上がった。

「寡黙で質実剛健、画面映えするけど映画でどこまで通用するか……」

「いや、テレビシリーズであれだけ支持されたんだから大丈夫でしょう」

 若手スタッフの声が飛び交う。

 俺は顔を引きつらせながら、机の上の白紙を見つめる。

 その白紙には、映画の未来が何も書かれていない。


「テレビのノウハウだけじゃ足りない……映画は全く別物だ……」

 頭の中で刀の舞い、町娘の転倒、悪代官の悪だくみの光景が渦巻く。

 その全てを一作にまとめる重圧を考えるだけで、背筋が冷たくなる。


 廊下の騒ぎは止まらない。

 若手たちは机を叩き、企画書のアイデアを飛ばし、ポスター案を描き込み、資料室の棚から時代考証の本を引っ張り出してくる。

「桐谷さん、ここはもっとアクション入れたほうが!」

「いや、町娘役のローラの天然っぷりを活かしてギャグも入れた方がいい!」

 声が入り乱れ、俺の頭の中でカオスが広がる。


 俺はペンを握り直した。

 胸中は不安でいっぱいだが、この熱気を無駄にするわけにはいかない。

「やるしかない……」

 机の上の白紙に目を落とす。

 そこには、未来の映画がまだ何も描かれていない。

 だが、その白紙こそが、俺が未知の戦場に漕ぎ出すための唯一の羅針盤だった。


 外では歓声と笑い声が廊下に響き、興奮が社内を駆け巡る。

 その熱狂の中で、俺だけが孤独な船長のように、未知の海に一人立たされていた。


「やるしかない……時代劇を、映画で蘇らせるんだ」


 俺の拳が机の上で固く握られる。

 未来の映画の輪郭はまだ霞んでいる。だが、確かに、微かに、見え始めていた。

 机の上の白紙にペンを置き、俺は深呼吸する。

「まずは、みんなに知らせなきゃ……」


 局内のメールアドレスを頭に浮かべ、手を動かす。

 件名は――

【緊急連絡】『闇の狩人』映画化決定


 本文には、シンプルに、しかし熱意を込めて書き込む。

「皆様、ご承知の通り、テレビシリーズで人気を博した『闇の狩人』の映画化が決定しました。企画段階ではありますが、正式にプロジェクトを進行させる予定です。詳細は順次お知らせします」


 送信ボタンを押す指が少し震える。

 これで局内は騒ぎ出すだろう。期待も不安も、俺が背負う荷物も、すべて一斉に動き出す。


 ほどなくして、机のチャイムが鳴り、メールの返信が飛び込んでくる。


「やった! 映画化おめでとうございます!」

「桐谷さん、これは歴史的快挙ですよ!」

「キャストどうするんですか? 主演は山田剛で決定ですか?」


 あちこちで返信の通知が跳ね、電話が鳴り始める。

 制作部、宣伝部、広報部……誰もが一斉に興奮している。


 だが俺は、内心で胃を押さえる。

「いや……まだ企画段階だ。現実はこれからだ……」

 返信を読めば読むほど、期待と熱狂の波に飲まれ、俺だけが冷静に未来の重圧を感じていた。


 コピーライターの古田が声をかけてきた。

「桐谷さん、これは絶対ヒットしますよ! ポスター案も作ります!」

 若手プロデューサーの小川も、手帳を叩きながら喋る。

「キャスト候補、脚本アイデア、全部まとめましょう!」


 俺は苦笑いし、頭をかく。

「皆、勢いがありすぎる……でも、これを止められないのが俺の仕事だ」


 机の上の白紙を見つめ、俺は小さく呟く。

「やるしかない……『闇の狩人』を映画で蘇らせる。今度こそ、失敗は許されない」


 外では、局内の歓声がさらに大きくなり、興奮の波がフロアを覆う。

 その熱気に押されつつも、俺は静かに、次にやるべきことを思案していた――


 キャスティングと脚本の方向性。

 そして何より、コンプライアンス部との戦いが待ち構えていることを思い出し、俺の胃が再びきりきりと痛むのだった。

 机の上のスマホを手に取り、俺は深く息を吸った。

「大御所に電話するだけで、なんでこんなに胃が痛むんだ……」

 指先が少し震える。テレビシリーズならともかく、映画だ。しかも相手は大御所、岸本春男。業界では“最後の時代劇の守護者”とまで呼ばれる男だ。


 番号を呼び出す。

 ――カチッ、カチッ、カチッ、ツー……


 呼び出し音が耳に響く。心臓の鼓動も早くなる。

「もしもし……岸本さんですか。桐谷です……」


 電話の向こうで、一拍置いてから、渋く落ち着いた声が返る。

「桐谷か……久しぶりだな。お前、そんなに早口で喋るとは珍しい」


 岸本春男。年季の入った声は低く、重く、しかも哀愁を帯びている。

 電話越しでも、彼の眼前に座れば、きっと何十年も刀を握り、机にペンを走らせてきた男の威圧感が漂うのがわかる。


「えっと……実は……『闇の狩人』、映画化が決まりまして……」

 俺の声は自然と小さくなる。

「映画……だと?」

 岸本の声に、驚きと慎重な興味が混じる。

「……テレビ時代劇でやってきた俺が……映画か……」

 静かな間が、電話越しに何重にも重なる。俺はその沈黙に耐えきれず、肩の力を抜いた。


「はい、企画段階ではありますが、正式に進行させる予定です。岸本さんには脚本を……お願いしたくて」

「脚本……だと? ふむ……」

 岸本は少し息を吸い、声を低く震わせた。

「映画はテレビとは全く別物だぞ。一作で全てを語らねばならん……尺も、キャラクターも、展開も、全てだ」


 俺は頷く気持ちで、「もちろん承知しております」と答えた。

 だが心の奥底では、未知の戦場に一人放り出された気分が、重くのしかかる。


 岸本は、ゆっくりと、しかし確かな力を伴う声で続ける。

「なるほど……わかった。だがな、桐谷。映画はテレビと違う。すべては一発勝負だ。覚悟はいいのか?」

 彼の声には、威圧だけでなく、どこか哀愁と楽しみの色も混じっていた。

「……はい。全力でやります」

 俺は拳を握りしめ、声に力を込めた。


 岸本は小さく笑った。

「ふん……面白そうじゃないか。俺もまだ死んではいないということか」

 その笑いは、まるで古い刀が火花を散らすかのような鋭さと、長年の疲労が滲む哀愁を同時に感じさせる。

 俺は思わず、少しだけ胸の奥が熱くなるのを感じた。


「スケジュールを調整して、打ち合わせをお願いしたいのですが……」

「いいだろう。だが……ペンは投げるぞ」

 岸本は笑みを含ませつつも、真剣な声を乗せる。

「桐谷、テレビの時代劇とは違う。すべてが勝負だ。だが、面白くなりそうだ……期待しているぞ」


 俺は深く息を吸い、拳を机に置く。

 電話を切った後も、しばらく耳に岸本の声が残った。

 不安と重圧は相変わらずだが、心の奥に、微かだが確かな火花が灯った気がした。


「よし……これで第一歩だ」

 俺はスマホを机に置き、目を閉じる。

 次に考えなければならないのは……コンプライアンス担当、田代美咲への連絡だ。

 胃の奥がきりきりと痛む。だが、動き出した映画は、もう止められない。


 外の廊下では、若手プロデューサーたちの声や笑い声が漏れ聞こえる。

 その熱狂の中で、俺は孤独な船長のように、未知の海に一人立たされていることを改めて実感した。

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