60代男女、二人暮らし始めました

象乃鼻

第1話 二人暮らし、始めました

「一緒に住んでみない?」


桜井美咲(61)は、軽い調子でそう言った。


田中健二(62)は、一瞬聞き間違いかと思った。ここはいつもの喫茶店。昼下がりの静かな時間、店内には柔らかなジャズが流れ、カウンター越しにマスターがコーヒーを淹れている。カップから立ち昇る湯気が、二人の間に淡くたなびく。


「いや、何言ってんだよ、お前。俺とお前が? ルームシェア?」


健二は思わず眉をひそめた。彼の視線の先で、美咲はニヤリと笑っている。彼女は昔から唐突なことを言い出す性格だった。


「そうよ。どうせお互い独り暮らしなんだし、シェアしたほうが楽しいじゃない?」


美咲は気軽に言うが、健二にとっては簡単な話ではない。長年の独り暮らしに慣れてしまった今、誰かと生活を共にするのは、いささか荷が重い気がした。


「そんなの、他人が聞いたらどう思うんだ?」


「何も思わないわよ。この年齢になって、恋愛とかそういうのじゃないでしょ? ただの友達よ」


美咲は、まるで「当たり前」のような顔をしてコーヒーを一口飲んだ。その言葉に、健二は少し息を詰まらせた。


「……それが成立するのかねぇ」


高校時代の親友。共に笑い、共に悩んだ仲だったが、大人になってからはしばらく疎遠だった。偶然の再会を経て、こうして再び関係を築き始めたが、まさか一緒に暮らすことになるとは思ってもいなかった。


「まあ、一度やってみてダメならやめればいいじゃない」


美咲は肩をすくめる。その軽快な調子に、健二は思わずため息をついた。考え込むようにカップの縁をなぞる。


「……お前のその前向きさは、昔から変わらないな」


「そうでしょ?」


美咲はいたずらっぽく笑う。その顔を見ているうちに、健二の中の緊張が少しずつ解けていった。


「……わかったよ。試しにやってみるか」


そう言いながらも、彼の胸の内には、未知の生活への不安が渦巻いていた。だが、美咲の明るさに少しだけ背中を押された気がした。


こうして、二人の共同生活が始まった。


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