地上復興編

第10話 浄化

秘密基地の解析室。

カイナは、ゾルトが用意した特製の耐瘴気スーツを身にまとっていた。

スーツは、地表の有毒な魔力瘴気から

肉体を一時的に保護するための最新技術が詰まっていたが、

その防御力は、テラ・ルクスの暴走エネルギーが混ざった瘴気に

どこまで通用するかは全くの未知数だった。


リエルは、カイナの胸元のメインコアと三つの欠片を最終チェックしていた。

青い光の脈動は以前にも増して力強く、彼の命の熱を激しく放っている。


「いい?このスーツは、瘴気を完全にシャットアウトできない。

一秒でも長く、君の『制御』が持つ時間を稼ぐためのものだ。

そして、地表に充満する有毒な魔力は、君の感情と直結する。

少しでも焦りや怒りに囚われれば、このスーツはただの棺桶になる」

リエルは、カイナの顔を真っ直ぐに見つめた。


カイナは静かに頷いた。

「わかっています。

母さんの愛、そしてこの都市の未来...俺の『平静さ』が、全てを守る」


ゾルトは、起動装置のホログラムを前に、冷静な声で最後の指示を出した。

「大断層の終点は、都市の最外縁部だ。

侵入ルートのシステムは老朽化しており、いつ崩落してもおかしくない。

リエルはここで通信と解析を担当する。

俺は、遠隔で起動装置のシステムを強制的に開く。

坊主には、二十分の猶予がある。それまでに欠片を回収し、戻れ。

二十分を過ぎれば、俺たちもこの基地を放棄せざるを得なくなる」


その言葉には、生還の保証のない戦いを前にした静かで重い決意が込められていた。ゾルトは、カイナの肩に手を置いた。


「坊主。生きて戻れ。そして、あの回収者を打ち負かせ。

奴らの『秩序』は、所詮、誰かの手で組み立てられた偽りの均衡だ。

貴様が築くのは、生命の光だ」


リエルは、カイナの手に、彼がいつも使っていた古びた電子感知ツールを握らせた。


「これは、ゾルトが最後の調整を施したものよ。

瘴気の乱れの中でも、地上の瘴気の『核』、

つまり四つ目の欠片が発する独特の波長を捉えることができるはず。

頼りはこれだけよ」


カイナは、二人の固い決意と、深い信頼を感じた。

彼は二人に向かい、深く一礼した。「必ず、光を持って戻ります」


カイナは、都市の最下層にある、忘れ去られた「大断層の終点」へと向かった。

そこは、地下都市のコンクリートの壁が

地上の岩盤と複雑に接合する薄暗い廃墟のエリアだった。

空気は冷たく、都市の生命感が薄い。


ゾルトの指示に従い、カイナは瓦礫の山を避けながら、

地面に隠された古代の起動装置を発見した。

それは、石と金属が融合したような、異様な紋様のハッチだった。


「起動を開始する。システムは激しく抵抗しているぞ」

ゾルトの声が、耳元の通信機から響く。


数十秒の激しい駆動音と火花が散った後、ハッチが重々しい音を立てて開いた。

開いた先は、真っ直ぐに上へ伸びる、垂直のシャフトだった。

地表へ通じる、ただ一つの道。


シャフト内部は、数百年分の湿気と錆で覆われ、崩壊寸前だった。

カイナは、特製の高強度ワイヤーとクライミングギアを使い、

シャフトの壁面を垂直に登り始めた。


「通路は古く、崩壊寸前だ。

一歩でもワイヤーをミスすれば、数百メートルの落下だ、カイナ」

リエルが警告する。


登り続けるカイナの視界に、微かに緑がかった光が差し込み始めた。

それは、地下都市の照明とは異なる、不気味で有毒な光。

瘴気がシャフトの隙間から、わずかに流入し始めているのだ。


五分間の、体力と集中力の限界を超えた登攀の末、カイナはシャフトの最上部、

最終防壁バリア生成装置の直下に到達した。


そこは、古代の石材と、

テラ・ルクス由来の青い魔力クリスタルが複雑に組み合わされた、

巨大なドーム状の部屋だった。部屋全体が、都市を守る「バリア」の発生源であり、上部には、地表と隔てる最後の物理的な壁がある。


カイナの胸元の三つの欠片が、この部屋の魔力に激しく共鳴し始めた。

青い光が、部屋全体を脈打たせる。


「ここが、最終防壁の心臓部だ。

そして、四つ目の欠片は...この部屋の最上部、地表に最も近い場所にある」

ゾルトが解析結果を伝える。


カイナは、頭上を見上げた。

分厚い岩盤の隙間から、濃密な緑色の瘴気が噴出しているのが見えた。

その瘴気は、彼の耐瘴気スーツさえも透過し、肉体に微かな痺れを感じさせた。


「回収者が来るわ!瘴気が流入し始めた!急いで!」

リエルの切迫した声が響く。


カイナは、最終防壁を構成するクリスタルの柱の間を駆け上がり、

地表への最後の門へ向かう。


カイナは、最終防壁の生成装置を抜ける最後のハッチを、力ずくで押し開けた。

その瞬間、地表の有毒な魔力瘴気が、強烈な圧力と共に、部屋全体に噴き出した。


瘴気は、通常の霧とは異なり、粘性のある緑色の光を帯びていた。

それは、テラ・ルクスの暴走エネルギーの痕跡と、古代の汚染物質が融合した、

生命を拒絶する毒の塊だった。


耐瘴気スーツは、その猛威の前に、わずか数秒で溶解し始めた。


「グッ...!!」


瘴気が皮膚に触れた瞬間、カイナの全身に千本の針で刺されたような激痛が走った。それだけではない。瘴気が持つ有毒な魔力が、

彼の体内の三つの欠片のエネルギーに直接干渉し始めたのだ。


「魔力が...乱される!」

カイナは叫んだ。


焦燥と恐怖が心に湧き上がる。

瘴気の毒が、彼の「平静さ」を内側から崩壊させようとする。

テラ・ルクスの力は、彼の意思と感情に依存している。

瘴気は、彼の精神的な弱さを増幅させる生きた毒だった。

胸元の三つの欠片の光が、制御を失いかけ、激しく点滅する。


(駄目だ...ここで制御を失えば、瘴気に呑まれる前に、自分の力で燃え尽きる!)


カイナは強く歯を食いしばり、全身の感覚を強制的に遮断した。

心臓の激しい鼓動、灼熱の痛み、焦りの感情...全てを水底に沈める。

脳裏に、母の優しい微笑みを据え、「慈愛の平静さ」を再構築した。


彼の周りの魔力光が、再び静かで澄んだ青色を取り戻す。


「なんとか...耐えている...!だが、一秒一秒が限界よ!」

リエルの悲痛な声が響く。


瘴気の濃霧の中、電子感知ツールが微かな波長を捉えた。

カイナは、その波長を追って一歩一歩進む。足元の地面は、

数百年間の汚染でヒビ割れ、粘性の土が広がり、生命の痕跡は全くなかった。


そして、瘴気の濃霧が薄れた先に、それはあった。


四つ目のテラ・ルクスの欠片。

それは、巨大な天然の岩石に深く埋め込まれており、

岩石そのものがバリアのエネルギー源として機能しているようだった。

欠片は、他の三つを合わせたかのような強大な青い光を放ち、

瘴気と戦うようにその周囲数百メートルの毒をわずかに押しとどめていた。


「見つけた...最後の欠片だ!」


カイナが欠片に手を伸ばそうとした、その瞬間。


ゴオオオ...


瘴気の濃霧を切り裂き、黒い特殊装甲の回収者が音もなく、そして2体現れた。

回収者は、前回遭遇した一体と酷似しているが、装甲はさらに厚く、

背部には重力制御用のブースターを装備している。


「待っていたぞ、『契約者候補』」


合成音声が二体同時に響く。その声には、一切の迷いがない。

彼らの手には、テラ・ルクスの光を打ち消す「対魔力デバイス」が、

強力な赤い光を放っていた。


「秩序を乱す者を、この終焉の地から生きて返すわけにはいかない」


回収者二体は、同時に攻撃を開始した。


一体目は、ブレードを振りかざし、高速でカイナの懐に飛び込む。

二体目は、遠距離から対魔力デバイスの赤いパルスを放ち、

カイナの魔力の制御そのものを破壊しようとする。


「くそッ!」


カイナは、まず回収者二体から一瞬距離を取るため、地面を蹴って跳躍した。

同時に、瘴気の毒で乱される魔力を強制的に収束させ、

制御された青い光の衝撃波を地面に放った。


ドォン!


衝撃波は、瘴気の地面を爆砕させ、回収者一体を後退させる。

しかし、回収者の装甲は堅牢で、大きなダメージは与えられない。


二体目の赤いパルスが、カイナの全身を襲う。

魔力の結合が乱され、彼の肉体に再び激痛が走る。


(これが...奴らの本気!制御を失う!)


カイナは、激痛に耐えながらも、「慈愛の平静さ」を維持し続けた。

彼は、自身の魔力を「盾」として使うのではなく、「鏡」として使った。


四方八方から迫る瘴気の有毒な魔力、回収者の赤いパルス。

それらを、自身の制御された魔力で受け止め、無力化させるのではなく、

波長をわずかにずらして、回収者へ跳ね返す。


跳ね返されたパルスは、回収者二体の一体目と二体目の装甲の接続部に直撃した。


バチッ!という火花と共に、二体の動きが一瞬止まる。


「馬鹿な...この環境下で、魔力の反射だと!?完璧な『制御』でなければ不可能!」回収者の合成音声に、初めて驚愕と動揺が走った。


「俺は...母さんを救うために、制御を学んだ。

お前たちの、誰かを支配するための『秩序』のために、

この力を暴走させるわけにはいかない!」

カイナは、痛みに耐えながら叫んだ。


回収者は、もはや会話を試みず、

二人同時にテラ・ルクスを完全に破壊するための、

最大出力の赤いビームを放った。

ビームは、瘴気の毒と融合し、

禍々しい巨大な赤い槍となってカイナめがけて突進する。


(終わりだ...!)


カイナの心に、一瞬、諦めがよぎる。

その瞬間、「慈愛の平静さ」が激しく揺らぎ、

彼の胸元の三つの欠片の光が暴走寸前のオレンジ色へと変色した。


「駄目!制御を失うわ!」リエルの悲鳴が通信機から響く。


カイナは、その赤い槍を避けようとはしなかった。

彼はこの一撃を避けても、この瘴気の地獄から生きて出られないことを悟っていた。残された道は、全てを懸けて、欠片を回収することだけだった。


彼は、最後の力を振り絞り、岩石と結合した四つ目の欠片に手を伸ばした。


ズン!!


カイナが欠片を岩石から引き剥がした瞬間、

都市を守っていた最終防壁バリアが完全に消滅した。


同時に、地表に充満していた有毒な魔力瘴気が、解放されたエネルギーと共に、

大断層のシャフトへ向かって猛烈な勢いで流れ込み始めた。


「ゾルト!瘴気が地下へ向かう!流入開始よ!」

リエルの悲鳴が途絶える。通信機から電子的な断末魔のノイズが響いた。


「リエル!ゾルト!」

カイナの心に絶望と自己への怒りが湧き上がる。

彼は母を救うどころか、都市全体、そして仲間たちまでをも危機に晒してしまった。


魔力の暴走が始まった。

四つの欠片全ての力が、瘴気の毒と、彼の激しい絶望の感情によって増幅され、

制御不能の灼熱の青い炎となって、カイナの肉体を内側から焼き尽くそうとする。


肉体が崩壊し、意識が途切れそうになる一瞬、

カイナは母リナの優しい声を、心の中で聞いた。


「恐れないで、カイナ。愛は、鏡のように光を澄ませるのよ」


母の言葉は、彼の「絶望」の炎を、瞬時に「純粋な愛の光」へと変えた。

彼は、全てを失う恐怖の中で、母への愛、仲間への愛、

そしてこの都市への深い慈愛こそが、

テラ・ルクスの究極の源泉であると、本質的に理解した。


彼は、もはや「平静さを維持する」のではない。

「慈愛そのもの」と化し、四つの欠片の全ての力を、その心で完全に包み込んだ。


ゴオオオオオオオオオォォォォ……


暴走しかけた灼熱の炎が、

一瞬で熱を持たない穏やかで澄み切った、巨大な光のドームへと変貌した。

光は、カイナを中心に全方位へ広がり、回収者の放った赤い破壊の槍を、

優しく包み込むようにして分解し、消滅させた。


そして、その光は、地表の有毒な緑色の瘴気を、

次々と無害な、清浄なエネルギーへと変えていった。


浄化が始まった。

地表に広がる瘴気が、青い光によって洗い流され、数百年の時を経て、

初めて地上の岩盤と土壌が、その姿を現した。


浄化の光が収束したとき、カイナは、四つの欠片を胸に、清浄な地表に立っていた。彼の全身からは、熱傷が消え、光を完全に制御したことによる

「完全な安定」がもたらされていた。


回収者二体は、その光景を前に、動きを停止していた。

装甲の損傷もさることながら、彼らの存在意義である「秩序の維持」が、

カイナの「覚醒した制御の力」によって否定されたのだ。


「馬鹿な...秩序が...破壊された...」

回収者の合成音声は、もはや恐怖ではなく、システムの崩壊を意味していた。


回収者は、抵抗することなく、空間の歪みの中に再び消えていった。

彼らの「彼」の元へ、この恐るべき事実を報告するために。


カイナは、浄化された地表に、深く息を吐いた。

彼の目の前には、数百年の間誰も見ることのなかった

青い空と、静かに眠る大地が広がっていた。


「リエル、ゾルト...聞こえますか?」


通信機から、リエルの震えるが確かな声が響いた。

「...ええ、カイナ。奇跡よ...。瘴気の流入が、途中で止まったわ。

そして、地表の魔力が...まるで清涼な空気のように安定している...」


ゾルトの声は、静かな感動に満ちていた。

「坊主...貴様は、欠片を集めたのではない。

この世界を救う、真の『契約者』となったのだ」


カイナは、四つの欠片を胸に、故郷の青い空を見上げた。

母の命を救う道は開かれた。

だが、彼の使命は、今、始まったばかりだ。

彼の背後には、崩壊寸前の地下都市、そして、彼を追う謎の勢力がいる。

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