[Thread Story]13階シリーズ:派遣OL・飯田康子の場合

風光

Thread 01|この階で降りるのは、選ばれた人だけですよ

初出勤の朝。


不慣れな地下鉄を見事に乗り間違えた派遣OL・飯田康子は、猛ダッシュでそのビルに駆け込んだ。


時計を見ると、始業3分前。


“まずい、初日から遅刻とかあり得ないよ!

 即切られるよ、どうしよぉぉぉ…!”


派遣という立場が、心の中を焦がす。


ボタンを押して息を整えながら見上げると、ロビーのエレベーターは全台「上昇中」の表示。


「えー!そんなぁー」


半泣きで非常階段を探そうとしたそのとき、

奥のサービス用エレベーターの扉が、音もなく開いた。


迷った末に、彼女は閉まりかけたそのエレベーターへと駆け込んだ。

安全センサーで再び扉が全開まで開く。


中には先客がひとり。


グレーのスーツに身を包んだ女性社員。

髪はまとめられ、顔には一切の表情がない。


飯田が「すみません」と小声で謝ると、女性は無言で軽く会釈した。


行き先階のパネルで点灯していた数字は──「13」。


(えぇと、私は何階に行くんだっけ…?)

急に思い出せなくなって、案内資料を取り出そうと鞄をあさる。


次の瞬間、女性がポツリと口を開いた。

「この階で降りるのは、選ばれた人だけですよ」


「え?」


思わず手が止まる。


その言葉の意味を理解する前に、エレベーターは13階で止まり、扉がゆっくりと開いた。



まばらに点灯した照明の下、誰もいないはずのフロアに、足音のようないくつもの音が、廊下を横切っていく。


女性社員は無言で降り、すうっと薄暗がりの中へ消えていった。


飯田の脳内で、未知の危険を察したアラートが激しく鳴り響いた。

にもかかわらず、なぜか吸い寄せられるように、飯田はその後を追ってエレベーターを降りた。


背後で、エレベーターの扉が音もなく閉まる。


ゆっくりと奥へ進むたび、照明が一つ、また一つと灯っていく。


その光に照らされるように、どこか遠くから声が響いた。


──「……イイダさん?」


誰もいないはずの空間。

けれど、その声は確かに、彼女の名前を呼んでいた。


そしてその声には、妙に馴染みのある温度があった。

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