File11.アマビエのセカンドキャリア構築とブランド再定義について
「――もう、誰もわたくしの絵を描いてはくれませんの」
夜明け前の、静かな由比ヶ浜。寄せては返す波の音だけが響く中、その声は寂しげに響いた。
今回のクライアントは、『アマビエ』。半人半魚の姿に三本足、そして嘴を持つ、予言のあやかしたる彼女は、数年前に起きたパンデミックの際、厄除けの象徴として一世を風靡した。その姿を描いた絵はSNSに溢れ、あらゆる商品とコラボレーションし、まさに社会現象の中心にいた。
しかし、ブームは去った。
「わたくしは本来、豊作も、そして疫病も予言する『未来の報せ手』。それなのに、今ではすっかり『特定のウイルスにだけ効く、可愛いお守り』というイメージで……。ブームが去った今、わたくしには何が残っているのでしょう」
彼女の姿は、まるで祭りの後に取り残された山車のように、どこか物悲しかった。
これは、あまりに典型的な『一発屋(ワンヒットワンダー)』の悩みだ。
特定の時流に乗って爆発的な成功を収めたブランドが、その後のイメージ転換に失敗し、急速に陳腐化していく。芸能界でも、商品市場でも、幾度となく繰り返されてきた悲劇。
「アマビエ様。あなたの悩みは、あなたの価値が失われたからではありません。あなたの持つブランドイメージが、あまりに狭く、そして過去の特定の出来事に固着しすぎているからです」
私は、砂浜に一本の線を引いた。
「過去の成功体験は、時に足枷となります。ご提案します。一度、『パンデミックの象徴』という重すぎる看板を下ろしましょう。そして、あなたの本質――『未来を示す者』としての、新たなキャリアを、今ここから再構築するのです」
私のコンサルティングは、過去の栄光を一度解体し、未来に向けた新たな価値を創造する、ブランドリバイバル(再生)計画だった。
一、ブランド・アイデンティティの再定義。
「あなたは『厄除けのマスコット』ではありません。あなたは『吉凶の波を見通す、海原の預言者』です。その役割は、パンデミックが終息しても、決して失われない。天候不順、経済不安、社会の変革……人々が未来への備えを求める限り、あなたの価値は永遠です」
まず、彼女自身に、失いかけていた本来の使命と誇りを思い出させた。
二、事業領域の転換:『事後対応』から『事前予測』へ。
疫病が流行ってから絵を描かれる、という受動的なビジネスモデルから脱却する。
これからは、こちらから能動的に、『アマビエ予報』として、年に一度、抽象的で詩的な『予言』を発表するのだ。
例えば、「今年は、黄金の穂は重く垂れるも、海の幸は潮の奥底に隠れん」といった具合に。これは、農業関係者には豊作を、漁業関係者には不漁への備えを促す、一種の『超自然的トレンドレポート』として機能する。
三、メディア戦略の変更とプラットフォームの構築。
爆発的な拡散を狙うのではなく、深く、長く愛されるブランドを目指す。
そのために、『渚の預言者』という匿名のSNSアカウントを開設。美しい海の写真や、心穏やかになる言葉と共に、年に一度の『アマビエ予報』を、静かに、しかし厳かに投稿する。
かつての「カワイイ」路線から、「神秘的で、思慮深い賢者」というイメージへと、ペルソナを完全にシフトさせるのだ。
アマビエは、再び世に出ることに最初は戸惑っていた。しかし、自分の力がまだ誰かの役に立つかもしれない、という希望を胸に、私の提案を受け入れた。
彼女の新たな挑戦は、静かな、しかし確かな反響を呼んだ。
『渚の預言者』のアカウントは、その詩的な美しさと、示唆に富んだ内容で、感度の高い人々の間で、次第に話題となっていった。経営者や投資家、あるいは日々の暮らしを大切にする人々が、彼女の言葉を、未来への道標として静かに受け止める。
『豊作への備え』も『厄災への備え』も、本質は同じ『備え』なのだ。
彼女は、かつてのような爆発的な人気ではなく、深く、静かな尊敬を、新たな形で勝ち取った。もう『一発屋』と揶揄する者は、どこにもいなかった。
後日。満月の夜の海岸で、アマビエは私に、一つの小さな真珠を手渡した。それは、ただの真珠ではなかった。内側から、オーロラのような淡い光が明滅している。
「さて、九十九さん。お待ちかねの報酬です」
オサキが、そっと報告した。
「クライアントより、『神託の真珠』を頂戴しました」
「効果は?」
「はい。今後、我々が重要な経営判断――新たな依頼を受けるか否か、といった二者択一の決断を迫られた際、この真珠を手に質問を念じれば、その判断が『吉』と出るか『凶』と出るかを、光の色で示してくれる、とのことです。『吉』なら暖かな光を、『凶』なら冷たい光を放つそうです」
未来そのものではなく、選択の『結果』を予知する。それは、コンサルタントにとって究極のリスク管理ツールだ。
私は、その小さな真珠の、重い価値を感じながら、静かに懐にしまった。
「さあ、事務所に戻るぞ。」
「承知いたしました。」
「次のクライアントは?」
「次のクライアントは、少々……いえ、かなり多そうです」
「ほう?」
「はい。あの、『七福神』の皆様からです」
「七福神、全員がか」
「ええ。なんでも、『経営方針を巡って、メンバー内で深刻な対立が起きている』そうで……。特に、恵比寿様と大黒天様が推し進める急進的な資本主義路線に、弁財天様たちが反発している、と。組織としての理念(パーパス)を再定義してほしい、とのことです」
どうやら次は、日本で最も有名な神々の集合体、『七福神』という名の企業の、壮大な内紛を調停することになりそうだ。
私の手腕が、今、まさに神々に試される。
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