最終話 神喰いの勇者

大聖堂を出た瞬間、叛逆者たちは息を呑んだ。

 夜空は裂け、銀の亀裂が蜘蛛の巣のように広がっている。そこから覗く光は冷たく、まるで空そのものが砕け散ろうとしているようだった。


 地鳴りが轟き、大地は割れ、石畳は幾筋も裂け目を走らせていた。遠くで海が暴れ狂い、黒い波が街を飲み込みかけている。鐘楼が崩れ、尖塔が傾き、世界そのものが悲鳴を上げていた。


「……これは、いったい……」

 ルーカスが蒼白な顔で呟く。理屈で説明できない現象を前にしても、彼の瞳はなお観察をやめなかった。


「まるで……世界の終わりだ」

 モルドが歯を食いしばり、剣の柄を握る。だが、敵はどこにもいない。敵うはずのない“崩壊”だけが、静かに迫っていた。


 そのとき。

 ゆらりと影が揺れ、彼らの前に一人の男が姿を現した。


「……メフィスト」

 カイムが名を呼ぶ。


 悪魔は口元に笑みを浮かべ、赤い瞳を細めていた。

「驚いたか? 無理もない。この有様を見ればな」


「これは……お前の仕業か?」

 モルドが剣を構える。


 メフィストは肩をすくめるだけだった。

「いいや、私ではない。原因は至極単純だ。……この世界の主柱だった女神セレーネが消滅した。それだけのことだ」


 叛逆者たちの瞳が一斉に揺れる。


「……柱?」

 ルーカスが問い返す。


「そうだ。セレーネはただの神ではなく、この世界そのものを支える柱の一つだった。彼女が崩れ去れば、当然こうなる」

 メフィストの声は軽いが、その言葉の重さは地鳴りと同じほどに圧し掛かった。


「じゃあ……どうすればいい」

 カイムが問う。


 悪魔は一瞬口角を上げ、冷たく答えた。

「新たな柱が必要だな」


 その言葉に、全員が沈黙した。

 空が裂ける音、地の呻き、海の咆哮――世界の終焉が刻一刻と迫る中で、誰もが言葉を失っていた。


 やがて、カイムが低く口を開く。

「……俺が柱になれないか?」


 その声に、仲間たちが驚いたように振り返った。


 メフィストは嘲るように笑う。

「いくら神性を宿そうと、人一人で世界の柱になどなれるはずがない。支えきれん」


 再び、沈黙。

 だが今度は、静けさの中に揺るぎない決意が満ちていた。


「カイム」

 その沈黙を破ったのは、クリスだった。

 彼女は血に塗れ、傷だらけのまま、それでも穏やかな笑みを浮かべていた。

「私は……カイムを一人にはしないよ」


 その言葉と共に、彼女は迷いなく続けた。

「私も柱になります」


 ルーカスが眼鏡を押し上げ、苦く笑った。

「ふむ……この際だ。最後まで世界のために尽くしてみようか。研究対象としても面白い結末だな。私も、だ」


 ティナは空を仰ぎ、裂ける亀裂の向こうに視線を馳せる。

「レックス……あの子達に、また会えるのかしら」

 小さく微笑み、彼女も頷いた。


 モルドが大きく息を吐き、仲間の手を強く握った。

「……ランスとまた飲める日が、こんなに早く来るとはな。俺も行こう」


 五人の決意が揃った。


 メフィストが赤い瞳を細め、問いかける。

「いいのか? 代償は必然的に命となるのだぞ」


 その問いに、五人は顔を見合わせ、笑みを交わす。

「――勿論だ」

 声を揃えたその響きは、恐怖を超えた確信そのものだった。



 カイムが悪魔に問いかける。

「……これで六つ目の契約か?」


 メフィストは唇を吊り上げ、静かに頷いた。

「あぁ。これで私は魔界に帰れる。感謝するぞ――叛逆者、いや……救世主共」


 その言葉を背に、五人は大聖堂へ戻った。



 崩れかけたアルティア大聖堂。

 かつてセレーネが座していた祭壇の前に立ち、五人は手を取り合った。

 剣を握る手、弓を支えた手、魔法を編んだ手、障壁を張った手――そのすべてが繋がり、一つの輪となる。


 光がゆっくりと祭壇を満たし、契約の刻印が浮かび上がる。


 カイムが呟いた。

「……これでいいんだよな」


 クリスが隣で微笑み、頬を寄せる。

「うん。あっちでも、一緒にいようね」


 ルーカスが淡く笑う。

「神はもういい。新たな研究テーマを探すとしよう」


 ティナは瞳を閉じ、柔らかな声で言った。

「家族四人で……穏やかに過ごしたいわ」


 モルドが力強く仲間の手を握り、朗らかに笑った。

「またランスと稽古の日々を過ごすか」


 五人の言葉が重なり合う。


 最後にカイムが強く言い切った。

「みんなに出会えてよかった……ありがとう」


 次の瞬間、五人の身体は光に包まれ、粒となって散り始めた。

 誰一人として涙は流さなかった。笑顔だけがそこにあった。



 崩れかけた大聖堂は眩い光に包まれ、ひび割れは閉じ、瓦礫は組み直され、かつての荘厳な姿を取り戻した。

 空の裂け目は閉じ、大地の割れは癒え、海は静まり返った。


 世界は、再び均衡を取り戻したのだ。


 その中心にあったのは――五人の叛逆者たち。

 命を捧げて人々を解放し、世界を救った勇者たち。


 アルティア大聖堂は再び輝きを取り戻し、その祭壇には五人の名が刻まれ、祀られた。

 人々は涙を流しながら、その名を口にする。


 ――かつて叛逆者と呼ばれた者たちは、世界を救う柱となった。


 その名は永遠に、人々の心に刻まれていく。

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