第五章 一話 剣の街エクスエスにて

敗北の余韻は、勝利の輝きをあっという間に掻き消していた。

 ルシフェルと魔女たちの襲撃から逃れたカイムたちは、重傷を負った仲間や騎士団を伴い、なんとかエクスエスの街へ辿り着いた。ミカエルの支配から解放されたばかりの街は、まだ恐怖の影を残していたが、人々は疲れ切った一行を迎え入れ、家屋を解放し、薬や包帯を惜しみなく差し出した。


 カイムは深手を負った兵を担ぎながら、街の石畳を見下ろしていた。血に濡れた靴跡が、彼らの戦いの激しさを物語っている。背後から聞こえる嗚咽は、失った仲間を悼む騎士団のものだった。彼らの心に大きな穴を開けたのは――団長ランスの死だった。


 モルドは一言も発さず、その亡骸の傍に立ち続けていた。街の医師が処置を施そうとしても、頑として譲らなかった。ランスが最後に託した言葉――「部下たちを頼む」という声が、耳から離れないのだ。



「もっと押さえて! 出血が止まらない!」

「この子を、温めてあげて!」


 街の人々が右往左往しながらも必死に治療を施していた。ティナは未来視を使い、危険な症状が出る前に声をかけていく。

「この兵士、次に呼吸が荒くなるわ。水を!」

 彼女の冷静な指示により、多くの命が救われていった。


 クリスは障壁を応用した微細な治癒の術で、裂傷を抱えた兵を次々と癒していく。消耗した身体に鞭を打ち、額には玉の汗を浮かべながら、それでも一人として見捨てることはしなかった。


 ルーカスは手際よく陣形を組み直す兵たちの前に立ち、街の広場に簡易的な魔法結界を張る。

「ここなら、しばらくは安全だ。……もっとも、奴らが本気を出せばひとたまりもないだろうが」


 その声音には苦い現実が滲んでいた。



「結局……全く歯が立たなかったな」

 カイムが口にした言葉は、誰もが感じていた思いだった。


 魔女の一撃一つに翻弄され、ルシフェルには指先すら触れられない。ミカエルに勝利した達成感は、たった一夜で崩れ去った。


「天使よりも、さらに上位の存在か……」ルーカスが低く呟く。

「正面から挑んだところで、今のままでは確実に潰される」


 ティナは膝の上に手を置き、視線を落とした。

「未来視で見えたの……あの魔女たちは、他の街を襲う。私たちが立ち止まっていたら、被害はもっと広がる」


 その声に、重苦しい空気がさらに重なる。


「……立ち止まるわけにはいかねえ」

 カイムは深く息を吐き、握った拳を膝に叩きつけた。

「どんなに強かろうが、俺たちがやらなきゃならない。そうだろ?」


 彼の言葉に、仲間はゆっくりと頷いた。


「次は――ヴェルーヴムだ」

 ルーカスが結論を口にする。

「魔女たちの動きもそこに繋がるはずだ」


 ティナが唇を結び、「行きましょう」と小さく答えた。クリスはカイムの横顔を見つめ、「一緒に戦うわ」と静かに添えた。


 しかし、その輪の中でモルドだけが口を閉ざしたままだった。



 夜。

 街はようやく落ち着きを取り戻し、人々の呻き声も減っていた。広場には焚き火がいくつも灯され、治療を終えた兵たちが交代で眠りについていた。


 その火の一つの前で、モルドは剣を膝に立て、無言で座っていた。炎に照らされた顔は険しく、鋼のように固まっている。


「……俺は、剣しか持たない」

 低く洩れた声は、焚き火の爆ぜる音に紛れて誰にも届かない。


 ランスと共に学んだ剣。

 それがあれば、仲間を守れると信じていた。

 だが、現実はどうだ。ランスを守れず、部下を守れず、魔女に触れることさえできなかった。


「このままで……いいのか」

 声は苦悩に濁り、拳は血が滲むほど強く握られていた。


 背後から人の気配はない。仲間たちは皆、疲れ果てて眠っている。

 モルドは焚き火を見つめたまま、ふと空に問いかけるように呟いた。


「なぁ……メフィスト」


 その名を呼んだ瞬間、背後の闇が揺らめき、細長い影が炎に伸びた。

 悪魔は声を返さない。ただ、愉快そうな気配だけが夜気に混じった。


 モルドは振り返らず、炎を睨みつけたまま、唇を震わせた。

「俺は……どうすればいい」


 焚き火が爆ぜ、火の粉が夜空に散った。

 返答はまだない。だが、その問いは確かに闇へと届いていた。

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