第三章 二話 祈りの街
翌朝、ヴェルーヴムは鐘の音で目を覚ました。低く、鈍く響く鐘の音に合わせるように、人々が一斉に戸口から現れる。霧の残る通りに整然と並び、足並みを揃えて広場へと向かう。
「神の光に感謝を……」
「神の御心に従います……」
老若男女を問わず、同じ言葉を同じ抑揚で口にする。顔には笑みが浮かんでいるが、その笑みはどれも判を押したように同じだった。
「……気味が悪い」ルーカスが小声で吐き捨てる。
「子供まで……」ティナは小さな体で祈りを繰り返す子供たちを見つめ、胸を締め付けられる思いで声を詰まらせた。レオンとサラを思い出さずにはいられなかった。
クリスは列の一人ひとりを観察し、唇を噛む。「強制されているようには見えない。自分から進んでやっているみたい。でも……目が虚ろ」
カイムは黙って祈りの声を聞き、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じていた。
やがて、列の前方に神官たちが姿を現した。白い法衣をまとった四人が揃って歩き、その後ろには武装した兵士が二人一組で従う。祈りの声が波のように広がり、通り全体を覆っていった。
その時だった。
列の端で、一人の少年が足をもつらせた。まだ十歳に満たないほどの小さな体。慌てて立ち上がろうとするが、足並みは乱れ、声も途切れた。
神官の一人が冷たい声を放つ。
「秩序を乱す者を、光に還せ」
兵士が即座に剣を抜き、ためらいなく少年へと振り下ろした。
鋭い刃が肉を裂き、乾いた音が石畳に響いた。
少年の小さな体が崩れ落ち、血が滲んでいく。
誰も叫ばなかった。
母親らしき女性も、周囲の人々も、怯えるどころか、祈りの声を乱さなかった。むしろ笑顔のまま、規則正しく言葉を繰り返す。
「神の光に感謝を……」
「神の御心に従います……」
倒れた少年の顔もまた、笑っていた。血に濡れた頬に、消えることのない微笑が浮かんでいる。
カイムの心臓が凍りつく。怒りが、込み上げてこない。
「……なんで、俺は……怒れない……?」
唇が震える。普段なら剣を抜いて飛び出していたはずだ。
隣のクリスも蒼ざめた顔で囁いた。「おかしい……涙が出ない。悔しさも……湧かない……」
ティナは両手を口に当て、目を見開いたまま動けなかった。夫と子を奪われた彼女が、この光景にさえ怒りを覚えられない。恐怖よりも、その事実が胸をえぐった。
ルーカスも呻く。「脳の奥に膜をかけられたみたいだ……感情が鈍る……」
その時、路地からモルドが現れた。顔は険しく、低い声を押し殺す。
「見ただろう。これがヴェルーヴムの日常だ」
彼の瞳は怒りに揺れていた。「笑ってはいるが、あれは心からの笑顔じゃない。死んだ子供でさえ……笑って見える。あれはガブリエルの“光”の影響だ」
「俺たちにも……?」カイムが息を詰める。
「そうだ。外から来た者にも少しずつ染み込む。心を縛り、怒りも恐怖も削ぎ落とす。だからこそ、早く決着をつけなきゃならん」
モルドは周囲を見回し、さらに声を潜める。
「教会の奥に“心を縛る光”があると噂されている。俺は何度も試したが、一人では近づけなかった。……だが今なら、あんたらと一緒なら」
カイムは剣の柄を握りしめた。少年の笑顔が脳裏に焼きついている。
「……行こう。俺たちの心まで奪われる前に」
仲間たちが静かに頷き、ティナは震える唇を押さえながらも、しっかりと答えた。
「……あんなこと、二度と許さない」
冷たい祈りの声が街を覆う中、彼らは目を合わせ、白亜の尖塔を見上げた。
その先に、討つべき天使――ガブリエルが待っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます