第16話 オタク、麦を買う



 というわけで、製粉問屋に行く。

 製粉問屋は、農家で採れた小麦を石臼でひいて粉にして街中に卸す店だ。

 結構な大きさの建物で、中では人力の石臼回転機……粉砕機が動いている。


 この世界の粉砕機は手動でハンドルを回す人力方式だ。

 身体強化があるので、歯車を使った機構を使えば簡単に粉にできる。

 近くに川がある郊外なんかだと水車動力の粉砕機もあるけど、この街は地下水源だから人力になっているようだ。


「すみませーん、どなたかいらっしゃいますかー?」


 建物の中に入っても、受付はない。

 一般客が来るような店でなく、注文された発注品を定期的に届ける問屋だからだ。


 ややおいて、職員の人が出てきた。


「はいはい、何でしょう。新規のご契約ですか?」


「あ、いえ。商売はやってないんですが……大麦麦芽、モルトを買えないかと思ってやってきたんです」


 ああ、なるほど。と職員の人はうなずいてくれた。


「エールの酒造ですかね。はい、個人の趣味用に一応、小売りもしてますよ。量があるので、一袋で良いですか?」


「ありがとうございます!」


 この街では自家製エールを造る人や店もいる。

 日本と違って、酒造法がないからね。密造にはならない。

 むしろ、趣味人による家庭ごとのエールがあって、それの品評会も行われるほどだ。


「こちらになります。配達じゃなくて、直売で良いですか?」


「ありがとうございます。このままもらっていきます」


 中身が芽の出た大麦であることを確認して、お金を支払う。

 乾燥して粉砕してあるので、重さの割りに量が多い。

 普通の小麦粉と違って、緑色の芽の欠片が混じっているのがモルトの特徴だ。


 支払いを済ませたので、エイジャさんにアイテムボックスにしまってもらう。


「それで何を作るの、オタクくん?」


「お酒仕込むん? けっこー時間かかるよ?」


 クルスさんとリーシャさんが興味ありげに聞いてくる。

 でも、お酒じゃなくて欲しいのは甘味だ。


「二日くらいでできますよ。お酒の前段階の、甘いものを作るんです」


 ぼくの知識がこの世界のものとは違うことを知っている三人は、期待に目を輝かせた。

 うまくできると良いけど、五キロくらい麦芽があるから、少し失敗しても大丈夫だよね。


 預けた武器のメンテナンスが終わるまで時間があるので、先に料理をしようと言うことになった。

 なので、商店で芋と焚き木を買い込んで、宿の厨房を借りて料理をする予定が決まる。


「すみません、時間の空いたときに。厨房をお借りできませんか?」


 宿に戻って、昼食どきの過ぎた厨房に、頼み込んでみる。

 買い込んできた焚き木を見せたら、快く許可してもらえた。

 焚き木は無料じゃないからね。使う分以上に買い込んで、余りはお礼に渡すと申し出たら、一発で許してもらえた。


「どんなものを作るのか、見せてもらっても良いかい?」


「大丈夫ですけど、今日は下ごしらえだけですよ」


 麦芽糖は作るのに一晩かかる。

 今日中に味わうのは無理なのだ。


「なので、明日も貸してください。たくさん焚き木持ってきますから」


「あいよ。仕方ないねぇ、時間のあるときだけだよ」


 女将さんは笑って快諾してくれた。

 じゃあ、レシピも全部見せようかな。


 今日するのは、糖化前のおかゆ作り。

 買ってきた芋を大量に刻んで、たっぷりの水で煮崩れるまで茹でる。

 事前に水にはさらさない。含まれているデンプンが麦芽酵素で糖分に変わるからだ。


 これは米でもできる。そのときには、炊いたご飯を水で煮て『おかゆ』を作ると良い。


「ゆであがったら潰して中の汁を水に出して。水を足して熱さを下げます」


 酵素が働きやすい温度にまで下げる。発酵温度に近いので、六十度前後かな。

 そこに乾燥モルトを投入して、一混ぜ。


 もったりとした芋の煮汁が、あっという間にサラッと抵抗のない汁になる。

 そうすると、なるべく温度を保ったまま一晩放置。

 変に混ぜると糖化の邪魔になるので、放置が良いらしい。


「厚手の布でくるんで、温度を保ったまま明日まで寝かせます」


「マントで良いかな? 夜間もこれにくるまってると温かいんだ」


 クルスさんが、エイジャさんのアイテムボックスから自分のマントを手渡してくれる。

 今の季節は使わないけど、冬場には必需品らしい。


「じゃあ、移し替えた器だけお借りしますね。結構大きめの器ですけど」


 湯で温めたツボに移し替えて、マントでくるんで部屋に持って行く。

 厨房に置いておくと、邪魔になるからね。


「じゃあ、また明日、お願いします」


「ほいよ。楽しみにしてるね」


 女将さんに一言告げ、自分たちの部屋に、マントにくるんだツボを置いておく。

 これで、今日の作業は終わりだ。

 大変なのは明日かな。


「これで甘いものができるの? ただの芋煮に麦芽を入れただけだよね?」


「はい、後は明日です。今日は武器をもらいに行きましょう」


 昼から色々出かけたので、もう日が傾きかけている。

 一度、武具店に様子を見に行ってみよう。


 名残惜しそうに宿を振り返るクルスさんたちを連れて、ガレリヤ武具店に向かう。

 武具店では、親方が出迎えてくれた。


「おう、来たかクルス! 仕上がってるぜ! 革鎧も手入れしておいてやった!」


「ありがとう、バラゴ親方!」


 武具のメンテは終わったようだ。

 ピカピカに研がれた剣やデスサイズを、親方が持ってきてくれる。


 研ぎ直したばかりの磨かれた刀身を見て、クルスさんもエイジャさんも納得していた。

 リーシャさんの手甲と脚甲も、打ち直してもらったようで、均整の取れた形になっていた。


「ありがとう、最高の仕上がりだよ、親方!」


「全部しめて金貨一枚半かな。払えるのか、クルス?」


 尋ねられて、代わりにエイジャさんが革袋を置いた。

 じゃらりと鳴る袋から金貨を二枚取り出し、支払う。


 親方は目を見開いて笑い、おつりの銀貨五十枚を渡してくれた。


「そんだけ金があるなら、武器が壊れたらすぐに来い。新しく打ち直してやる」


「あはは。しばらくは大丈夫かな。助かったよ親方、ありがとう」


 礼を言って、ガレリヤ武具店を後にした。

 遅れて出てきた娘のエレナさんが、クルスさんに手を振っていた。


「さて、武器は修理できたし。もう一稼ぎ……といきたいところだけど」


「オタクくんの作ってる、甘いものってのが気になるよねー。明日も休みにするっしょ?」


 リーシャさんの確認に、クルスさんがうなずく。

 明日は麦芽糖の実食が待ってるからね。


「じゃあ、宿に帰ろっか! 用事も無事に済んだしね!」


「そだね! 今夜もオタクくんと……ぐふ、ぐふふ」



 今晩も二人から、いや三人から逃げられないのだろうか。


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