第2話 瞳を開けて

「あら? おはよう、陽向くん。貴方のお望み通り、来てあげたわよ」



 実は俺はまだ夢の中にいるのではないだろうか。


 和奏の特徴的な髪は陽の光を受けて、その一本一本がまるで銀糸のように繊細に輝き、幻想的な紫色の帯を作り出している。


 こちらをじっと見つめている彼女の紫紺の瞳は、視線だけにとどまらず、俺のすべてをその中に吸い込んでしまいそう。


 薄ピンク色の唇はとても瑞々しくて目が離せな――――。

 


「いや、おかしい! なんでお前がここにいるんだよ!」


「しーっ、よ。陽向くん?」


「人の布団に潜り込んでおきながら何を今さら! 和奏の制服に毛玉がついちゃうだろ!」


「そこはどうでもいいと思うのだけれど……とにかく、莉子ちゃんにバレちゃうでしょ? 自室に同級生の女の子を連れ込んでるのを見られたいの? 莉子ちゃんはどう思うかしら」


「お、お前……」



 目的が一切わからない。


 頭の中を「なぜ?」という文字がずっと公転している。


 そもそも寝起きで脳が本調子でないのに、こんな衝撃的な出来事が起きてしまった理由について考えようとしているのが間違いなのかもしれない。


 だからといって、「そうですか」と大人しく受け入れることもできないのだが。



「まずは聞かせてもらおう。なんで俺の部屋に和奏がいるんだ?」


「貴方がそうするように言ったのよ? もう忘れたの?」


「は? 俺が? いつ?」


「昨日の朝よ」


「昨日の朝……? はっ!」



 心当たりがないと言えば嘘になる。


 しかし、俺にはあの三室戸 和奏がそんな勘違いをして、それを実際に行動に移すとは到底思えなかった。



「そんなところで待っているくらいなら、うちに入ってくればいいのに……」


「そうよ。だから、私は今ここにいるの」


「マジかよ」



 到底思えないことを平然と事実として認めてくる三室戸 和奏、16歳。


 俺からすれば、この状況で慌てることなく余裕を見せていることすらあり得ないのだ。


 が、俺の持っている疑問はそれだけなわけがない。



「どうやってこの部屋に侵入してきたんだ?」



 さっきの和奏の口ぶりから、おそらく莉子は家の中に和奏がいることを知らない。


 そして、莉子はできた妹なので、戸締りなどはしっかりしている。だから、家の玄関の鍵が開いていたなんてことはありえない。


 ここまで来るのは至難の業であるはずなのだ。



「侵入だなんて、物騒な言葉を使うのね。簡単に言えば、窓から。この部屋は二階だったから、少し大変ではあったんだけれど、運動神経には自信があるから」


「そういう問題じゃないと思うぞ」



 思わず頭を抱えてしまう。


 確かに昨日、家に入ってくればいいと言ったのは俺だ。


 でも、普通は玄関のチャイムを鳴らして入ってくるものだろう。


 まさか二階の窓から、よりにもよって俺の部屋に侵入してくるなんて想像もしていなかった。


 一度頭を冷やすためにも質問を続けてみることにする。



「それで、いつ頃からいたんだ?」


「一時間ほど前かしら。貴方の寝顔、可愛かったわよ?」


「可愛いって……」



 急速に顔が痛いほどに熱く、そして、赤くなるのが感じられた。


 同級生の女の子に寝顔を見られた。至近距離で、だ。



「とりあえず俺は着替えるからいったん外に――――」


「別に気にしないわよ?」


「俺が気にするんだよ」


「私たち一時間とはいえ、同衾したのよ?」


「和奏、それは同衾とは言わないし、言えない」


「ふーん、そう……」



 刹那――俺の背中をぞわっと走った正体不明の感覚。


 …………今のはいったい?



「お兄ちゃーん! ご飯できてるから早く降りてきてー!」


「今行くから!」



 和奏はどうするのだろう、と目を向けると、彼女は人差し指を一本口に当ててこう言った。



「私はいつも通り外で待ってるから、今まで部屋にいたことは二人だけの秘密よ?」


「……ああ、誰にも言わない。言うわけがない」


「念のために言っておくけど、莉子ちゃんにも駄目よ?」


「それは俺も嫌だからな」



 ゆっくりとドアを開けると、今日も食パンを焼いた香ばしい匂いが漂ってきた。

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