32.
私とシオリ。
双子という間柄で、同じ家、同じ日に産まれ、顔もそっくりな私たちは、しかし性格はまるで真反対だった。
あまり自我を出さず周囲に迎合することの多い私に対して、シオリは自由奔放を体現したような子だった。名家としての教育を強要する父に対して、彼女はことごとく反発した。そんなシオリを、父は暴力を使って従わせようとした。怒声を浴びせて、顔や頭を殴って、時には地下室に何日も閉じ込めて。
それでもシオリは父の言うことを聞かなかった。酷い目に遭うとわかって言う通りにしないのは何故だろう。私は、シオリの考えていることがまるでわからなかった。
シオリにとって、唯一の味方は母だった。
父の前で決して涙を見せなかったシオリは、しかし母の前ではよく泣いていた。そのたびに母が彼女に言う。
『お父さんは、あなたが憎くてこんなことをしているんじゃない。あなたのためを思って厳しくするの。シオリの目には、お父さんがとても恐ろしい人のように映るかもしれないけど、それはお父さんの本質じゃない。だからお父さんのこと、どうかわかってあげて』
母はよくそう言って、シオリをなだめていた。シオリは不承不承ながら、でも最後には母の言葉にうなずいていた。母の存在がなければ、シオリはきっと壊れてしまうだろう。私は幼いながらにそう感じていた。
母が亡くなったのは、私たちが小学五年生の時だった。
私たちが産まれたころから病気がちで、寝室で伏せっていることが多かった。昼に寝てしまうと夜の寝つきが悪くなると、困ったような顔でよく言っていた。亡くなる一年前から、父の病院に入院するようになり、お見舞いのたびに瘦せ細る母を見るのが辛かった。
母の死の姿を見たとき、シオリは死体にすがりながら果てるように泣いた。私は、母を失った悲しみより、目の前で泣き崩れる彼女を見るのが辛かった。
母の葬儀は壮大に行われた。父の病院の関係者がこぞって集まり、父は亡き母への想いを涙ながらに語っていた。自分が今までやってこれたのは、母の存在に心を助けられたからだと、切に言っていた。
私はその言葉に胸を打たれた。同時に、母の言葉は嘘ではなかったのだと、父は鬼の仮面をかぶっているだけで、本当は他人を想う気持ちのある優しい人間なのだと、そう感じた。シオリも同じことを思ったようで、父がスピーチをしている間、彼女は父の顔にまっすぐに見ていた。
葬儀があった夜。あまり寝付けなかった私は、乾いた喉を潤そうとリビングに向かった。父は普段は日付が変わる前に就寝する人だったが、その日は珍しく部屋から明かりが漏れていた。話し声がする。どうやら、誰かを招いてお酒を吞んでいるようだった。
自分の意志とは関係なく、父たちの会話が耳に入る。
――どうだ、私の演技もなかなかのものだろう。あれだけさめざめとした様を見せつけてやれば、同情を買わない人間の方があるまい。心臓病の権威である須永医院が、身内も治せないのかと皮肉を言われてしまっては、面子が保てんからな。今日のスピーチは、そういった連中を黙らせるのに、実に効果的だったに違いない――
父の高笑いが、どこか遠くで鳴っているかのように頭に響いた。
母がシオリにかけつづけていた言葉は、嘘だった。
父は鬼の仮面など被っていない。人を人として扱わぬ冷徹さを体現したようなマキャベリスト。私たちが普段抱いている父のイメージが、そのまま父の本質だったのだ。
母がそれを知っていないわけがない。母は、それを承知で父の妻となったのだ。それが、母が望む婚姻であったのかはわからない。でも少なくとも、母は我が子、つまり私たちのことを想ってくれていた。だからこそシオリに嘘を吐きつづけたのだ。本当は脆いシオリの心を守るための、優しくて悲しい嘘。
すぐ背後ろで気配がした。ハッとなり私が振り返ると、そこにはシオリの顔があった。母の亡骸に、泣きながら顔をうずめていた彼女の姿はそこにはなかった。シオリは、能面のような無表情で、魂が抜けたような顔つきをしていた。私はその様そうにぞっと恐怖を覚え、彼女に何も声をかけず、自分の部屋に逃げ込んだ。
小学校は、同じ姫咲に通っていた私たち二人だったが、中学からはバラバラになった。私はそのまま姫咲の中等部に進学し、シオリは公立の中学校に通うことになった。
あの日以来、シオリの、父に対する態度は一変した。シオリは父の一切の言葉を無視するようになった。父がいかに怒鳴り声をあげようが、暴力を使って彼女を脅そうが、シオリは父に屈さず、無言の抵抗をつづけた。やがて白旗をあげたのは父の方だった。父はシオリを見限り、彼女への教育を諦めた。シオリは自分の意志で、姫咲中等部への進学を辞退した。
元より、仲睦まじい関係というわけでもなかった私とシオリは、いよいよ疎遠になった。私はあの日以来、彼女にどう接していいかがわからなくなり、シオリの方も、私のことをいないもののように扱った。同じ家で生活しながら、気づけば会話一つ交わすことがなくなっていた。
中学二年生に上がったあたりから、シオリはふらっと夜に家を出るようになった。彼女を見捨てた父は当然、その行為に口出しせず、私も見て見ぬ振りをした。心配な気持ちはもちろんあったが、詮索してもどうせまともに聞かないだろうと、諦めていたから。
服装も、不良っぽい恰好をすることが増えて、素行のよくない人たちと付き合いはじめたのだということは、なんとなく察しがついた。その相手こそ他でもないショウタさんであり、彼がダイスケさんに見せた写真に写っていたのは、私ではなくシオリだ。
シオリの夜遊びはエスカレートしていった。彼女が補導されたり、家に警察から連絡が来るようになると、父はいよいよ看過できなくなったのか、再びシオリに干渉しはじめた。でも、彼女が父の言葉に耳を貸すはずもなく、むしろ面白がるように非行を繰り返した。
このままでは、きっと良くないことが起こる。漫然とした不安を覚えた私は、はじめてシオリに苦言を呈した。いい加減、反抗するのはやめなさいと。
すると彼女は私に向かって、侮蔑と憐れみを臆面もなく晒した表情を作り、吐き捨てるように言った。
『私は、カオリみたいに言いなりのお人形になりたくない。自分の人生を、誰かに預けたくないの』
私はショックを受け、何も考えられなくなった。
彼女の言葉で気づかされたから。私が、自分の頭では何も考えていないこと。父やシオリ、他人の顔色ばかり窺って、何一つ自分の意志で行動していないことを。
もう、私の言葉はシオリに届かない。そう痛感した。
父の教育が間違っていることも、シオリの暴走を誰かが止めるべきだということも、全部知っていながら、私は結局、何もしなかった。
その日から幾ばくも経たず、私の予感はあたった。シオリが、事件を起こしたのだ。
私やシオリ、ショウタさんの人生を大きく変える事件。
バイク事故だった。
シオリは二人乗りの、タンデムシートに乗っていた。ノーヘルメットで速度制限無視の暴走。当然警察の目に止まる。でもバイクは警察の呼びかけに耳を貸さず、むしろスピードを上げて振り切ろうとしたらしい。赤信号を無視して十字路をつっきろうとしたとき、横から車が飛び出してきた。慌ててハンドルを切ったせいでバイクは転倒、運転手とシオリ、二人の身体は地面に投げ出された。命に別状はなかったものの、二人は当然大けがをして、病院に緊急搬送された。
事故の知らせを受けた父は、翌日、シオリの身をすぐに須永医院に移転させた。私はシオリが心配でならなかったが、どうしてか面会は許されず、さらに、事故のことを決して口外してはいけないと、父に強く言いつけられた。わけがわからず、胸に不安を抱えたまま、でも私は疑問を口にすることすら許されなかった。
事故から半年ほど経ったある日、私は父に呼ばれ二人きりで対面した。それまでシオリについて何も教えてくれなかった父が、彼女を退院させこの家に戻すと、急にそう言った。
私が安堵したのも束の間、次の父の言葉は、到底、すぐに受け入れられるものではなかった。
『今は使っていない使用人用の居住部屋。地下室の一室に、シオリを閉じ込める。シオリには死ぬまでそこで過ごしてもらう』
どういうことだと私が問うと、父は淡々とこうつづけた。
『シオリは、死んだことにする』
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