Q. 彼ピはなぜイクラばかり食べるのか?

天野 純一

第1話 彼ピの家でおねんねデート

 とあるアパートの208号室。そこに私の彼ピが住んでいる。私はインターホンを押しこんだ。


 ピンポーン!


 胸のドキドキが止まらない。足をジタバタさせながら待ち構える。


 まもなくツツッとインターホンの通話が繋がる電子音が鳴り、彼ピことしょうへいの声がした。


、朝早くからありがとう。今出る」


 そのまま十秒ほど待っていると、将平が現れた。


「お待たせ。どうぞ入って」


 イケボなんだよな~。しかも優しくて強くて頭も良くて、非の打ち所がないっていうか。完璧。


「お邪魔しま~す」


 私は胸をときめかせながら玄関扉をくぐった。将平のほうから呼んでくれるなんてビッグイベントだ。


 中は綺麗に整頓されていた。およそ男子高校生の一人暮らしとは思えない。几帳面なところも良きすぎる。


 将平が私の顔を覗きこみながら尋ねてくる。


「朝ごはんはもう食べた?」


「ううん、まだ。朝起きてチョッコーで来たから」


「8時じゃちょっと早かったか。ごめん」


「いやいやそんなことない。私が寝坊助なだけだから。謝らないで」


「亜希は優しいな。——朝食まだ取ってないなら何か食べるか。俺が作るよ」


「え、いいのに」


「まぁ俺に任せとけって。亜希は食卓にでも座っといてくれ」


 さすが将平。料理も作れるんだ。将平ほど『完全無欠』って言葉が合う人いないんじゃない?


 私は将平に言われた通り、食卓テーブルにつくことにした。テーブルの上には調味料やお箸などが整然と並べられていた。


 将平はフライパンに卵を割って何やら作っている。その横顔を見ているだけでうっとりしてしまう。


 膝の上に両手を置いて静かに待つ。


 しばらくして、「できたぞ~」という声が掛かった。


「ほんと!? ありがとう!」


「今日の朝食は目玉焼きだ。おまけにベーコンも添えて」


「ザ・朝食って感じでサイコー!」


 目玉焼きは真ん丸な白身の真ん中に黄身が鎮座している。ベーコンの焼き加減もプロのコックかと見まがうほどだった。


「いっただっきまーす!」


 あっという間に平らげた。味は言うまでもない。この上ない美味。将平の手料理なんだから当たり前か。


 私が食べ終わるのを見計らって、将平が言った。


「Switch2でもやるか? 発売第1弾で運よく当選してしまってな」


「運までいいだとぉ!?」


 しまった、声に出てしまった。それにしても……運まで持ってるとは。さすがにテンション上がるんですけど! 爆上げすぎてやばい。将平、神。


「Switch2やろ! 何やる何やる?」


「マリカとか?」


「いいねいいね!」


 ——それからは20分くらい無我夢中でマリオカートで競争した。将平はゲームもめちゃくちゃ上手かった。逆に何ができないのよ……。


 と、レースを続けていると、私は猛烈なあくびに襲われた。


「やっぱちょっと……眠いかも」


 さすがに8時起きは無理しすぎたか。最近は4時寝とかザラだったし……。今日のために生活リズム戻そうとしたけど、失敗したみたいだ。


「分かった。布団持ってくるよ。ちょっと待っといてくれ」


「あ、うん……」


 そこからはあまり記憶にない。たぶん将平に引っ張られて布団を掛けてもらったんだと思う。




 目を覚ますと、すぐ隣で将平が心配そうな表情を向けていた。私は飛び起きた。


 いったい何時間くらい寝てたんだろ。腕時計を持っていないので分からない。


 私の感情を察知したように、将平が教えてくれる。


「今は午前11時ぐらいだ。2時間半寝てたことになるな」


「……え、その間ずっと将平はここで見守ってくれてたの⁉」


 そう口にしてから急に恥ずかしくなった。もしそうじゃなかったら私はただの自意識過剰だ。


 しかし、あろうことか将平は控えめに頷いた。


「まぁ、そういうことになるな。でも気にするな。大したことじゃない」


「た、大したことだよ! ごめんごめんごめん。どうお詫びすれば……?」


 将平は目を泳がせる。


「お詫びったってな。一人でダラダラ過ごしてるより亜希の寝顔見てるほうが有意義だろ……って、え、あ、今のはなしで。えー、じゃあちょっとサプライズに付き合ってくれないか。実は今日亜希を呼んだのはこれを計画してたからなんだ」


「そんなことでいいの? 私が得しすぎてない?」


「亜希が喜んでくれるなら俺の得でもあるからな」


 普通の人なら歯が浮くようなセリフを、将平はさらっと言えてしまう。こういうところも大好き。


「ちなみに、そのサプライズは私に予告してても大丈夫なの?」


「亜希の協力が必要だから、無断ではできない。ちょっと待ってくれ」


 そう言うと、将平は立ち上がって部屋を出ていった。


 すぐに戻ってくると、彼は薄くて大きなハンカチを持っていた。


「これで目隠しをしてほしいんだ。変な真似はしない。ただ少し外を歩くから、その覚悟はしてほしい。全然遠出するわけではないけど」


「……分かった。将平の頼みなら何でも聞く」


「ありがとう。亜希ならそう言ってくれると思ってたよ」


 将平が私のことを信じてくれてる。それだけで私は安心できた。


 とそのとき、重要なことに気づいた。化粧崩れてんじゃね!?


「ちょっと洗面台で顔直してきてもいい?」


「もちろん」


 私はポシェットを持ってお風呂場に向かった。予想通りそこには鏡と洗面台が設置されていた。私は鏡を覗きこむ。——うわ、結構崩れてんじゃん。


 ポシェットから化粧道具を取り出し、せっせと初期状態に戻す。その最中に気づいた。


 ……スマホが入ってない。持ってき忘れたか? 行きしなにLINEしたような気がするんだけど。途中で落としてたら怖いな。いや、目玉焼き食べてるとき触ったような気もする。どうだっけ。


 まぁ他人が開けようとしてもロックが掛かってるから無理だけど。私は馬鹿じゃないから1234とか誕生日とかにはしていない。


 将平が盗るなんてことありえないけど、万が一、億が一、将平が盗ったとしても開くのは無理だ。そこは安心していい。


 化粧を元に戻せたので、将平のところへ向かう。


 途中の廊下に掛かっていたクォーツ時計には11時12分と表示されていた。サプライズって何だろう。プレゼント? 時間帯的には昼ご飯ということもありうる。どんどん楽しみになってきた。


「化粧、直せたよ~」


「お、やっぱ綺麗だな。さすがだ、亜希」


「ふふん。お化粧で私の右に出るものはいないよ。ところでさ、私のスマホどこ行ったか知らない?」


「スマホ? 朝食の時触ってなかったか?」


「あ、やっぱり? どこ行っちゃったんだろ……」


「一緒に探そうか」


 二人で手分けしてテーブルの周りやSwitchで遊んだ辺りを探索するが、なかなか見つからない。


 そんな折、将平が言いにくそうに口を開いた。


「実はサプライズには時間制限があるんだ。できれば早く行きたいんだけど……。スマホはまた帰ってから探さないか」


「あ……そうなんだ。じゃ、そのサプライズってのやっちゃおっか」


「すまんな。じゃあ亜希は向こうの壁を向いて座ってくれ」


「——こう?」


「それでいい」


 背後に将平が回りこむ。折り畳まれたハンカチが私の視界を塞ぎ、後ろで結ばれる。将平のぬくもりが耳のすぐ横にやってくるのを感じて、体温が上昇する。


「痛くないか?」


「……うん、大丈夫」


 一寸先も見えない闇に包まれ、一挙に不安に襲われる。すぐに将平が私の手を握ってくれる。


「亜希のポシェット、掛けるぞ」


 将平がポシェットを私の肩に掛けてくれる。それから私をエスコートするように立ち上がったのが分かった。私も引っ張られるようにして腰を上げる。


 そのあとは手を引かれるままに足を進めた。玄関を出て、エレベーターで下の階へ。将平の部屋が二階でこのアパートに地下はないから、間違いなく一階だろう。


 それから固い地面をひたひたと歩く。人々の話し声が聞こえる。


 と、私を引っ張る将平の足が止まった。


「横断歩道に来たから一回立ち止まろう」


「うん……」


 周りの人たちは目隠しを巻いてる私を見てどう思ってるんだろう。無性に恥ずかしくなってきた。


 あ、でもこんなカッコいい人と一緒に歩いてるんだからむしろ誇り高いかも。恥ずかしいなんて言ったら将平に失礼だ。


 ピッポ、パッポ、と横断歩道によく付いている視覚障害者用の音が流れる。また将平が歩き出した。


「次、右に曲がるよ」


 たぶん横断歩道を渡りきったあたりで右折し、まっすぐに進んだ。


 ……長い。視覚があれば何ということはない距離なんだろうけど、何も見えないせいで永遠に歩き続けているのではないかとさえ思える。


 期待と不安が心の中でないまぜになってきた頃、将平はようやく待ちに待った言葉を発した。


「着いたよ。不安になってたらごめん。目隠し外していいよ」


 私は頭の後ろに両手を回し、おもむろに結び目をほどいた。


 目の前にあったのは回転寿司チェーン店『うま寿司』だった。私は嬉しさのあまり将平に抱きついた。将平はそんな私の反応を見て安堵したようだった。


「結構前に亜希、『親が海鮮嫌いで回転寿司食べたことない』って言ってたよね。だから一回一緒に行きたいと思ってたんだ。喜んでくれて嬉しいよ」


 私はサプライズを用意してくれたことよりも、回転寿司が食べられることよりも、自分の何気ない一言をずっと気に留めていてくれたことが嬉しかった。

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