第53話 堕ちたNo.3
「……何を言っているのですか? しずくさん」
セラフィナは困ったように眉を下げ、ふう、と短く息を吐いた。
「戦いの興奮で、神経が高ぶっているようですわね。
私の体内にイザベラさんの魔素? ……あり得ないことですわ。」
その声はどこまでも優しく、諭すような響きを持っていた。
いつもの彼女なら、誰もがその言葉を信じただろう。
だが、しずくは引かなかった。
「いいえ……辻褄が合うんです」
しずくは震える足を叱咤し、一歩前へ出る。
「さっき、ゼノン総統が最期に言った言葉……『話が違う』、『約束』。
彼は明らかに、自分以外の誰かと協力関係にありました」
「それが私だと言うのですか? 心外ですわね」
「ヘーゲル卿は言っていました。『魔法少女管理局の内部に、裏切り者がいる』と」
しずくの脳裏に、あの日のヘーゲル卿の真剣な眼差しが蘇る。
彼は何かを知っていて、だからこそ殺されたのだ。
「そして何より……イザベラさんは、過去優秀な魔法少女でした。
いくら不意打ちとはいえ、生身の人間であるゼノン総統や、ただの兵士たちに殺せるとは思えません」
しずくの視線が、セラフィナの懐、さきほどの核をしまった場所へと向けられる。
「イザベラさんを倒し、その痕跡すら消し去ることができる存在。
それは、彼女と同等か、それ以上の力を持つ魔法少女でなければ不可能です」
ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音がした。
しずくは真っ直ぐに、憧れだった聖女を見据え、告げた。
「セラフィナさん……あなたですね。
ヘーゲル卿とイザベラさん殺したのは」
重い沈黙が、地下施設を支配した。
「……おい、しずく。いい加減にしろよ」
耐えかねたように、リサが声を荒らげる。
「セラフィナがそんなことするわけねぇだろ! 今の戦いを見てただろ!?
あいつは私たちを助けてくれたんだぞ!」
「そうだよ! 何かの間違いだよ……!」
ライラも叫ぶ。
しかし、ギルベルトとミラだけは、険しい表情でセラフィナを凝視していた。
否定したい。だが、しずくの眼の精度と、ここまでの状況証拠が、
不吉な絵図を描き出している。
全員の視線が、セラフィナに集まる。
彼女はうつむいたまま、動かない。
否定してくれ。
嘘だと言ってくれ。
誰もがそう願った、その時だった。
「……貴様ッ!!」
凍りついた静寂を破ったのは、鋭い声だった。
クラウディアの瞳は、信じられないものを見るような軽蔑と、
激しい憤怒で燃え上がっていた。
「しずく、貴様……自分が何を口走っているのか分かっているのか!?」
クラウディアがしずくへ詰め寄る。
その剣幕に、リサたちが止めに入ろうとするが、彼女の怒気はそれを許さない。
「セラフィナ様に対する、その許しがたい侮辱……断じて看過できん!!」
「クラウディアさん、聞いてください。私は……」
「黙れッ!」
クラウディアは聞く耳を持たない。
彼女にとって、セラフィナ・クレストは絶対的な正義であり、目指すべき頂点。
そして何より、たった今、自分たちの命を救ってくれた恩人なのだ。
「我々は今、誰に命を救われたと思っている!?
セラフィナ様が来てくださらなければ、
我々はあの怪物に蹂躙され、死んでいたんだぞ!
その御方に向かって……人殺し呼ばわりだと!?」
クラウディアの声が震える。
「恩を仇で返すような真似、私は絶対に許さん!
今すぐその言葉を取り消し、セラフィナ様に土下座して謝罪しろ!!」
常識的に考えれば、クラウディアの言い分が正しい。
だが、しずくは謝らなかった。
ただ悲痛な瞳で、クラウディアを見つめ返すだけだった。
「……できません。真実は、曲げられないから」
「き、さまぁぁぁッ!!」
クラウディア殴りかかろうとする、その時だった。
「――ふ」
小さな、息漏れのような音が聞こえた。
「ふふ……」
「え……?」
クラウディアが固まる。
セラフィナの肩が、小刻みに揺れ始める。
「ふふふ……あははははは」
それは、鈴を転がすような笑い声ではなかった。
腹の底から湧き上がるような、濁った愉悦の響き。
「はははははっ! あーははははは!!」
セラフィナが天を仰ぎ、高らかに笑い始めた。
地下施設に反響するその笑い声は、狂気そのものだった。
「セ、セラフィナ様……?」
クラウディアの声が裏返る。
何が起きているのか理解できない。
敬愛する聖女が、まるで壊れた玩具のように笑っている。
ひとしきり笑った後、セラフィナがゆっくりと視線を下ろした。
そこにはもう、慈愛に満ちた聖女の面影はなかった。
口元を三日月のように歪め、瞳には昏い狂気を宿した、見知らぬ女がそこにいた。
「……あーあ。つまらない」
セラフィナは冷めきった声で呟き、髪をかき上げた。
「もう少し、可憐な聖女様ごっこを楽しんでいたかったのですけれど。
しょうがないですね。」
「っ……!」
その豹変ぶりに、リサたちが息を呑み、後ずさる。
「う、嘘だろ……?」
「本当、なの……?」
仲間の動揺をよそに、セラフィナは愉しげに瞳を細めた。
「ええ、その通りですわ。名推理、ご名答。
イザベラも、ヘーゲルも、ついでにそこのゼノンも。
邪魔なゴミはみんな、わたくしが掃除して差し上げました」
「なっ……」
隣に控えていたエリスが、大きく後ずさる。
彼女の感情のない顔に、初めて表情に亀裂が走る。
「いったい何が目的だ! こんなことをして、何になる!!」
リサが叫ぶ。
「ふふ、これですよ」
セラフィナは核を高く掲げた。
それは照明の光を吸い込み、妖しく脈動している。
「これが、ずっと欲しかったのです。
不完全なマガツではなく、純粋な魔素の結晶体。神の座に至るための鍵が」
セラフィナの瞳が、恍惚と狂気で揺らめく。
「今の世界を見てごらんなさい。
マガツの脅威、管理局の腐敗、人々の恐怖、絶えない争い……。
あまりに混沌としすぎていて、醜いでしょう?」
彼女は吐き捨てるように言った。
「だから、一度リセットし直すのです。
私が神となり、この汚れた世界を浄化し、あるべき美しい姿へと作り変える」
「そのために……ゼノンの人体実験に協力していたというのか!?」
ギルベルトが呻く。
「ええ。ゼノンたちは、私を利用しているつもりだったのでしょうけれど。」
「全くの逆。私は待っていたのです。彼らが完成させるのを。」
セラフィナはクスクスと笑う。
「でも、あの愚か者たちはミスをした。
ヘーゲル卿と、イザベラ。あの二人は聡明すぎました。
このままでは私の計画が明るみに出てしまう……だから、私が直接手を下したの」
「……イザベラさんの、魔素も……」
しずくの声に、セラフィナはにっこりと頷く。
「ええ。せっかくですから、いただきましたわ。
全ては、私が完全な神の力を得るために必要なパーツでしたから」
セラフィナは核を両手で包み込む。
「でももう、お芝居は終わり。
これが手に入った今、私は神として完成される。
全てのマガツを支配し、この世界を破壊して、再生させるのです。
――私の
セラフィナが、核を自らの口元へと運ぶ。
「させるかッ!!」
ギルベルトが吠えた。
もはや問答無用。
瞬時にホルスターから愛銃を抜き、神速の早撃ちを放つ。
魔導弾が一直線にセラフィナの眉間へと迫る。
「――うるさい」
セラフィナが、ギロリと瞳だけを動かした。
ドォォォォォォンッ!!
「がぁっ!?」
突如として、空間そのものが落下したかのような衝撃。
ギルベルトの体が、見えない巨大な手に押し潰されたように地面へ叩きつけられた。
「な、んだこれ……体が……動かな……」
リサも、ライラも、クラウディアも。
「……ぐ、う……!」
誰もが地面に這いつくばり、指一本動かせない。
肺が圧迫され、呼吸すらままならない絶対的な重力の中。
ひとりだけ、立っている者がいた。
「……エリス?」
リサが、押し潰されそうな顔を上げて叫ぶ。
エリスだけは、なぜかひれ伏していなかった。
彼女の周囲だけ、重力の檻が適用されていない。
それは、セラフィナの慈悲か、あるいは気まぐれか。
「エリス! 何をボサッとしてるんだ!!」
リサが喉から血が出るほどの声で吠える。
「今だ! そいつは無防備だ! セラフィナをやれ!!」
「……ッ!」
エリスの手が震える。
彼女は反射的に杖を現出させ、セラフィナへと向けた。
距離はわずか数メートル。
№3の実力を持つ彼女なら、今のセラフィナの喉元を貫くことは容易い。
「エリス!! やれぇ!!」
ギルベルトの怒号が響く。
だが、体は動かなかった。
目の前にいるのは、彼女が全てを捧げ、崇拝してきた絶対者。
杖の切っ先が、迷いの中に揺れる。
「……できないのですか? エリス」
セラフィナは、突きつけられた杖を気にする素振りもなく、
母親が子供に語りかけるような優しさで微笑んだ。
「可哀想に。混乱しているのですね」
「セラフィナ、様……私は……」
「エリス。あなたには、
特別に私の
セラフィナが、そっと手を差し伸べる。
「この薄汚れた世界で、正義ごっこを続けるのはもう疲れましたでしょう?
私と一緒に来なさい。新しい世界の礎として、永遠に私に仕えるのです」
その甘美な誘惑に、エリスの瞳が揺らぐ。
「ふざけんな!!」
地面にめり込みながら、ライラが叫んだ。
「エリス! 騙されんじゃねぇ!
そいつは仲間を殺したんだぞ!?
あんたがそんな口車に乗るわけないだろ!!」
「エリスさん! 目を覚まして!」
しずくも叫ぶ。
ナンバーズ№3のエリスが、
こんな理不尽な悪に屈するはずがない。誰もがそう信じていた。
しかし。
カラン……。
乾いた音が響いた。
エリスの手から、杖が滑り落ちたのだ。
「……エリス?」
エリスは深くうつむき、ゆっくりと――その場に膝をついた。
強制された重力によってではない。
自らの意志で、彼女はかしずいたのだ。
「……私は、セラフィナ様のために存在します」
感情の消えた声。
それは、思考を放棄し、
絶対的な主人に依存することを選んだ、狂信者の声だった。
「この身も、心も。すべては貴方様のもの」
エリスが深く頭を垂れる。
「あぁ……なんてことだ……」
ギルベルトが絶望に呻く。
最後の希望だった刃が、最悪の形で裏切った。
「うふふ。いい子ですわ、エリス」
セラフィナは満足げにエリスの頭を撫でると、
再びその手に持つ核へと視線を戻した。
「では、始めましょうか。――新世界の創造を」
セラフィナは躊躇なく、その紅い核を口に含み――
ゴクリ、と飲み込んだ。
ドクンッ!!
世界中の心臓が跳ねたような、不気味な鼓動が響き渡る。
「……っ、ぐ、あぁぁぁ……ッ!!」
セラフィナの体が弓なりに反り、美しい顔が苦悶と快楽に歪む。
バキ、バキバキッ……!
背中から、何かが突き破る音。
肉が裂け、骨が軋む。
「力が……力が、満ちてくる……!!」
純白の法衣が内側から弾け飛び、
背中から溢れ出したのは、神々しくも禍々しい、六枚の光の翼。
だがその翼は、天使のような白ではない。
血のような深紅と、宇宙の深淵のような漆黒が混じり合った、混沌の色。
バリバリバリッ!!
彼女の周囲の空間が、溢れ出るエネルギーに耐えきれずにヒビ割れていく。
重力波が嵐となって吹き荒れ、地下施設の壁が捻じ切れる。
もはや、魔法少女ではない。
マガツでもない。
聖なる輝きと、邪悪な闇が融合した、
この世ならざる邪神が、そこに誕生しようとしていた――。
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